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名は体を表す

 中学生の時に、クローニンの「城砦」を読んだ。物語は忘れてしまったけれど、その時に受けた印象は強く覚えている。それは、「こんなに真面目で生き辛くないかな」だった。

 当時「あとがき」か何かで、著者自身熱心なキリスト教信者であったことを読んだ気がするが、その時に「ここまで真面目でないと神の門はくぐれないのかね」と思い、「神の門は狭いってこういうことなんだろうな」とも感じた。

 けれどその年齢の頃はその「真面目さ」「純粋さ」こそが大事のような気もしていて、沢山の「ねばならない」を自分に課してもいたような気がする。今となっては「そんなのいらないよ」と言いたくなるけど。

 そして当時思ったんだよね。クローニンって、「苦労人」だったんだなって。”名は体を表す”ってマジでホントなんだな、って。

 真面目に生きなくても、神の門はもうくぐっている。だって一人一人が神の分け御魂だからね。問題の突破口は自分自身見落としてしまってとても想像がつかないような所から開けることもあるし、思いもよらない過去の行動からもたらされたりする。禁欲的に自分をどれだけ律しようと死ぬときに「俺の人生つまんなかったなあ」なんて思うなら、それは意味のないストイシズムだ。どれだけ楽しんだって人は、神の門をもうくぐっているよ。

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