最近、間違うことが怖いのかもしれない。娘も、私も。
最近、娘がよく言う言葉があります。
「これで合ってる?」
「間違ってない?」
「できへんかったらどうしよう」
ひらがなを書くとき。
服を選ぶとき。
折り紙を折るとき。
少し前までなら、そんなことは気にせずやっていました。
線がはみ出しても、色が混ざっても、途中で折り紙が破れても。
「もう一回やる」
と言って、笑いながらやり直していた。
でも最近は、手を止めることが増えました。
間違えたくない。
失敗したくない。
そんな気持ちが、少しずつ出てきている気がします。
「できない」が嫌なのではなくて
ある日、娘と簡単な迷路をしていました。
鉛筆を持って、最初の線を引く。
少し進んだところで、娘が止まりました。
「これ、違う道やったらどうしよう」
私は、
「間違っても消したらええやん」
と答えました。
娘はしばらく迷ってから、小さく線を引きました。
でも、行き止まりに着いた瞬間、すぐに消しゴムを置きました。
「もうやめる」
できないことが嫌だったのではないと思います。
間違ったことを見つけるのが嫌だったのかもしれません。
「できなかった自分」を見るのが、少し怖かったのかもしれません。
親は、知らないうちに正解を急いでいる
私は娘に、
「違うで」
「そっちじゃない」
「こっちの方が早いで」
と言ってしまうことがあります。
困らないように。
できるように。
時間がかからないように。
そう思っているからです。
でも、娘にとってはどう聞こえていたのだろうと思いました。
間違えたら直される。
失敗したら、正しいやり方を教えられる。
それが続くと、「最初から正解を出さなあかん」と思うようになるのかもしれません。
私は娘が間違えないように手を出していたつもりでした。
でも本当は、間違えても大丈夫だと思える時間を、少しずつ減らしていたのかもしれません。
娘だけではなく、私も間違うのが怖い
娘が「これで合ってる?」と聞くたびに、私は娘の不安だけを見ていました。
でも、本当は私も怖いのだと思います。
娘が間違えること。
遠回りすること。
誰かに困らされること。
そして、そのときに親として自分が間違った関わり方をしてしまうこと。
手を出しすぎたかもしれない。
逆に、助けなさすぎたかもしれない。
あのとき、もっと違う言葉をかければよかったかもしれない。
子どもが正解を聞きたがるように、親もまた、正解の子育てを探しているのかもしれません。
だから、娘が迷っていると早く答えを渡したくなる。
娘のためでもあるけれど、自分が「親として間違えた」と思いたくないからなのかもしれません。
間違えたあとに、何を見るか
子どもが間違えたとき、親はつい結果を見ます。
できたか。
できなかったか。
合っていたか。
間違っていたか。
でも娘が見ているのは、間違えたあとの私の顔かもしれません。
ため息をついたか。
急いで直したか。
「だから言ったやん」と言ったか。
失敗そのものよりも、そのあと親にどう扱われたかの方が、残ることがあるのかもしれません。
迷路で行き止まりになったとき、本当は、
「ここまで来たのすごいやん」
「どこで違ったんやろうな」
「もう一回、別の道を探してみる?」
と、一緒に見ればよかった。
正解を教える前に、間違えた時間をちゃんと受け取ればよかったのだと思います。
間違えることは、子どもだけの仕事じゃない
子どもは、毎日たくさん間違えます。
靴を左右逆に履く。
服の前後を間違える。
言葉を間違える。
友だちとの距離を間違える。
でも、親も同じです。
急ぎすぎる。
言いすぎる。
待てなかったことを後悔する。
「大丈夫」と言えばよかった場面で、正論を言ってしまう。
などなど。
子どもは間違えながら、自分で考えることを覚えていく。
親も間違えながら、子どもとの関わり方を覚えていくのだと思います。
大事なのは、間違えないことではなくて、間違えたあとに、やり直せることなのかなとも思います。
「さっきは言いすぎたな。ごめん」
「パパも分からんかった」
「もう一回、一緒に考えようか」
そんな姿を見せることも、子どもにとっては大切なのかもしれません。
「合ってる?」と聞かれたとき
最近、娘が「これで合ってる?」と聞いてきたとき、すぐに答えないようにしています。
もちろん、本当に困っているときは手伝います。
でも、少し考えれば自分で決められそうなときは、
「どう思う?」
「どこが気になった?」
「自分ではどっちがいいと思う?」
と聞くようにしています。
最初は、
「分からん」
と言っていた娘が、少し考えてから、
「こっちかな」
と言うことがあります。
その声は、まだ自信たっぷりではありません。
でも、自分で選んだ声です。
その小さな声を急かさないことが、今は大事なのかもしれません。
間違っても、ここにいていい
自信は、「大丈夫」と何度も言われるだけでは育たないのだと思います。
間違えても笑われなかった。
失敗しても、すぐに取り上げられなかった。
うまくできなくても、「またやってみよう」と言ってもらえた。
そんな経験が重なって、少しずつ「大丈夫」が育っていく。
親にできることは、間違えない道を教えることだけではありません。
子どもが間違えたあとでも、ここにいていいと思える場所でいること。
そして親自身も、完璧ではないまま、間違えたら立ち止まること。
娘が「間違ってない?」と聞いてきたとき。
私は答えを急がずに、まず娘の顔を見て、その不安の奥にあるものを、ちゃんと受け取りたいと思います。
そして自分が間違えたときも、隠さずに言える親でいたいです。
「パパも間違えたな」
「もう一回やってみよか」
娘も私も、間違えながら進んでいけたらいいなと思います。
