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子どもの写真は何千枚もあるのに、家族の写真はあまりない

スマホの中は、子どもの写真でいっぱい

自分のスマホの写真フォルダを開くと、ほとんどが子どもの写真です。

公園で遊んでいる姿。
誕生日のケーキを前にした笑顔。
保育園へ向かう後ろ姿。
旅行先で眠ってしまった顔。
家で変なポーズをしている姿。
何でもない日に、ご飯を食べているところ。

特別な日だけではありません。

少し髪型が変だった日。
お気に入りの服を着ていた日。
初めてできたことがあった日。
ただ笑っていただけの日。

気づけば、似たような写真も何枚もあります。

それでも消せません。

同じように見えても、親にとっては全部違う瞬間だからです。

でも、自分が一緒に写っている写真は少ない

子どもの写真を見返していて、ふと気づきました。
子どもと自分が一緒に写っている写真が、思っていたより少ないのです。
公園でも、旅行でも、誕生日でも、私はいつも撮る側にいます。

子どもが笑ったらスマホを向ける。
遊んでいたら写真を撮る。
何かできたら動画を回す。

子どもの姿を残すことに夢中で、その横にいる自分の姿は、ほとんど残していませんでした。

子どもの成長を残しているつもりで、その隣にいた自分の時間は、あまり残せていなかったのかもしれません。

撮る側には、ちゃんと理由がある

自分が写真に写りたいと思っていなかったわけではありません。
ただ、子どもといると自然に撮る側になります。

今の表情を残したい。
この瞬間はもう戻ってこない。
あとで家族にも見せたい。

そう思って、ついスマホを構えます。
それに、自分が写るとなると少し面倒です。

髪が整っていない。
服もいつもの適当な格好。
公園帰りで疲れた顔をしている。
もう少しちゃんとしている日に撮りたい。

そんなことを思って、また後回しになります。
でも、子育て中に「ちゃんとしている日」なんて、ほとんどありません。
髪が乱れている日も、疲れている日も、ヨレヨレの服を着ている日も、それが今の自分です。

子どもに残したいのは、きれいな親だけではない

考えてみると、子どもが大きくなって写真を見返したとき、親がきれいに写っているかどうかなんて、そこまで気にしないのかもしれません。

むしろ見たいのは、

どんなふうに抱っこされていたのか。
隣でどんな顔をしていたのか。
一緒にどこへ行ったのか。
どんな距離で笑っていたのか。

そういうものなのかもしれません。

子ども一人の写真からも、その時のことは思い出せます。

でも、親子で一緒に写っている写真には、「この時、ちゃんと一緒にいた」ということが残ります。

撮った私の記憶の中にはあっても、写真の中にはない時間がたくさんあります。

何でもない写真ほど、あとから大切になる

誕生日や旅行では、家族写真を撮ることがあります。
でも、本当に少ないのは何でもない日の写真です。

保育園の帰り道。
いつもの公園。
家で一緒に絵本を読んでいる時間。
ソファで並んで座っている姿。
抱っこをせがまれている瞬間。

そのときは、写真に残すほどでもないと思っています。

でも、数年後に懐かしくなるのは、案外そういう普通の日なのかもしれません。

いつもの道。
いつもの服。
いつもの部屋。
いつもの親子の距離。

特別な出来事よりも、その頃の生活そのものが写っている写真。
きっとあとから欲しくなるのは、そういう一枚なのだと思います。

写真に写っていない親も、その場にはいた

写真を見返すと、子どもが一人で成長したように見えることがあります。
でも、もちろんそんなことはありません。

写真の外には、いつも誰かがいました。

転ばないように見ていた人。
笑わせようと声をかけていた人。
荷物を全部持っていた人。
「こっち向いて」と何度も呼んでいた人。
写真を撮りながら、その時間を楽しんでいた人。

写っていなくても、その場には確かにいました。
子どもの写真の向こう側には、いつも親の時間があります。

ただ、その時間は写真には残りにくい。
だからこそ、少しだけ意識して残してもいいのかもしれません。

写真が少なくても、愛情が少ないわけではない

一緒に写っている写真が少ないからといって、一緒に過ごしていなかったわけではありません。

むしろ、撮る側だったからこそ残せた表情がたくさんあります。

誰より近くで見ていた。
誰より先に笑顔に気づいた。
その瞬間を残したくて、スマホを向けた。

そこにも、ちゃんと愛情があります。
だから、今まで写真に写ってこなかった自分を責める必要はないと思います。

ただ、これからは少しだけ変えてもいい。

たまには誰かに撮ってもらう。
セルフタイマーを使う。
完璧な笑顔でなくても、一緒に写る。
何でもない日に、親子の写真を一枚残す。

それくらいでいいのなかと思います。

子どもの記録だけではなく、家族の記録を

これまでは、子どもの成長を写真に残すことばかり考えていました。
でも、子どもが大きくなっていく時間は、親も同じように年を重ねていく時間です。

子どもが小さかった頃。
自分も今より少し若かった頃。
毎日余裕がなくて、疲れていた頃。
それでも一緒に笑っていた頃。

家族の写真は、子どもの成長記録であると同時に、親として過ごした自分の記録でもあります。

いつか子どもが写真を見返したとき、
「このとき、パパも一緒にいたんだな」
と思ってくれたら嬉しいです。

そして自分自身も、
「この頃、ちゃんと隣にいたんだな」
と思い出せたらいい。

次の一枚には、自分も入ってみようと思う

スマホの中には、これからも子どもの写真が増えていくと思います。

笑った顔。
泣いた顔。
ふざけた顔。
少しずつ大きくなっていく姿。

それはこれからも、たくさん残したいです。
でも、次に写真を撮るときは、たまには自分も入ってみようと思います。

髪が整っていなくても。
ヨレヨレの服でも。
少し疲れた顔でも。

その姿も含めて、今の家族だからです。
子どもの写真は何千枚もあるのに、家族の写真はあまりない。

そう気づいた今からでも、遅くはありません。

何でもない今日に、一枚だけ。

子どもの隣にいた自分も、一緒に残してみようと思います。



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