見出し画像

トンネル効果と「虚時間」-無からの宇宙創成-

2025年のノーベル物理学賞は半導体チップ上でトンネル効果を実現した研究に与えられました。トンネル効果とは、古典力学でエネルギー的に起き得ない反応が量子的な効果で起きる現象です。たとえば古典力学でポテンシャルV(x)の中を運動する質量mの粒子の運動は、

$$
m\frac{d^2 x}{dt^2}=-\frac{dV}{dx}
$$

というニュートン方程式によって記述されます。ここで図1のようなポテンシャルを考えてみましょう。図1では静止している粒子が2つあるポテンシャル最低点の1つに居る状態になっています。

図1

もう1つの最低エネルギー状態は、図2のように他方のポテンシャル最低点に静止する状態です。

図2

古典力学では、図1の状態に置かれた粒子は永遠にその状態を保ち、図2の状態にはなりません。ところが量子力学で考えると、図1の状態の粒子はある確率で図2の状態になれるのです。古典力学ではエネルギーが足らないためポテンシャルの山を越えられず、このような変化は起きません。ところが図3のように、まるでその山の下にトンネルを掘ってそれを潜り抜けたように粒子は移動するので、「トンネル効果」の名前が付きました。

図3:トンネル効果

これを量子力学の経路積分で書くことができます。最低エネルギー状態(基底状態)の波動関数に対して

$$
\langle x_2 |E_0 \rangle \langle E_0 |x_1 \rangle= \lim \limits_{T\rightarrow\infty } \int^{x_2}_ {x_1} Dx exp \left(  -\frac{1}{\hbar}\int^T_0 d\tau \left( \frac{m}{2} \left( \frac{dx}{d\tau}\right)^2 +V(x) \right) \right)
$$

という表式が得られます。これは実時間で運動する下記の普通の経路積分と少し違っています。

$$
\int^{x_2}_ {x_1} Dx exp \left(  \frac{i}{\hbar}\int dt \left( \frac{m}{2} \left( \frac{dx}{dt} \right)^2 -V(x) \right) \right) 
$$

トンネル効果の経路積分では、時間tが純虚数-iτになっています。

このことからよく「トンネル効果は虚時間で起きる」と表現されることもあります。たとえば経路積分の鞍点近似は、その作用の古典解を使って行われます。トンネル効果ではτを使って古典解は

$$
m\frac{d^2 x}{d\tau^2}=+\frac{dV}{dx}
$$

という方程式を解くことで与えられます。これは図4のように、元のニュートン方程式でポテンシャルの符号を反転させたものになっています。

図4:トンネル効果のインスタントン軌道

元の符号のままのポテンシャルでは、2つの最低エネルギー状態を繋ぐ古典解は存在しません。しかし、符号反転のおかげでその2つを繋ぐ解が出て来ます。この解を物理学では「インスタントン軌道」と呼びます。実時間ではたどり着けない地点に、トンネル効果では虚時間のインスタントン軌道を辿ってそこまで行くというのが、直観的な説明になります。

このインスタントン軌道は、トンネル効果による「無からの宇宙創成」にも応用されます。ビッグバン期の前の指数関数的膨張期のインフレーション宇宙は、ドジッター時空で記述されます。宇宙項がΛの4次元のドジッター時空は、下記の式で与えられる平坦な5次元時空の中のハイパボロイド超曲面(一葉双曲面)です。

$$
-(ct)^2 +(X^1)^2+(X^2)^2+(X^3)^2+(X^4)^2=\frac{3}{\Lambda}
$$

その時空計量は

$$
ds^2 =-(cdt)^2 +(dX^1)^2+(dX^2)^2+(dX^3)^2+(dX^4)^2
$$

で与えられます。時間tを遡ると、この宇宙は陽子よりもはるかに小さくなっています。するとそのような宇宙には量子力学の効果が大きかったはずです。量子重力理論では、そのミクロな量子宇宙は、揺らぎとして作られたり消えたりしていたと考えられています。そして図5のように、その量子揺らぎの宇宙はある確率で、トンネル効果を通じて古典的な宇宙に変化します。

図5:トンネル効果による無からの宇宙創成

その現れたり消えたりしている量子揺らぎのミクロ宇宙は、虚時間の中で球面の形状をしています。その時空計量は下記で与えられます。

$$
(c\tau)^2 +(X^1)^2+(X^2)^2+(X^3)^2+(X^4)^2=\frac{3}{\Lambda}
$$

虚時間では超球面であるこの宇宙には、どこにも尖った時空特異点はありません。また全ての点は平等です。時間も虚数となって空間化されているので、特別な時間の始まりの点も終わりの点も存在しません。その超球面上の任意の点を虚時間の始まりの点と見なせますし、その対極点が虚時間の終わりの点となります。これがハートルとホーキング博士が主張した無境界宇宙の境界条件(No-Boundary Boundary Condition)です。

このかれらのシナリオでは、宇宙の時間には特定の始まりはありません。しかしトンネル効果によって実時間の膨張を始めることができます。現在の観測では宇宙の年齢は有限で、約138億年と推定されています。宇宙には特定の時間の始まりはないのに、宇宙は有限の年齢を持っているわけですが、これは哲学者のカントが主張した時間の二律背反(アンチノミー)を覆しています。彼は、時間の始まりがあるとも主張できるし、時間には始まりがないとも主張できるとして、理性の限界を示唆しました。ところが現代物理学のロジックでは、少なくともこのカントのアンチノミーは間違っており、量子力学と相対論によって、カントが言った矛盾は高い視点で統合できるのです。


いいなと思ったら応援しよう!

Masahiro Hotta サポートありがとうございます。