見出し画像

【人生の設計】安定から絶望へ。20代無精子症とうつ病、それでも前に進んだ記録

いつも「静かな設計論」の記事をご覧いただき、
本当にありがとうございます。

これまでの投稿では、主に日々の暮らしを設計していく上での思考のプロセスや、
その中で実際に起きたエピソードを中心に、
読者の皆様と共有できる内容をお届けしてきました。


しかし今回は、今までとは少し系統の違う
「私の個人的な体験談」をお話ししようと思います。


そして、本記事のメイン部分については、
私にとって初めての「有料記事(300円)」とさせていただきました。


なぜ、今回の体験談を有料という形にしたのか。

それには大きく2つの理由があります。


1つ目は、「誰にでも再現できるような、普遍的なノウハウではないから」です。


これまで私がご紹介してきた「投資の設計」や
「暮らしの設計」は、少しのきっかけと行動があれば、多くの方が挑戦できる内容だと思っています。


だからこそ、みんなで共有して一緒に考えていきたいという思いで無料で公開してきました。


しかし、今回のメインテーマである「私の病気」に関するエピソードは違います。

誰しもが同じ状況になるわけではなく、
私の唯一無二の体験だからこそ、
そこに一つの「付加価値」を持たせたいと考えました。


2つ目は、「本当に必要としてくれる人、温かい目線を向けてくれる人にだけ届けたいから」です。


今回お話しする内容は、非常にリアルで、
ネガティブな感情や事実も赤裸々に綴っています。


誰でも無料で読める状態にして、
「本来こんな重い話は読みたくなかった」という方を不快にさせたり、
好奇心や冷やかしの目に触れたりすることは、
私自身望んでいません。

これまでの投稿を通じて私という人間に興味を持ってくださった方や、
「読んでみたい」と本気で思ってくださる方。

そんな方々だけを招き入れるための、防波堤としての有料設定です。


ここから先は、私が直面した現実の導入部分です。

もしご興味を持っていただけましたら、
ぜひ有料部分までお付き合いいただけますと幸いです。


第1章 順風満帆な設計図と、妊活の始まり

今まで年齢についてはあえて触れずに発信を続けてきましたが、

今回の出来事を語る上で「いつ、どのタイミングで起きたか」は避けて通れないため、
少しだけ自己紹介をさせてください。


私は現在20代後半で、公務員として働いています。

妻とは4年前に結婚し、同業の共働きとして、
これから先の人生も順風満帆に進んでいくのだろうと疑いもしませんでした。

結婚した当初は「最初の1年は2人だけで思う存分楽しもう」というところからスタートしました。


旅行に行き、結婚式を挙げ、やりたいことを謳歌する。

この期間は単なる遊びではなく、
2人でたくさんの景色を見て対話を重ねた、
夫婦としての確かな土台を築く時間でした。


そうして満たされた時間を過ごす中で、自然と「今後どういう風に暮らしていこうか」と考えるようになりました。

私自身は「絶対に子どもが欲しい」と強く執着していたわけではありませんでしたが、
子どもが好きな妻が望むのであれば、
当然前向きに検討しようと思っていました。


2人で話し合って出した結論は、
極めて現実的で合理的なものでした。


「どうせ産むのであれば、若いうちに作りたい」

「お互いの兄弟環境を考えても、子どもは2人欲しいね」


「若いうちに」とは思いつつも、まだ20代の時間は残されています。


「そこまで焦る必要はないね。特に避妊もせず、自然に任せて妊活をしていれば、1年も経てば何かしら嬉しい知らせが訪れるはず」

自分たちが思い描いた通りに、
人生の設計図はスムーズに進んでいく。

そんな無邪気な確信とともに、
私たちは日々の生活を過ごし始めました。


第2章 狂い始めた設計図と、拭えない不安

「自然に任せていれば、そのうち」


そんな根拠のない自信から約1年。

私たちのもとに、望んでいた知らせが届くことは一向にありませんでした。


この時、私は徐々に、しかし確実に不安を抱えるようになっていきました。


持ち前の性格で調べてみると、健康な夫婦が1年間避妊をせずに妊活を行った場合、過半数以上の確率で妊娠に至ること。

それが叶わない場合、何らかの原因が潜んでいる可能性が高いという事実に行き当たりました。


不妊に関する知識は事前に調べていたものの、
その時はどこか他人事で、「まさか自分が当事者になる」なんて考えもしなかったのです。


ここで私は、「自分に何か原因があるのではないか」と真っ先に疑いました。

世間一般では不妊治療というと女性のイメージが先行しがちですが、私にその偏見がなかった一番の理由は、物心ついた時から抱えていた「ある体の違和感」があったからです。


私は片側の陰嚢がもう片方よりも大きく、
サイズがアンバランスでした。


15歳頃に調べた際は「左右の大きさが違うことはよくあること」という情報に行き当たり、
日常生活や性機能にも全く違和感がなかったため、深く考えることなく大人になりました。


しかし、「1年間子どもができない」という現実を前にした時、その事実と「長年の体の違和感」を結びつけるのは、あまりにも簡単な作業でした。

外見上の機能は正常でも、もしかしたら決定的な何かが欠落しているのかもしれない。


「俺の方に原因があるのかもしれないから、一度ちゃんと検査を受けてみようと思う」


そう妻に告げておきながら、実際に私が泌尿器科へ足を運び、精液検査を受けたのは、
それから3ヶ月も後のことでした。


その間、妻は婦人科で簡易検査を受けてくれ、結果は「異常なし」。

それは消去法的に「原因は自分にある」という予感を現実のものとして突きつけられる結果でもありました。


なぜ、言い出しっぺの私が3ヶ月もかかってしまったのか。

一番の理由は、自分の中にある「とてつもない恐怖」でした。


検査をして白黒をつけてしまえば、もう後には戻れません。

「まだ時間がかかっているだけ」という中ぶらりんの状態で、少しだけ希望を持ったままでいたかったのです。


仕事の繁忙期も、都合の良い言い訳になりました。

自分に原因があると疑いながらも、
「まさか精子が『ゼロ』なんてことはないだろう」と、無意識に最悪の事態から目を背けていたのです。


それでも最終的に重い腰を上げたのは、
「いつまでも先延ばしにはできない」という合理的な思考と、


何より「原因が分からないまま、これ以上妻を不安にさせておくことはできない」という思いからでした。

ここから先、私は自らの体に突きつけられた
「計測不能」という絶望と、そこから雪だるま式に崩壊していく精神の闇と向き合うことになります。

ここから先は

13,054字

¥ 300

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?