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卒業アルバムは作らない。不登校の我が家が「世間の正解」を手放して気づいたこと

我が家の息子は
小1〜行き渋り
小2〜完全不登校
現在中学生。マイペースに登校中だ。

常識を疑うことで見えてきたもの

息子は小学校の卒業アルバムを作っていない。

「卒業アルバムどうした?
写真撮りに行くか、先生から連絡くるよね?」

周囲からそう聞かれることは
正直よくある。
きっと、何か参考にしたいと思って
聞いてくれたのだろう。

けれど我が家は、特に迷うこともなく
「作らない」という選択をした。

全く迷いがなかったといえば嘘になる。

「卒業アルバムは全員作るのが普通」
「大人になっても残る思い出の品」
「寄せ書きだってしたいはず」

かつての私の中にも
そんな「常識」がしっかりと存在していたからだ。

でも、常識って一体なんなのだろう。
誰が決めたのだろうか。

子どもの不登校に悩み、苦しんでいた時期。
私は「誰かが決めた正解」に
当てはまらない現状に打ちのめされていた。

だからこそ
当たり前だと思っていた概念を
ひとつずつ疑ってみることにした。

どこの誰が作ったかもわからない
「社会の常識」や「同調圧力」は
今の私に本当に必要なのか。

それらが自分を苦しめているのだと
気づいたとき
たくさんの出会いの中で
「私の中での正解は、自分で決めていいんだ」
と知ることができた。

不登校を経験した
先輩親子からの話を聞くうちに
卒業アルバムを作らない選択肢も
十分に「あり」だと思えるようになっていった。


息子の選択と、冷たくない「関係ない」の真意

実際
息子が小学6年生になったとき
本人の気持ちを聞いてみた。

「卒業アルバム作りたい?
写真を撮ったりもするけど、どうしたい?」

すると息子は
「う〜ん、別にいらないかな」と答えた。

この会話だけで
我が家の選択はあっさりと決まった。

息子には初めから
アルバムへの執着などなかったのだ。

私の価値観が変わっていたからこそ
そこに悩みは生まれなかった。

「今後、作らなかったことを
後悔するかもしれない」

そう思ったことも、もちろんある。

でも、これは息子が決めたことだ。
正直に言えば
私には関係のないことなのである。

こう書いてしまうと
「親として冷たいのではないか」
「放任しすぎだ」
とお叱りを受けるかもしれない。

けれど
この「関係ない」という言葉の土台には
私なりの強い想いがある。

「息子が自分で決めたことなら
その結果も自分で引き受けることが
できるはずだ」

そんな、子どもへの絶対的な信頼が
大前提にあるのだ。

だから
この決断は決して冷たくなどない。
むしろ、息子への最大の信頼の証なのだ。


我が家の選択を「我が家の正解」にすればいい

そして、親が抱く「前提」は
子どもにしっかりともれなく伝わる。

特に、不登校を経験するような
感性の豊かな子どもたちは
親の心の奥にある信頼を瞬時に受け取る。

子どもたちは、親が
自分自身の生き方を見つめ直すチャンスを
嫌というほど投げかけてくれている。

そう思うと、子どもたちは
優しすぎる存在だ。

誤解のないように付け加えると
もし息子の完全不登校の時期が短く
学校に関わる機会がもっと多かったなら
「卒業アルバムを作る」という選択を
していた可能性も大きい。

その子の状況やタイミングによって
考え方も選択も変わって当然だ。

「不登校」と一言で言っても
その背景や状況は十人十色である。

だからこそ
周りに合わせる必要はない。

自分の家庭で出した選択を
堂々と「我が家の正解」にすれば
いいだけなのだ。

親が、その選択を
信じる勇気を持てるかどうか。

子どもは案外
大人が気にするような執着は
持っていないものである。笑

そう考えると
卒業アルバムを作るか作らないかという問題は
案外子どもではなく
親の心の問題なのかもしれない。



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