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量子テレポーテーションは、本当はテレポーテーションではないのか?

量子コンピュータという言葉と共に、量子テレポーテーションという言葉も世間で見聞きすることが増えました。一見SFのような用語ですが、物理学の分野で既に実験が行われており、量子コンピュータなどの量子技術開発では応用されています。

しかし、「人間が本当に瞬間移動できるようになった」と、一般の方の中にはこれを未だ誤解されている方もいるようです。まず最初にお断りしておくこととして、人体は膨大な数の素粒子から出てきています。現在の技術ではその素粒子全てを量子テレポーテーションすることはほぼ不可能です。ただ理論として何か禁止される理由もないため、1つの思考実験として考えることは可能です。また物理学の専門家たちは「量子テレポーテーションによって、伝送時間がゼロとなる瞬間移動装置をつくることはできません」と繰り返し説明してきました。このような事実をしっかりと伝えることは、今でも意義のあることです。量子テレポーテーションのプロトコルでは、測定によって得られた「古典的な情報」を受け取り側の相手に伝える必要があります。その情報の伝達は光速という限界を超えることができません。つまり、相対論的な因果律は破ることはないのです。ですから、離れたところにいる受信者が瞬間に送信者の物体を手に入れるという技術ではないのです。

でも、少しややこしい状況ですが、現代的な量子力学の理解では、テレポーテーションの送信者にとって、量子的な「モノ」が、瞬時に受信者の領域へ移動する現象であることは、間違いないのです。今回はこの量子テレポーテーションについて、もう少し詳しく紹介してみたいと思います。

まず、SF作品などに登場する「テレポーテーション」とは何かを振り返ってみましょう。それは、人間の体を含むモノを遠く離れた場所へ瞬時に移動させるという技術です。では、その「モノ」とは何でしょうか。

現代物理学において最も基本的な「モノ」は、量子場の励起と呼ばれるものです。量子場は宇宙全体に広がる、まるで絨毯のような存在だと考えられています。電磁場もその一例です。その電磁場の励起が、可視光を含む電磁波という「モノ」を表しています。

電磁波は光子という素粒子の集まりですが、電子、クォークやヒッグス粒子などの他の全ての素粒子という「モノ」も、量子場の中で起こるさざ波、つまり励起として理解されています。そして私たちの体も、身の回りの物体も、すべてはこのような素粒子で構成されています。

ここで重要なのは、同種類の素粒子ならば、それらを区別する個性がないという点です。どの同種粒子も、同じ1つの量子場という絨毯にできた同じような「しわ」にすぎず、入れ替えてもまったく同じに見えてしまうのです。

たとえば電子とミューオンという異なる素粒子が、図1のように、空間の異なる領域に置かれているとしましょう。電子とミューオンは電荷は同じですが、その質量が異なります。

図1:電子とミューオンの場所の交換

交換後でも、その質量を測ることによって、確かに粒子の交換が起きたことを確認することができます。しかし、図2のように、電子を2個用意して、異なる空間領域に配置されたとき、その2つをこっそりと交換しても、何も物理的な効果を生みません。どちらが最初の場所にあった電子であるかを特定する方法が、原理的に存在しないのです。

図2:異なる場所に置かれた2つの電子の交換

A地点に置かれた電子と、B地点に置かれた電子には、電子の表面(実はその表面自体も存在していないのですが)の傷や形の変形のような個性自体がないのです。

しかし、様々な個性をもつ我々の体でさえ、電子のように個性を持たない素粒子の集まりで出来ています。それでは、私たちの体や物体などの個性は、一体どこからくるのでしょうか。その個性の違いは、素粒子の集まりの量子状態、つまりその集まりが担っている量子情報の違いから来ているのです。つまり、物体の個性やそのアイデンティティは、「量子情報」そのものなのです。この量子系の状態|ψ〉が、その物体の個性を記述しています。つまり、量子情報としての|ψ〉が、量子力学での「モノ」そのものなのです。また任意に作った1つの|ψ>を同じ2つの|ψ>にすることは量子力学の複製禁止定理(no cloning theorem)から不可能であることも知られています。つまり|ψ>という「モノ」のアイデンティティは非常に強いのです。そして、その量子的な「モノ」が、量子テレポーテーションできちんと転送されていることになります。

アリスとボブが離れた場所にいて、アリスはある量子系を持っているとします。また、アリスは他にも素粒子の集まりを持っており、それらはボブの持っている素粒子の集まりと量子もつれ状態にあるとします。そしてこの量子もつれは最大であると仮定します。この状態にあるとき、ボブの素粒子だけを見ても、何の情報も読み取れません。それらは最大エントロピー状態、つまり完全にランダムな状態だからです。

量子テレポーテーションでは、図3のように、アリスは|ψ〉の状態にある量子系と、ボブの素粒子と量子もつれ状態にあるアリスの素粒子に対して、特定の測定を行い、得られた測定結果をボブに電話やメールなどで伝えます。そして、ボブは自分の素粒子にその測定結果に依存した操作を行うことで、アリスの量子系が持っていた|ψ〉という量子状態を、自分の素粒子に再現できるのです。

図3:量子テレポーテーションの概念図

なおアリスが持っている元の量子系では、|ψ〉の情報は、アリスの測定直後に完全に失われています。ですから、「モノ」そのものである量子情報は、アリスの手元からボブに完全に転送されたことになるのです。

アリスの持っていた量子系を、具体的に量子ビット系としましょう。図4のように、アリスは2つの量子ビットを持っています。その1つの状態が|ψ〉であり、アリス自身は|ψ〉がどのような状態であるかを何も知らないとします。それでもアリスはボブに|ψ〉を送ることができるのが、量子テレポーテーションのメリットの1つです。

図4:量子ビット系の量子テレポーテーションの初期状態

アリスの他方の量子ビットは、ボブが持っている量子ビットととも、最大量子もつれ状態としての1つのベル状態になっています。

次に図5のように、アリスは自分の2つの量子ビットに、「ベル測定」と呼ばれる量子測定を行います。

図5:アリスのベル測定

このベル測定では、4個の異なる測定結果α=0,x,y,zが出てきます。図6のように、その各結果が出てくる確率は、いつも1/4となっており、|ψ〉に依存していません。得られたαを、アリスはボブにスマホで連絡し、ボブはそのαの値毎に物理操作を選んで、それを自分の量子ビットに施します。

図6:アリスは測定結果をボブに連絡し、ボブはそれに依存した操作を自分の量子ビットに行う

すると、図7のように、ボブの量子ビットはアリスの量子ビットが持っていた|ψ〉になります。

図7:量子テレポーテーションの完了

ここで面白いのは、図6の過程でのボブの量子ビットです。図8のように、アリスからスマホで測定結果αの値を知らされた瞬間に、ボブの量子ビットの状態は|ψ〉に依存したものに変化しています。このボブの量子ビットは厳重に保管されていて、電磁波などの外部のあらゆるモノが、その量子ビットと相互作用をしないようにしてあっても、ボブにとっては、その量子ビットの状態が急に|ψ〉の情報を持つようになるのです。つまり、ボブの量子ビットになんらかの物理的な作用がかかって、その量子ビットの状態が変化したわけではありません。

図8:ボブが測定結果αを知った瞬間に、ボブの量子ビットは|ψ〉に依存するようになる

これは所謂「波動関数の収縮」です。量子状態そのものが、知識的な概念であることを示しています。

ボブにとっては、アリスの測定結果を知った瞬間が、その量子ビットの状態が更新をされた時刻となるのです。つまり、量子状態の状態ベクトルや波動関数は、古典力学に出てきた物理的な実在ではなく、知識的な情報なのです。このことからも、量子力学は情報理論の一種であることが、改めて確認できます。

しかも、ボブがαを知ったときに、ボブの量子ビットに現れた|ψ〉に関する量子状態は完全であることも確認できます。αは異なる4つの値を持つのですが、図9のように、ボブは各αに依存したユニタリ操作を量子ビットに施すと、ボブの量子ビットには|ψ〉が完全復活しています。このユニタリ操作は|ψ〉に依っていません。ですから、その操作の前から量子ビットは|ψ〉の情報を漏れなく持っていたことになるのです。

図9:届くときに壊れた「モノ」を、ボブはαに依存した操作で直す

ボブがαを知る前には、ボブの量子ビットは完全にランダムな最大エントロピー状態でした。ところが、図10のように、ボブがαを知ることによって、ボブの量子ビットは|ψ〉の量子情報を漏れなく持っていることになります。

図10:ボブがαを知った瞬間に量子ビットは|ψ〉に依存するようになる

量子力学は情報を扱う理論であるため、同じ現象や事象でも、観測者の立場によってその記述は異なります。この量子テレポーテーションでのアリスの立場では、アリスが自分の2つの量子ビットを測定した瞬間にボブの量子ビットも|ψ〉に依存するのです。つまり、アリスにとっては、まさに|ψ〉という量子力学の「モノ」が瞬間移動しているのです。ですから「量子テレポーテーション」という名前は、実にこの現象にふさわしい用語と言えます。ただし、ボブにとっては、アリスの測定時でもまだ自分の量子ビットは最大エントロピー状態のままです。時間が経って、アリスの測定結果がボブに届いた瞬間に、改めてボブにとっても、自分の量子ビットが|ψ〉に依存するようになるのです。この時点でボブにはアリスから「モノ」が届いたのです。ただし、届いたその「モノ」は3/4の確率で壊れており、それを修復するためにボブは測定結果に依存した操作(ただしこの操作は、|ψ〉を知らなくてもできる、決まったもの)をする必要はあるのですが。

アリスの量子ビットとボブの量子ビット同士が直接やり取り(相互作用)をしていなかったことを考えると、「ボブの量子ビットは、アリスが情報を伝える前から、あるいはアリスが測定を行った瞬間かそれ以前から、すでに|ψ〉という状態に依存していた純粋状態だったのでは?」と考えたくなるかもしれません。

この問いに対する答えは、「そう考えてもいいし、そう考えなくてもいい」です。もともと、ボブとアリスの量子ビットは、ベル状態と呼ばれる特別な量子もつれの状態にありました。この状態では、ボブの量子ビットを単独で見ると、|ψ〉には依存しない、最大限にランダムな状態(最大エントロピー状態)になっています。

では、アリスの測定後で、まだボブにその測定結果が届いていない時期に、ボブの量子ビットは最大エントロピー状態か、それとも純粋状態か?このどちらの見方が正しいのかをボブ自身が確かめようとしたらどうなるでしょうか?その場合、アリスから情報を受け取る前に、自分の量子ビットをボブは測定する必要があります。

しかし、アリスの測定結果を知らないまま測っても、得られる結果はさまざまな可能性を平均したものにしかならず、はっきりとはわかりません。測定結果を知らないまだボブは、4つの異なる純粋状態を自分の量子ビットで観測します。それぞれの純粋状態が観測される確率は平等であり、1/4になっています。その確率で平均した混合状態は、任意の|ψ〉に対して成り立つ下記の数学的な恒等式から、アリスの測定以前の最大エントロピー状態に等しくなっているからです。

ですから、ボブはαの値を知る前に、本当に自分の量子ビットが純粋状態だったのかどうかを確かめようがないのです。つまり、アリスの測定後で、まだボブにその測定結果が届いていない時期に、ボブの量子ビットは最大エントロピー状態であると考えても、純粋状態の確率混合であると考えても、理論上はどちらも矛盾しません。どちらでも良いのです。量子力学における「知識としての現実(認識論的解釈)」では、特に問題にはなりません。


量子力学では観測者毎に記述が変わると言いましたが、では、アリスとボブもマクロな量子系と見なす外部観測者のクリスを考えると、この量子テレポーテーションはどのように見えるのでしょうか?

クリスから見たら図11のような初期条件になっています。アリスやボブだけでなく、アリスの測定器やスマホ、そしてボブのスマホや実験装置も全て量子系です。

図11:クリスから見た量子テレポーテーションの初期状態

ここで、具体的に次のようにベル状態の基底ベクトルを定義しておきましょう。

この4つのベル状態ベクトルを使うと、図11の初期状態は以下のように変形できることが、計算からわかります。

もうすこし図的に表せば、次のようになります。

図12

そして量子テレポーテーションが始まります。図13のように、まず量子系「アリス」と「測定機」が2つの量子ビットとユニタリ的な相互作用を行い、アリスの脳の記憶領域にその測定結果αが量子的な重ね合わせとして記録されます。なお、ここではα=0の結果をIと表示しています。

図13:量子系アリスが2つの量子ビットを相互作用をし、その結果を自分の記憶領域に記録する

クリスにとって量子的な重ね合わせ状態にあるアリスですが、その中の1つには、αがxという結果であると認識しているアリスが居ます。それを書いたのが図14です。アリスからボブのαの連絡も、クリスにとっては「量子通信」です。スマホの電波に含まれるαの情報は、各歴史の中で|ψ〉に全く依存していません。αが届いてからボブが行う操作も、クリスにとっては、ボブと装置を含めた量子合成系でのユニタリ的時間発展となります。

図14:量子重ね合わせのα=xの成分

図14ではα=xの成分だけが書いてありますが、αが0,y,zの場合の重ね合わせ成分でも同様です。ですから図15のように、測定後には4つの異なる歴史が量子的に重なっているのです。

図15:クリスにとっては4つの異なる歴史が量子的に重なっている

では、「モノ」としての|ψ〉は、アリスとボブの間の空間のどこを通過して伝わったのでしょうか?実は、空間のどの領域も通過していないのです。
|ψ〉は4つの異なる歴史のそれぞれの間の量子干渉項を通じてボブの領域に現れるのです。二人の間の空間領域を通過して|ψ〉が運ばれたと表現することはできません。これも、まさに「テレポーテーション」と呼ぶにふさわしい側面です。

アリスの2つの量子ビットとボブの量子ビット、そしてアリスの記憶領域の状態を、アリスが測定をした後で数式に書くと、次のようになります。

この式から、ボブの量子ビットを無視して定義されるアリスの2つの量子ビットとアリスの脳の縮約状態は以下になります。これらの量子系は、全てアリスの空間領域にあります。

クリスの視点では、アリスの測定後に|ψ〉は異なる歴史の間の干渉項だけに入っています。たとえばα=xとα=yの歴史の間の干渉項は、図16のようになっています。

図16:α=xとα=yの歴史の間の干渉項

一方でアリスは、クリスにとっては量子系としての内部観測者なので、このアリスの異なる歴史の干渉項をアリス自身は観測することはできません。このアリス領域の状態の重要な特徴は、|ψ〉の依存性が全て干渉項のみに現れていて、縮約密度行列の対角成分のどこにもでてこない点です。外部のクリスには、その非対角成分の干渉項を実験で見ることが原理的に可能ですが、歴史の対角成分しか観測できない内部のアリスには、原理的にもそれが不可能なのです。

そして既に上で述べたように、アリスにとっては、|ψ〉という「モノ」がアリスの測定の瞬間に、ボブの量子ビットへと飛んでいるのです。しかし、この量子テレポーテーションというマジックの舞台裏にいるクリスの立場では、アリスの測定後にアリスの領域から消えたように見えていた|ψ〉は、干渉項、つまりマクロな量子もつれの中へと巧妙に隠されて、まだアリスの領域に留まっています。その後、アリスからボブの通信によって、干渉項という「トンネル」を通って、空間の表舞台に出ることなく、光速度以下のスピードでボブの領域に|ψ〉は到着します。これがクリスの視点での、量子テレポーテーションです。

このようにアリス、ボブ、クリス、それぞれの見方では、同じ量子テレポーテーションでの|ψ〉という「モノ」の移動の描像は異なります。しかし、このうちのどれか1つだけが正しくて、他が間違っているというのではなく、どの観測者の見方もそれぞれが正しいのです。そして物理的に観測される事実においては、その三者の見方や計算は決して矛盾を起こさないのです。この意味で、量子テレポーテーションは情報理論としての量子力学の本質をはっきりと示している良い例だと言えます。

ところで、これまでは量子情報の転送としての従来の量子テレポーテーションを紹介しましたが、エネルギーを移動する量子エネルギーテレポーテーション(QET)というものもあります。2023年には実験で実現もしたQETについては下記記事をご覧ください。




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