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💟南朝復権と明治天皇-⛰️御正体山と⛩️明治天皇陵との神風串呂3

🎀串呂哲学研究ノート 第503号

💞はじめに

明治維新という激動の時代において、明治天皇(大室寅之祐)は単なる近代国家建設の象徴にとどまらず、深遠な歴史的使命を帯びた存在であった。

☀️その使命とは、忘れられたもう一つの皇統——南朝の復権である。

本稿では、明治天皇(大室寅之祐)の出自にまつわる「明治大室王朝説」を軸に、神風串呂しんぷうかんろ(かみかぜくしろ)という神秘的な地文学を通して、南朝復権の大業を読み解いていきます。

明治天皇(大室寅之祐/1852年-1912年)

🏯南朝正統論と明治天皇の南朝復権策

明治元年、王政復古の大号令とともに、天皇親政が宣言されたが、その背後には「南朝正統論」を根幹とする思想的潮流が脈打っていた。明治天皇は即位直後から、南朝皇子を祀る神社の建立を矢継ぎ早に命じている。

特に注目すべきは、南朝軍の精神的支柱であった信濃の宮しなののみや宗良むねなが親王を祀る⛩️井伊谷宮いいのやぐうと建武の新政で活躍した悲劇の皇子・大塔宮おおとうのみや護良もりなが親王を祀る⛩️鎌倉宮の創建である。

これらは明治2年(1869年)という早い段階で着手されていて、明治天皇の南朝復権への強い思いを物語っている。

☀️神皇正統家の略系図

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

⭕神皇正統とは、往昔、崇神天皇の御代に創始された皇室制度で定められた「三種の神器(形代)」を継承した天津日嗣の天皇という意味です。

上記の系譜をご覧になれば、宗良親王を祀る⛩️井伊谷宮の建立は、単なる歴史的顕彰ではなく、明治天皇が自己の出自をあらわす象徴的行為であったことに気がつくだろう。

この件は、護良親王の⛩️鎌倉宮についても同様である。上記の系譜の興良おきなが親王は、護良親王の王子と同名であるからだ(詳細後述)。

さらに注目すべきは、明治政府が意図的に推進したと思われる南朝正統化の政策である。明治10年には「大政紀要」において南朝が正統と明記され、明治44年には「南北朝正閏論せいじゅんろん」により南朝正統が聖断され、教科書も改訂された。これは単なる歴史認識の転換ではなく、皇統の正統性を南朝と定めた明確な国家的意思表示であった。

これらの南朝復権策の背後には、三浦芳聖師が述べているように、明治天皇が南朝第99代・松良天皇の第四皇子「光良親王」の王孫であるという「明治大室王朝説」が深く関わっている。

また、皇居前に建立された楠木正成像くすのきまさしげぞう(明治33年)や、南朝忠臣の子孫を華族に列する政策なども、南朝の精神的復権を象徴するものである。これらの一連の動きは、明治天皇が「朕は後醍醐天皇の王孫なり」と公言せずとも、その思いを南朝復権策に託して表現した証拠といえる。

👑「明治大室王朝説」とは何か

この一連の南朝復権政策の背景には、「明治天皇=大室寅之祐」説、すなわち「明治大室王朝説」が横たわっている。

これは、明治天皇が南朝第99代・松良天皇の第四皇子「光良親王」の王孫であり、明治維新は長州藩によって庇護されてきた光良親王の王孫「大室寅之祐」を擁立した南朝革命であったという仮説である。

この説は、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を読んだ鹿島曻の著書「裏切られた三人の天皇 増補版:明治維新の謎」により詳細に論述されて明らかになっている。

正史では認められていない「明治大室王朝説」だが、先般、串呂哲学で検証することができた。

🗾神風串呂──地上に刻まれた神界のメッセージ

神風串呂とは、特定の地名や山岳・湖沼などを直線で結ぶことで神意や歴史的真実を読み解く地文学で、神皇正統家に極秘で伝承された秘法である。

今回解明されたのは、⛰️御正体山(山梨県)を起点に、⛩️明治天皇陵(京都市伏見区)を経て、岡山市南区の「南輝なんき」へと至るラインである。

南輝なんき(岡山市南区)-⛩️明治天皇陵(京都市伏見区)-⛰️御正体山(山梨県)

⛰️御正体山と⛩️明治天皇陵との神風串呂(Google.map/縮尺約118万分の1)
岡山市南区南輝(⛰️御正体山と⛩️明治天皇陵との神風串呂/Google.map)

この「南輝なんき」という地名は、「南朝を輝かす」と解読され、明治天皇の御代に推進された「南朝復権策」を彰示する象徴的地文として構築された、神界からのメッセージと思われるのである。

従って、明治天皇の南朝復権策は、天皇の意識とは無関係に、神皇正統家の血脈を再び顕現させるための道標(みちしるべ)であり、その背景には皇祖 天照大御神をはじめとする日本神界の悠久遠大なる神経綸かみしくみ(神計画)が存在していたと思われるのである。

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【参照】
明治政府が実施した主な南朝復権政策
✅明治2年(1869年)  建武中興十五社(南朝神社)の建立始まる。
✅明治10年(1877年) 「大政紀要」にて南朝が正統の記載。
✅明治33年(1900年) 7月、皇居前に南朝大忠臣 楠木正成像を設置。
✅明治44年(1911年) 南北朝正閏論で南朝正統と聖断、教科書改訂
✅南朝忠臣(楠木 新田 北畠 菊池)を顕彰し子孫を華族に列す。

⛩️井伊谷宮建立の歴史(『井伊谷宮- Wikipedia』)
明治2年(1869年)宗良親王を祭る神社の創建が決定。
明治5年(1872年)1月23日 宗良親王御社を井伊谷宮と称す。
明治6年(1873年)6月9日 官幣中社に列した。

⛩️鎌倉宮建立の歴史(『鎌倉宮- Wikipedia』)
1869年(明治2年)2月、武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じて自ら宮号を「鎌倉宮」と名づけた。7月15日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営された。
1873年(明治6年)4月16日に明治天皇は鎌倉宮に行幸し、同年6月9日に鎌倉宮は官幣中社に列格した。

☀️神皇正統家の略系図

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

上記の神皇正統家系譜に記載されている宗良親王の次の「興良おきなが親王」は、三浦系譜では「宗良親王の第一王子」と記録されていたが、一般的に「興良親王」といえば護良親王の王子をいう。

大室系譜を見た人達は、宗良親王の次の「興良親王」は、護良親王の王子の可能性があると考えたとしても不思議はない。内戦中であった南北朝時代の歴史は謎が多いからだ。

宗良親王 - Wikipedia 
井伊谷宮 - Wikipedia
護良親王 - Wikipedia 
鎌倉宮 - Wikipedia
興良親王 - Wikipedia

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本稿は「明治大室王朝説」についての串呂哲学による研究記事です。
「明治大室王朝説」とは、『明治天皇は、南朝 第九九代 松良天皇の第四皇子「光良親王」の王孫(大室寅之祐)である。』という仮説です。

前号からの続きですので、初めての方は、まず下記をご覧下さるようお願いします。


🟡神風串呂を学びましょう!

🟡バックナンバー(総合)

🟣情報拡散のお願い
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
🌷この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖師が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

🌷串呂主宰神 天照大御神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

🌷神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

神風串呂の主宰神は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。


🟡祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします!



☀️南朝復権を彰示する神風串呂

❇️重要地文の列記と解釈

「⛰️御正体山と⛩️明治天皇陵との神風串呂」に配置されている関連地文の中から、明治天皇が実施した南朝復権政策を理解する上で、特に重要と思われる地文を列記し解説を加えました。

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