カネ文学:『コンビニと現代の奴隷制度』
夜中に電球が切れたときも、朝方に弁当を買い忘れたときも、僕らの生活には必ずそこにコンビニがある。
雨が降っても、終電を逃しても、風邪で寝込んだ夜でも、あの明かりは消えない。
24時間、当たり前のように灯り続けるその光が、僕らの日々の快適さを何気なく支えている。
便利さはもはや空気のようで、それがない暮らしなんて想像もできない。
だが、その便利さの裏には、一家の眠れぬ夜がある。
契約書には「フランチャイズ加盟店」とある。
立地を選び、経営計画を立て、独立した事業主として成功を目指す──はずだった。
けれど現実には、仕入れもシステムも価格もすべて本部が握る。
契約の前提にあるのは家族がいることだ。
そしてその家族が深夜のシフトに入ることまで、すべてシミュレーション済み。
「家族を働かせるかどうか」などという選択肢は存在しない。
そこにあるのは事業主という名の雇用形態ですらない世界。
労働法の保護もなく、経営判断の自由もない。
自由契約の仮面をかぶった現代の奴隷制度だ。
かつての貸金業界も同じだった。
法改正の前まで、「借りるのは自由」「金利は自己責任」という論理で突っ走った。
情報格差と力関係の非対称性は、いつだって弱い側を追い詰める。
そして規制の波が来たとき、その構造は一気に崩れた。
コンビニ業界にも、同じ雪崩の足音が聞こえているのかもしれない。
そして僕ら国民もまた、24時間の明かりの下でその便利さを享受し続け、
この奴隷制度の共犯者として、何も見なかったふりをしているのだ。
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