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【短編小説】『笑顔のために』         #いまあなたに伝えたいこと

実家の断捨離をしているとき、古いポーチの中からハガキの束を見つけた。

「なんだこれ?」

その中の1枚を見た瞬間、記憶が蘇った。

「ゆうパパの手紙だ」

裏面は白い部分がほとんどないくらい、文字でびっしりと埋め尽くされていた。

顔を近づけないと読めないほどの小さな字で、一行目は──

「筆者は見た。四丁目の豆腐屋の親父が──」

から始まっていた。

まるでコラムか小説の書き出しで、一人暮らしの姪っ子に送るものとは思えなかった。

断捨離の手が止まり、私はそれを読んでいた。

思わず、ふふっと笑ってしまう。

初めて読んだ、22歳の私のように。

あれは15年前。

社会人として働き始めた頃の話。



東京の専門学校に入学して、一人暮らしをする。

検査技師の資格を取る。

その目標を達成し、なおかつ市で一番の規模を誇る総合病院に就職することができた。

素直に嬉しかった。

が、余韻に浸ることもできないくらい、仕事は忙しかった。

「検査結果まだですか!?」

催促が止まない。

とにかく動いた。動き続けた。

休憩ってなんだっけ? そう真面目に考えてしまうほどに。

普通の体力がある人なら、それでもやっていけるのかもしれない。

ただ──。

私は、生まれつき臓器の難病を抱える身体障がい者だった。

学生時代は偏見を心配して隠し通してきたが、社会ではそうもいかない。

だから、障がい者雇用枠での採用だとしても、やるべきことをやるだけだと思っていた。

そして現実は、ただ現実だった。

誰も私を特別扱いしない。

みんな余裕なんてない。

次々と患者の検体が血液検査室に運ばれてくる。

それを迅速に、正確に検査して医師に伝える。

私の一分は、医師の一分であり、看護師の一分であり、患者の一分であり、病院全体の一分だった。

「外来はこれでラストです」

医療助手さんが、最後の検体を運んできた。

ようやく一息ついて、時計を見る。

定時は過ぎていた。

使った機械を洗浄し、残り番の同僚に引き継ぎをして、一日が終わる。

目まぐるしい日々の中で、体力はもう限界だった。──いや、どこが限界なのかも、わからなくなっていた。

病院を出て、まっすぐアパートに帰る。

ポストに一通のハガキが届いていた。

手に取り、宛名を見る。

小野川はるか様。

私だ。

差出人は小野川卓志。

叔父だった。

裏面を見ると、いたずらかと思うくらい文字だらけだった。

「うっわ」

思わず声が出た。

……これを読めと?

ハガキを持ったまま部屋に入り、ベッドに投げた。

まずシャワーに向かった。

──とにかく、リフレッシュが先だ。



シャワーの後、ベッドに腰掛けた。

濡れた髪をタオルで拭きながら、ようやくハガキに目を通した。

内容はというと、

筆者がどうとか、婆ちゃんが風邪を引いてうるさいとか、野良猫が居着いてしまったとか、

世間話と空想が混ざったような、不思議で、脈絡がない文章だった。

そう思いながらも、気づけば最後まで読んでいた。

途中で、何度か笑ってしまった。

読み終えたハガキをサイドテーブルに置き、代わりにドライヤーを取って髪を乾かし始める。

──私は、実の父親と会ったことがない。

私が生まれてすぐ、母と離婚したからだ。

理由は、障がい者の父親になる自信がなかったからと、後に知った。

物心ついたとき、母の隣にいたのは、母の実兄である叔父だった。

それを不思議だと思ったことはない。

公園やプール遊び、釣りや自転車の練習。

叔父は、「普通の子」として育ててくれた。

その結果、この性格となった。

私は叔父のことを子供の頃から「ゆうパパ」と呼んでいた。

理由は、実の娘の優花ちゃんのパパだから。
子供ながら気を利かせてパパと呼ぶのは遠慮したんだろう。

でも叔父は、娘と変わらないくらい、いやそれ以上に私を可愛がった。

私と優花ちゃんとゆうパパでふざけ合って、笑い合って、そのうち仕事終わりの母が迎えにきて。

住む場所が離れた今も、関係は変わらない。

叔父で、父親で、友達みたいな存在だ。

だから、いきなりこんなハガキを送ってくる。

──元気にしてるか?

──心配してるぞ。

そんなことは、絶対に書かない。

でも、それでいい。

それが、ゆうパパだ。

少しだけ笑って、少しだけ元気をもらって、その日は終わった。



次の日も、叔父からのハガキがポストにあった。

その次の日も、そのまた次の日も。

頼んでもいない連載小説は、いつの間にか一日の終わりに欠かせないものになっていた。

返事は出せなかった。

忙しくて、それどころじゃなかった。

そんな中、終わりは突然だった。

慢性的な疲労と持病の悪化が重なり、ベッドから起き上がれなくなった。

勤め先に休職の申請を出した。

結果を待たずに、昔からの主治医のいる病院に入院することになった。



数週間が経ち、体調が回復した私は東京のアパートに戻らず、実家に帰った。

退院前に母から、祖父がもう長く生きられない。
そう聞いたからだった。

祖父のいる病院に向かった。

病室には、ベッドで眠る祖父と、付き添いのゆうパパがいた。

ゆうパパは私を見て、
「おう、来たか」とだけ言った。

あのエネルギー溢れるハガキを書いた人に思えない、優しくて小さな声だった。

私は頷き、祖父のベッドに歩いた。

「おじいちゃん、はるかだよ」

返事はなかった。



数日後、おじいちゃんは亡くなった。

どれだけ泣いたのか、わからない。

ただ、泣いていた記憶だけが残っている。



半年間の休職の後、仕事に復帰した。

以前とは違う仕事になっていた。

体力的には楽だった。

その代わり、声が聞こえるようになった。

「楽してる」

「また休むだろ」

「役に立たない」

同僚全員から言われたわけじゃないけど、自分の中で区切りを感じた。

年度末で、退職した。

きちんと挨拶をして、静かに病院を去った。

一人暮らしもやめて、実家に戻った。

もう検査技師として働くことはない。

でも、後悔はなかった。



実家に帰ってからの行動は早かった。

まず、車の免許を取った。

そのあと、バイト先の候補にしていた百円ショップの面接を受けた。

「検査技師? 国家資格を持ってる人がアルバイトでいいの?」

店長に聞かれた。

「違う仕事をしてみたくて」

それだけで、採用は決まった。

そこで、今の夫と出会った。

夫はエリアマネージャーをしていた。

付き合う前に、私は自分の病気のことを正直に話した。それでも。

一緒に頑張りたい、と言ってくれた。

それから3年間の交際を経て、結婚した。

夫は私の体力面を考え、専業主婦でいてほしいと望んだ。

それが、私の二度目となるスタートだった。

もちろんその間もゆうパパとはちょくちょく会っている。夫も含めて。

ただ、ハガキの話は出なかった。

お互い、頭から抜けていたのだと思う。



それから数年後の今、ハガキと再会した。

断捨離は中断し、実家の母に、
「また来週来るわ」
と言って逃げた。

夫と住むマンションに戻った。

帰宅した夫にハガキの束を見せる。

「ねえ、これどう思う?」

夫は気のない様子で受け取ったが、裏面を見た瞬間、目を見開いた。

「なにこれ……古文書?」

何十枚もあるハガキを手に取り、読み始める。

こうなると、止まらない人だった。

しばらくして、夫が口を開く。

「世界のすべてが敵に回ったとしても君は正しいし、もし君に何かあればどんな手段を使おうと必ずかたきをとるのは間違いないのである……だってさ」

「えっ? そんなこと書いてあった?」

「書いてあるよ。すごいね。とんでもない愛情だよ、これ」

時折頷いたり、さながら考古学者の様に指でなぞり、解析を続ける。

何か確信したように私を見た。

「この手紙って、頼んだわけじゃないんでしょ?」

「頼んでない」

「返事は?」

「書いてない」

「毎日ポストに入ってたの?」

「そう。届かない日の翌日は二通」

夫は顎に手を当てた。

「……信頼してたんだと思うよ。はるかのこと。だから返事がなくても書き続けられた」

私はうん、と納得した。

そういえば返信を求める内容は一通もなかった。

「それに、ただ姪っ子が心配なだけでここまでは書けない。多分、書くのが楽しかったんだろうね」

少しだけ間を置いて、夫は続けた。

「でも、それ以上に──愛情だね」

私は、ただ感心していた。

「じゃあ、今度会ったら聞いてみる」

そう言うと、夫は小さく首を振った。

「このタイプは、素直に答えないよ。オレも叔父さんと何度も話したからわかる」

「だよね」

それでも私は、確かめたくなっていた。

十五年前の私と、叔父のことを。



翌日、同じ市内にある叔父の家に向かった。

いつもは家庭菜園で採れた野菜のおすそ分けのときに連絡が来て、私が取りに行くのが決まりだった。

ためらいなく、玄関を開けた。

「こんちは」

アポなしで現れた私に、叔父は一瞬ぎょっとした。

「なんだ、はるかかよ」

面倒くさそうに言って、何も聞かずに立ち上がる。

そのまま庭の方へ向かおうとした。

「あ、違う違う。野菜じゃなくて」

叔父が振り向く。

「じゃあなんだよ。金か?」

「違うって。ハガキだよ。東京にいた頃にくれたやつ。昨日、見つけたの」

「……ハガキ? ああ、あれか」

「そう。それでさ、なんでずっと送ってくれてたのかなって。昨日、ダンナと話してたら気になっちゃって」

「そんなもん、話のネタにするなよ。理由なんか忘れたわ」

──やっぱり、そう言うと思った。

だから、こっちも決めていた。

「あの手紙で助かったよ、本当に。ありがとね」

叔父は、何も言わなかった。

口元がへの字になった。

少しだけうつむいて、肩がわずかに揺れる。

なぜかそれを見てはいけない気がして、私は視線を外した。

「それだけ。これからスーパー行くから。野菜はまた今度ね」

一方的に言って、外に出た。

─────

停めた車に向かって歩いているとき、言葉を思い出した。


『世界のすべてが敵に回ったとしても君は正しいし、もし君に何かあればどんな手段を使おうと必ずかたきをとるのは間違いないのである』


──私は、ゆうパパみたいな言葉は書けない。

でも、気持ちは同じだよ。


そう言ったら、ゆうパパはもっと泣くのかな。
それとも、嘘つけって笑うのかな。


あの日、いきなり届いた変なハガキで、嬉しくて笑って泣いた、私みたいに。







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