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ブラックホールには、物質は要らない。

素粒子物理学の観点からは、ブラックホールを非常に重い「素粒子」と見なす描像が、たまに議論されます。ブラックホールが質量、角運動量、電荷の3つの属性しか持たない、その単純さは素粒子とよく似ています。質量の軽い素粒子から考え始めて、その質量をどんどんと増やしていくと、やがてブラックホールになるという観方です。

素粒子の質量からは、量子的粒子に付随する典型的な波長であるコンプトン波長と、一般相対論における事象の地平面の半径、つまりシュワルツシルト半径が計算されます。

たとえば電子のコンプトン波長は10のマイナス13乗メートル程度です。これも日常的な感覚では十分に小さな大きさですが、電子のシュワルツシルト半径は10のマイナス57メートル程度となり、コンプトン波長に比べて桁違いに小さいのです。このため、電子はブラックホールとして振る舞うより、波動的な干渉性を示す量子として運動をします。

ところが、たとえば太陽質量のブラックホールでは、この大小関係が逆転しており、コンプトン波長が10のマイナス73乗メートル程度で、シュワルツシルト半径は数キロメートルとなります。このためブラックホールでは、量子力学の効果より一般相対論の効果が強くなります。

コンプトン波長とシュワルツシルト半径がほぼ等しくなる質量が、プランク質量であり、10のマイナス8乗キログラム程度です。これは微生物のミジンコの質量と同じくらいです。仮にミジンコが重量崩壊をしてブラックホールになろうとしても、それは量子的な揺らぎが最初から無視できない、量子重力的対象となります。

このような素粒子物理学の観点に固執をすると、ブラックホールが持つ質量は、時空的な起源ではなく、それを作った内部物質の質量に等しいのではないかと、ついつい思ってしまいます。地平面内部の時空特異点に物質が集中しているイメージです。しかし、それは一般的には間違いです。物質が全くない重力場、もしくは重力波だけからでも、質量を持ったブラックホールが作られると一般相対論では考えられているからです。

たとえば、物質が全くない重力場における「ブリル波(Brill wave)」の崩壊でも、有限質量のブラックホールが作られることが知られています。このブリル波解は、1959年にディーター・ブリルが最初に論じたものです。重力場中に非線形が強い励起を作れば、その励起の重力崩壊から質量を持ったブラックホールが作られるのです。これは物質が時空内に全く存在しない、真空解です。また2つの重力波の衝突からも、重力的な質量をもつ天体を生成できます。ただしその場合には、事象の地平面を持たない、裸の時空特異点を出す場合もあります。

ゲージ理論の観点から見ると、そもそも重力場は非可換群のゲージ場です。強い相互作用を記述する量子色力学(QCD)におけるゲージ場のグルオン場と同じように、物質と相互作用をするためのゲージ電荷を持っています。QCDのグルオン場が持つゲージ電荷は、SU(3)群における8重項表現のカラー電荷でしたが、一般相対論の重力場では、一般座標変換群の生成子がゲージ電荷です。ただし物質だと、このゲージ電荷は普通のエネルギー運動量に対応するテンソルなのですが、重力場では一般座標変換におけるテンソルではなく、その変換での擬テンソルではあります。しかしその擬テンソル性は、ブラックホール生成において本質的ではありません。

結局重力場自体もゲージ電荷であるエネルギー運動量擬テンソルを持っていますので、重力場自体の重力崩壊や、振幅が大きい重力波同士の衝突によるブラックホール生成が考えられるのです。これを踏まえれば、静的球対称ブラックホールとしての「シュワルツシルト解」が、物質を持たない本当の真空解であることも理解できます。

このシュワルツシルト時空で、ある時刻に現れる時空特異点には、重力崩壊した重力場だけしか存在せず、そこに物質は全くありません。外部の観測者が測るこのブラックホールの質量は、物質ではなく重力場そのものを起源にしています。普通の星の重力崩壊で作られる場合のブラックホールの観点と、上で述べた素粒子物理学的な観点にひきづられてしまうと、ついついシュワルツシルトブラックホールの内部にも物質があると考えがちになりますが、そこには注意が必要です。

少なくとも古典的な一般相対論におけるブラックホールは、やはり素粒子的な対象というよりも、純粋に時空的な対象と捉えられます。ただし、量子重力理論が完成した暁には、天体サイズのブラックホールも「マクロな量子系」として理解されることが予想されています。


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