この世界が、どこか嘘っぽく感じる理由
最近、こんな感覚を持つ人が増えている。
何かがおかしい。
誰も間違ったことは言っていない。
論理も通っている。
説明も十分されている。
それなのに、
どこか嘘っぽい。
誰かが意図的に騙しているような感じでもない。
陰謀論のような話でもない。
ただ、現実そのものに
薄い膜が一枚かかっているような感覚。
この違和感には、理由がある。
世界は「嘘」でできているわけじゃない
まず大前提として。
この世界は
悪意で嘘をついているわけではない。
誰かが裏で糸を引いているわけでも、
真実を隠そうとしているわけでもない。
ただ一つ、
構造がそうなっている。
私たちが生きているこの社会は、
「分かりやすくすること」を最優先に進化してきた。
説明できること。
定義できること。
測れること。
比較できること。
それらは本来、
便利な“目安”にすぎなかった。
でも、いつの間にか
目安が、本体になってしまった。
言葉にした瞬間、ズレ始めるもの
言葉は便利だ。
共通認識をつくれるし、
説明もできるし、
伝達も早い。
でも同時に、
言葉には決定的な欠点がある。
本質を削らないと、言葉にならない。
・肩書き
・役割
・ジャンル
・ラベル
・正解/不正解
これらは、
世界を理解するために生まれた。
でも今は、
理解するためではなく
安心するため に使われている。
「これは〇〇です」と言われた瞬間、
人は考えるのをやめる。
分かった気になる。
納得した気になる。
そして、感じなくなる。
この瞬間、
本質はもうそこにいない。
正しさが増えるほど、違和感が増える理由
今の世界は、とても正しい。
エビデンスがあり、
論理があり、
根拠があり、
説明責任がある。
だからこそ、
息苦しい。
正しさが増えるほど、
人は自分の感覚を疑うようになる。
「でも、そう言われればそうだよな」
「私の気のせいかもしれない」
「ちゃんと説明されているし」
そうやって、
違和感は置き去りにされる。
でも、違和感は消えない。
なぜなら、
違和感は間違いではなく、ズレの感知だから。
この世界が「嘘っぽく」見える正体
だから、こう感じるようになる。
・本当のことを言っているはずなのに、信用できない
・間違っていないのに、響かない
・説明されているのに、納得できない
それは
世界が嘘になったからではない。
削られすぎた世界 になったからだ。
分かりやすくするために、
削り、
削り、
削った結果、
「感じる余白」
「言葉にならない部分」
「説明できない確かさ」
が、ほとんど残っていない。
その空白を、
私たちは「嘘っぽさ」として感じている。
語らない、という選択
だから、
あえて語らない人がいる。
説明しない。
定義しない。
分かりやすくまとめない。
それは、
秘密主義でも
もったいぶっているわけでもない。
言葉にした瞬間、
本質が嘘になる世界だと知っているから。
語らないのは、
逃げではない。
残すための選択だ。
もし、あなたが違和感を感じているなら
それは、
あなたが鈍いからでも
理解力が足りないからでもない。
むしろ逆だ。
削られた世界の中で、
まだ“感じる力”が残っているということ。
答えを探さなくていい。
正解に辿り着かなくていい。
ただ一つだけ、覚えておいてほしい。
違和感は、壊れているサインじゃない。
戻ろうとしているサインだ。
この世界が少し嘘っぽく見えるのは、
あなたが嘘を見抜いたからじゃない。
削られる前の世界を、
どこかで覚えているから。
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