ホーチミン観光の「正解」。この2カ所を抜きに、ベトナムは語れない。
歳月を経て向き合う、ベトナムの記憶
今回、約10年ぶりに戦争証跡博物館の門をくぐった。そして、これまで機会を逃し続けていたクチトンネルへと、初めて足を運ぶことにした。
妻の両親と妹がベトナムに来ることになり、家族旅行に参加させてもらったのがきっかけだ。サイゴン川ディナークルーズ、シティー観光バス、AO Show、メコン川、オーダーメイド服作りなど、ホーチミンのド定番を案内。在住8年目ながら新たな発見もあったので、記憶の新しいうちにまとめておこうと思った。
「ホーチミンには、これといった観光地がない」
在住者の間でもよく耳にする言葉だが、今回この2カ所を訪れて、その考えはがらりと変わった。結論から言えば、ホーチミンに来たら、ここだけは絶対に行くべきだと思う。10年前の「異邦人」だった自分と、生活者となった今の自分では、受け取る重みが全く違っていた。
ベトナム戦争の「そもそも」
さて、ベトナム戦争の歴史についてだが、そもそもなぜこの戦争が起きたのかを改めて調べてみた。以下、簡単なあらすじである。
1945年、第二次世界大戦が終わり、ベトナムは日本からの独立を手にした。……のもつかの間、日本が占領する前の旧宗主国であったフランスが、ベトナムを再び支配下に置くため侵略戦争を仕掛けてくる。独立を維持したいベトナム(ホー・チ・ミン)は、アメリカの独立宣言の一節を引用してまでトルーマン大統領に助けを求めるが、アメリカはこれを完全に黙殺した。
当時のアメリカは、ナチス・ドイツに対する宥和政策の失敗(ヒトラーに譲歩しすぎて第二次世界大戦を招いてしまったこと)から、極度の被害妄想モードに入っていたのだ。当時のアメリカの知識人たちが導き出した結論はこうだ。
「共産主義を信奉するホー・チ・ミンが主導するベトナムは、共産主義国である。彼らはフランスから独立したいと言っているが、もし独立を認めたら東南アジアが次々と共産化し、いずれは我々の自由主義を潰しに来るだろう。これを止められるのは我々しかいない。なんだか怖いから、とりあえず今のうちにボコボコにしておこう」
これが、後にアメリカを泥沼に引きずり込むことになる「ドミノ理論」の正体だ。
一方で、ベトナム側はどう考えていたかというと、彼らは純粋なナショナリズムから独立を切望していただけだった。このことは、ベトナム独立宣言からも伺える。決してソ連や中国と結託して、自由主義陣営を潰そうなどと目論んでいたわけではない。
相手が何を考えているか分からない、敵になるかもしれなくて怖いから、先手を打って叩いておこう――突き詰めれば、それがベトナム戦争の起こりなのである。
圧倒的な物量による攻撃と「執念」
こうして始まったベトナム戦争だが、アメリカによる攻撃は熾烈を極めた。戦争証跡博物館には、当時の攻撃がいかに凄まじいものであったかを知るための、生々しいデータが展示されている。
まず驚かされたのは、第二次世界大戦との比較だ。戦争の期間、爆弾の投下量、そして一国に注ぎ込まれた戦力の密度。どれを取っても、ベトナム戦争の凄まじさは第二次世界大戦の局地的な記録を遥かに凌駕している。
20年近くもの長期にわたり浴びせられた爆弾の総量は、広島・長崎に落とされた原爆の数百倍に相当する威力だったという。民間人をも巻き込む爆撃を受けても、枯葉剤でジャングルを枯らし尽くされても、ベトナムは決して降伏しなかった。クチでは、地下に全長250キロメートルにも及ぶトンネルを掘り、ひたすら耐え忍びながらゲリラ戦を展開したのである。
戦争証跡博物館には、当時の様子をありありと捉えた写真が数多く展示されている。写真の中の兵士や農民の瞳から伝わってくるのは、負けてなるものかという、ある種『異常』とも言えるほどの苛烈な執念だ。彼らをそこまで突き動かしたものの正体は何なのか。私は、彼らの精神性が持つ計り知れない深淵に、強く揺さぶられた。
1100年というバックボーン
翌日、私はクチトンネルへと向かった。案内してくれたのは、日本語ガイドのNha(ニャー)さん。留学経験はないというが、耳を疑うほど流暢な日本語を話す彼が、道中で一つの数字を見せてくれた。
1100
「これは、ベトナムが戦火の中にあった合計の年数です」
内訳は、対中国が約1000年、フランスが50年、アメリカが20年。「私たちにとって、アメリカとの戦争は、1000年以上続く歴史のほんの一部でしかないんです」とNhaさんは教えてくれた。
1100年。10世紀に中国から独立を回復して以来、外圧に対する抵抗の歴史の総体。私はこの国の人々が背負ってきた歳月の長さと、そこに流れる自負を見た。前日に博物館で圧倒されたあの「執念」の正体は、たかだか20年程度の苦難では揺るがない、とてつもない歴史の厚みから来るものだったのだ。
クチの地下迷宮にて
実際のクチトンネルの現場で、私はベトナムという国に対して改めて「畏怖の念」を抱くことになった。
そこにあったのは、単なる隠れ家ではない。爆弾を落とされて地表が破壊されれば、爆弾の届かない深さまでさらに深く掘り進める。事実、クチトンネルは地下三階建ての構造になっていた。これを手と鍬だけで掘ったというのだから驚きであるが、他にも様々な驚くべき仕掛けが施されている。
まず、キッチンから出る煙で居場所がバレないように細い竹の筒を張り巡らせ、煙を分散させる。これを発案者の名にちなんでホアン・カム・ストーブというらしい。
他にも、ガイドのNhaさんが興味深いサンダルを紹介してくれた。よく見ると、なんと前後が逆になっている。このサンダルを履いて歩くと、足跡が実際に歩いた方向とは逆の向きにつく。そうすることで、トンネルの入り口を特定されないよう隠すことができるのだという。
クチトンネルツアーの締め括りは、実際のトンネル体験だ。全長50メートルほどのトンネルをくぐり抜けるのだが、これがとにかく狭い。アヒル歩きでなければ進めないのだ。これでも観光客向けに、当時のトンネルより少し広げているらしい。50メートルを這うように進むだけでもかなりの疲労を感じた。この過酷なトンネル生活を約20年に渡り続けてきたという事実に、私はただ、底知れぬ人間の執念に対する畏怖の念に打たれるほかなかった。

Nhaさんも言っていたが、正に、「勝つため(負けないため)なら何でもした」のだ。
狭く、暗い土の中で、彼らは何年も息を潜め、反撃の機会を待っていた。1000年以上という途方もない戦いの歴史を背負った人々の「底力」を、全身で突きつけられたような気がした。これが、現代のベトナムの高度経済成長を支える礎にもなっているのだろう。
戦争証跡博物館とクチトンネル。ホーチミンに来る際は訪問してみて欲しい。長々と感想を書いてはみたものの、やはり自分の足で立ち、その空気に触れることでしか得られない感覚がある。ベトナムという国をより深く理解し、その歴史を自分の中に落とし込むための、これ以上ないきっかけになるはずだ。
