ベル不等式は、哲学の「実験形而上学」を生み出したことになるのか?
2022年のノーベル物理学賞が与えられた、3人の研究者の功績は、全てベル不等式の破れの実験的な確立に関わっています。
彼らが行った実験は、相対論的な局所性とモノの実在性を合わせた「局所実在性」を否定する重要な結果をもたらしました。実際にはベル不等式を簡略したCHSH不等式の破れを検証したのですが、この不等式に関しては下記の動画がわかりやすいと思います。
ところで、このベル不等式(CHSH不等式)は「実験形而上学」という分野も生み出したと、科学哲学者で、かつCHSHの「S」でもあるアブナー・シモニーが主張をしています。これについて、最近の数理科学の下記記事でも言及をされていました。
ところで、4.1節で注意したように「実在値がある」という仮説は、科学として扱えないはずだった。しかし、「局所性」の仮定を組み合わせることで、突如として科学的に検証可能なものとなった点に注目してほしい。実は、ベルの定理には「単体では科学的に検証できない仮説が、複数組み合わさることで検証可能になる」という事実が発見されたという意義も含まれているのだ。かつてシモニーは、形而上学的問題に対するこのような方法論を「実験形而上学」と呼んだ。
しかし、このシモニーの主張は正しいのでしょうか?たとえば、CHSH不等式自体を導くのに、「実在値がある」という実在性と、相対論的な「局所性」の、それぞれ単体だけでは駄目で、本当にその両方を同時に組み合わせる必要があったのでしょうか?それを今回は少し丁寧に考えてみましょう。
いろいろあるCHSH不等式の導出で、「実在値がある」という条件は、どこに現れているでしょうか?拙書『入門現代の量子力学』の第1章でのCHSH不等式の導出では、スピン粒子Aを考えたときに、Aのスピンy成分の値とスピンz成分の値の両方が、測定前から実在していたということに使われています。そしてスピン粒子Bについても斜めに置かれた別な座標系でのBのスピンy’成分の値とスピンz’成分の値の両方が、測定前から実在していたという部分に現れています。
具体的にCHSH不等式の導出で反映されているのは、その4つの実在値に対する下記の同時確率分布の存在を仮定する部分だけなのですね。

そして、AとBのスピンの値のデータの積の平均値が、(1)式の確率を使って、(2)式のように、通常どおり計算可能であるという部分にだけ、「実在値がある」という仮定は、使われています。

ここで指摘したい重要な点は、(1)式と(2)式の仮定自体に、相対論的な局所性が必要ないことです。このスピンというものが空間のある局所的領域に実在していると仮定する必要はなく、図1のように、宇宙全体にその自由度は広がっていて、かつ情報伝達について光速度cを無限大としたような「非相対論的な対象」だと思っても、(2)式さえ崩さなければ、(3)式のCHSH不等式は自動的に成り立ってしまうのです。


つまり、「局所性」が成り立たなくても、CHSH不等式は導けるのです。この観方でいうと、CHSH不等式が「局所性」と「実在値がある」の両方を仮定して、初めてCHSH不等式が成り立つという主張は間違っています。局所性を持たない、宇宙大に広がったスピン自由度だとしても、その「実在値がある」ということが、単体で、実験から否定をされたのです。したがって、この文脈の中では、「実在値がある」という主張は、単体で科学としての意味があったということにもなります。そしてこのことから、『ベルの定理には「単体では科学的に検証できない仮説が、複数組み合わさることで検証可能になる」という事実が発見された』という、実証形而上学というものの意見は、適切ではないということになります。そもそも、ベルの不等式(CHSH不等式)の発見によって、単体では科学的に検証できない仮説が、複数組み合わさることで検証可能になる「実証形而上学」というものが、学問として成立したのかも、意見は大きく分かれるところでしょう。
結局、CHSH不等式の成立条件とは独立に、CHSH不等式の破れを発見した実験によって、もっと複雑な隠れた変数理論もすらも、一緒に否定できているという話なのです。「実証形而上学」で主張された例もそうです。スピンという実在自体は局所的で、その背景には隠れた変数λの確率分布があり、そのλの情報伝達は相対論的な因果律を満たすことで、スピンAの測定行為がスピンBには物理的な影響を与えないという設定も、この実験で否定をされます。下記の田崎さんの動画の解説に添付された、付録 『Bell-CHSH不等式の導出』にも出てくる、「より複雑な隠れた変数理論」なども一緒に否定されるというのが、この実験結果の意義なのです。
さらに不自然な設定ではありますが、「局所性」と「スピンの実在値」の2つは仮定をするけれど、その時間発展は非決定論であるという、プラスα的な立場も、同時にCHSH不等式の破れの実験から否定ができています。単にそういう話なのです。
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