ありがとうのちから。
午後8時。
仕事終わりで身も心もクタクタだった。
一刻も早く帰りたい。
そんなときに限って、ガス欠のランプが点く。
帰り道のスタンドで給油して、ついでに併設のコンビニに入る。滅多に使わない店だった。
「いらっしゃいませ」
女性店員の、やけに元気な声だった。
私は、コーヒーマシンを清掃しているその人の後ろを通り、店内のゴミ箱に空き缶を捨てた。
「ありがとうございます!」
……なんで? ゴミを捨てただけですが?
そう思うも、私は疲れていた。
店内を一周して、飲み物と軽くつまめるものを手に取り、レジへ向かう。
レジには、さっきの店員さんと先客が一人。
並んでいるあいだ、何度も聞こえる。
「ありがとうございます!」
買い物を終えたお客さんは、軽く会釈をして帰っていった。
私の番が来る。
「大変お待たせいたしました!」
……いや、そんなに待ってないですよ。
店員さんは小柄で、少しふっくらしていた。マスク越しでも、目尻がやわらかく下がっているのが分かる。四十代くらいだろうか。
「ポイントカードはお持ちですか?」
差し出す。
「ありがとうございます!」
「袋はご入用ですか?」
「お願いします」
「ありがとうございます!」
商品がスキャンされていく。
「4点で1,032円でございます!」
「32円分、ポイントでお願いします」
「はい!32円分ですね、ありがとうございます!」
レジの表示が、ちょうど1,000円になった。
5,000円札を出す。
「はい、5,000円ですね、ありがとうございます!」
──これは、このリズムは。
私はもう、少し面白くなっていた。
合いの手のように繰り返される、『ありがとうございます』のラッシュ。
「ご確認お願いします。千、二千、三千、四千円と、レシートのお返しです」
お釣りとレシートを受け取る。
財布にしまうさなか、自然と言葉が出ていた。
イレギュラーなのはわかっている。だが言わずにいられない私がいた。
「とても良い接客ですね。尊敬します」
言った直後、店員さんは目を丸くし、両手で口元を押さえた。感激と驚きのあのポーズだ。
「嬉しいです! そんなこと言ってもらえるなんて……ありがとうございます!」
その日一番の「ありがとうございます」だった。
そのリアクションを見て、こちらも笑って会釈を返した。
「また、いつでもご来店お待ちしています!」
退店しようとする私を見送る声。
(いや、多分、私が何度来てもあなたの給料には関係ないでしょ)
まるでショートコントみたいな買い物だった。
コンビニを出て車に乗り込む。
気づけば、口角が上がっていた。
ほんの数分の出来事だった。
明日になれば、また同じ仕事でまた疲れる。
それでも──
明らかに、気持ちが軽くなっていた。
感謝されることはしていないのに、
「ありがとうございます」
仕事としての一言でいいのに何度も、
「ありがとうございます」
それだけで、こんなにも軽くなる。
理屈じゃない。
言葉って、すごい。
……というか、あの店員さんがすごいのか。
いや、多分、どっちもだな。
エンジンをかけて、走り出した。
──こちらこそありがとうございます。
車内でひとり、呟いた。
