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中平氏の主張は藁人形論法(strawman argument)である。

下記の回答に対してのコメントを、ここに書いておこうと思います。

この中で中平氏は

「『前提』を満たす理論を量子論とよび,その理論がもつ系を量子系とよぶ」という堀田先生の主張を受け入れると,「堀田量子本」のまえがきおよび第3章の内容と整合しない(具体的には矛盾などがある)ということです。

と書かれています。

本書第3章で主張されているのは、「ある特定のエネルギー領域で実験される対象系が量子系であるか否か」という点です。具体的には、特定のエネルギー領域において、対象系がボルン則や状態の重ね合わせ、量子力学の公理系を満たす場合に、その対象系を「量子系」と定義しています。この考え方を本書の主張Aとします。

一方で、中平氏の議論はエネルギー領域を限定せず、対象系ではなく理論そのものが「量子論であるか非量子論であるか」に焦点を当てています。ここで注意すべき点は、論じられているカテゴリーが異なっているということです。また、中平氏は本書第3章について「非量子論を否定できていない」との、第3章とは別の主張を展開しています。これを主張Bとします。

主張Aでは、特定のエネルギー領域で対象系が量子力学の公理を満たすという主張がなされています。一方、主張Bでは、異なるエネルギー領域において量子論とは異なる振る舞いを示す理論が論じられています。「対象系」への言及と「理論」への言及は違います。このように、両者の主張内容は全く異なるものです。しかしながら、中平氏は主張Bの証拠としてΘ理論を提示し、それを根拠に「本書第3章には致命的な誤りがある」と結論づけています。

中平氏の批判法は、「クオート・マイニング」とも呼ばれる典型的な「藁人形論法」の一種として知られています。主張Bはむしろ本書第15章で独立したテーマに関連しており、実験ベースでの検証を扱っている第3章とは直接的な関係がありません。藁人形論法であることを以下で検証してみましょう。お手元に「堀田量子」をお持ちの読者の方は、その前書きと第3章に実際に書かれている文言を確認して頂きたいと思います。

まず参考として紹介すると、Wikipediaには今回の件に当てはまる悪い議論の例が、「藁人形論法」として紹介されています。

A:私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。

B:そうは思わない。なぜなら子どもが屋外で遊ぶのは良いことだからだ。A氏は子どもを一日中家に閉じ込めておけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。

「道路」としか言及していないことに対し暗黙的に「道路=屋外」であると誘導し、さらに「危険だと思うなら家に閉じ込めておけ」という言外の要素を過剰に拡大して解釈している。

ストローマン - Wikipedia

「実験されるエネルギーで、対象系は量子系」という話への中平氏の批判もこれと似ていて、「量子系」としか言及していないことに対し、暗黙的に「量子系=量子論」であると誘導し、さらに「第3章では非量子論が否定されていない」と拡大解釈をしています。

これも踏まえて、本書を見ていきましょう。まず本書の「まえがき」には

本書では、そのような歴史的順序そのままの紆余曲折のある論理を辿らない
ことにした。一方で、線形的な状態空間やボルン則を用いた確率解釈やシュレディンガー方程式などを天下り的に公理とするスタイルもとらない。代わりに情報理論の観点からの最小限の実験事実に基づいた論理展開で、確率解釈のボルン則や量子的重ね合わせ状態の存在などを証明する。

「堀田量子」まえがきp iii

と書いてあります。つまりここでは「『前提』を満たす理論は量子力学の標準的な公理系を満たす」と中平氏が誤解している内容は全く登場しておらず、代わりに「最小限の実験事実に基づいた論理」で、「ボルン則」と「量子的重ね合わせ状態」の存在を証明するという記述のみです。私がここで意図しているのは、例えば下記の「第2.5章」やこれまでの彼への回答にも書かせて頂いた内容です。

つまりこの第2.5章の(5)式の関係式を含む、第2.5章の中の「最小限の実験事実」を、最初に実証をしておくという前提での話となります。その結果として、第2.5章のように、また本書第3章のように、ボルン則と量子的重ね合わせ状態の存在が確かに証明をされるのです。これが本書の主張です。「理論が証明される」とはどこにも書いていません。中平氏のコメントを見ると、まだ実験されていない高エネルギー領域にまで、ボルン則と量子的重ね合わせ状態が「存在」しているというのが本書の主張であると、拡大解釈をされているだけだと思われます。

実験をするエネルギー領域でのデータが、量子力学の公理系を満たす場合に、その対象系をその領域では「量子系」と呼びましょうというのが本書の主張です。この主張と、「量子力学の標準的な公理系を、今考えているエネルギー領域では満たすが、それより高いエネルギー領域では、公理を満たさない理論も、量子論とよぶ」という主張は、全く異なります。高エネルギー領域で公理を満たさないことが実験で確かめられた場合に、その領域まで正確に記述できる理論も「量子論」と呼ぶとは、本書のどこにも書いてません。これがポイントの1つです。

またこれ以外に、「まえがき」で関連していることに言及している部分は下記だけです。

第3章では、第2章の結果を多準位系に拡張する。量子状態や物理量を操作論的に実験で定義する基準測定の概念を導入することで線形的な状態空間が構成でき、その定式化の中で確率解釈におけるボルン則が導かれる。

「堀田量子」まえがきp iv

ここで「量子状態や物理量を操作論的に実験で」と書かれていることに注意を払ってください。ここでの「実験」という言葉には、実験できていない高エネルギー領域の言及が含まれていないのは明らかです。第2.5章のように、またそれ以前から説明をしている補足やnote記事のように、「基準測定」をまず実験で構成をすることや、ユニタリ操作の同定を実験で先に行っていることや、第2.5章(5)式の関係式が実験で成り立っていることなど、これら全てが、本書でのボルン則の導出には不可欠です。この実験のプロトコルの実装や結果の確認を、本書では「最小限の実験事実」としています。実験に基づいた実証科学では、数学の公理のように極少ない「前提」を考えることでは足りないのです。きちんとした主張をするための実証科学での「最小限」とは、それだけでもボリュームが出るものです。本書第15章のテーマのように、少ない数学的な理論への要請だけから、量子力学を数学として導出する話とは全く異なります。

また第3章で関連のある個所は、p37の以下の部分です。

「堀田量子」第3章p 37

この前半部分の多準位系の例示部分に出ている「量子系」という言葉は、上で説明をした意味を指しています。また後半部分でも、中平氏の主張とは全く違うと分かるはずです。上で述べたように、この議論でも実験で決まっているエネルギー領域があり、その範疇で「量子状態は実験的に定義される物理量の確率分布や期待値で一意的に定められると考える」というのが、本書の主張です。中平氏が反例とするΘ理論などでも、実験で確認できていないエネルギー領域までを含めて、量子状態は一意的に定められると主張しているのではありません。これについては下記をご覧ください。

逆説的で興味深くもありますが、むしろこのΘ理論の中には、きちん第3章の主張の性質が含まれていることが、上記ノートの後半のようにわかります。ですので中平氏の議論が第3章の内容を歪めた「藁人形論法」であることも明白です。

高エネルギー領域にいけば様々な新物理が現れて、それがボルン則や状態重ね合わせを満たさない可能性は、そもそも高エネルギー物理学でも想定をしていることです。(むしろそういう量子力学の破れのような現象を、早く見つけたいと多くの研究者は願っています。)しかし中平氏のΘ理論のように、理論全体としては量子力学の公理系を満たさないと言っても、今の実験データが公理系を再現しているのならば、理論ではなく、その領域での対象系が「量子系」と呼ばれるのです。本書では、この極普通の用語を用いているだけです。ですので中平氏の批判は本書に当たりません。

第3章で関連する残っている部分は下記です。

「堀田量子」第3章p 41

ここで「たとえ未知のN 準位系でも、… 物理的な操作は実現可能だと考えよう」とは、任意のN次元ユニタリ行列には物理操作が対応をしているという仮定をするという意味です。そしてただしこの仮定は、ボルン則や状態重ね合わせの導出に先んじて、実験で最初に検証しておくべきことだという主張です。ページ数の関係で本書では大きく省略してますが、「基準測定」をまず実験で構成をすることや、ユニタリ操作の同定を実験で先に行っていることや、第2.5章(5)式の関係式が実験で成り立っていることを確認するなどが、この記述箇所での「実験」を指しているのです。これは「堀田第2.5章」やこれまでの補足で、繰り返し何度も説明をしてきたことです。

以上が関連する本書の記述とその意味です。ところが中平氏は

  • 量子力学の標準的な公理系を満たす理論を「量子論」とよぶ。

  • 『前提』を満たす理論は量子力学の標準的な公理系を満たす。

が本書の主張だとされています。しかしこの1つ目の部分のように、公理系を満たす理論を「量子論」とよぶという主張は、本書では全くしていません。「理論」ではなく、公理系を満たす実験データを出した対象系を「量子系」と呼ぶと言っています。中平氏の言う「理論」ではなく、「対象系」です。

2つ目の中平氏の文章の中の『前提』ですが、これを第2.5章などで繰り返し説明してきた本書の前提だとするならば、「理論」が公理系を満たすのではなく、「実験されているそのエネルギー領域で、その対象系が、標準的な公理系を満たす」というのが本書の主張です。どこにも「理論が公理系を満たす」とは書いてません。

これも繰り返して説明をしてきたことなのですが、量子力学の標準的な公理系を満たす理論を探究することは、本書第15章でのテーマであり、本書第3章での主張とは全く関係ありません。

これまで述べてきたことから、中平氏が続けている批判は、典型的な藁人形論法(strawman argument)になってしまっているというのが、私の見解です。

中平氏には本書を印象で語らずに、具体的に本書のどの記述部分に「致命的な誤り」があるのかを、章、節、段落や用語などを正確に指摘して、説明をもらいたいところです。

なお細かいことですが、

(なお,この「量子論」は堀田先生のよび方です)

中平氏:堀田先生のコメント('24/12/23)への回答

という事実はありません。「量子論」という用語そのものを、教科書では全く使っておりませんし、普段から「量子論」という用語を使わないようにしています。「量子論」は、中平氏の書籍やnoteに頻繁に出てくるもので、観測問題についての彼からの批判への回答では、それを引用して答えたことはあっても、私が「量子論」というよび方をすることはありません。

追記(2024/12/29)

中平氏が本日2024年12月29日に、上記の記事をnoteに掲載されました。その中では、

私が批判していることが堀田量子本に書かれていないことを批判するのは,不合理

という、私にとってはとても理解に苦しむ主張がされています。そして今回も、「堀田量子」の何ページのどこの箇所の記述が、中平氏が主張をする「書籍『入門 現代の量子力学』の致命的な誤り」なのかが、全く明らかにされていません。こうした状況では、私としましても、これ以上誠実に対応を続けることもできません。

確かに、ページ数の制約などで一部読者にとって分かりにくい記述があったとは思いますが、拙書に「致命的な誤り」はないことを、既に検証をしております。また、わかりやすさを補うための説明を、「堀田量子第2.5章」として、既にnoteの記事に追加しております。ですので、中平氏の不合理な批判に対しては、これ以上の対応は必要ないと判断します。

今回更新された中平氏のnoteを通じて、これまでの中平氏の発言や記述が、拙書『入門 現代の量子力学』の特定箇所に対する具体的な批判ではないことが、私には明確になりました。そのため、特別な事情がない限り、今後中平氏に対して教科書に関する回答をする予定はありません。

これまでの中平氏との議論の、そもそもの発端は、中平氏が「堀田量子」のAmazonページに投稿した『量子論の数学的構造を演繹的に導出したという主張は誤り』というタイトルのレビュー記事です。今となっては、このレビュー記事も「藁人形論法」による主張であるということを、多くの読者の方にもしっかりとご理解をして頂けるものと、私は考えております。

中平氏のレビューや、これまでのnote記事などで、多くの読者の方の中には混乱をされた方もいらっしゃったと思われます。今後は皆様が中平氏の発言に振り回されることもなく、本書が皆様の現代的な量子力学の習得のお役に立てることを、今著者として深く期待をしております。今後ともよろしくお願い申し上げます。

追記(2025/1/4)

再び中平氏がnoteを更新されたようですが、何の批判だか分からないままの記事になっておりました。

本書に致命的な誤りがあると主張をされるのに、我田引水な議論ばかりで、結局本書の何ページのどこの記述が致命的に間違っているかの指摘も相変わらずないため、学術的な批判のフォーマットに載っておらず、真剣に捉える価値はないと、判断をしております。

彼のΘ理論でさえ、下記記事の後半に書きましたように、むしろ第3章の主張の内容を正確に含んでおります。ですからΘ理論は第3章の主張をむしろ証明してくれているのです。なので「藁人形論法」を続けられているようにしか、私には見えません。

ちなみに、彼のΘ理論のような話は本書第15章のテーマであり、そこには未解決問題だと書いてあることを、こちらが何回指摘をしても、それを無視し、本書第3章に対しての「藁人形論法」を続けられていることも、理解に苦しみます。


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