【鑑賞レポ】鋼の龍は歴史をも昇る。小龍景光展示@東京国立博物館
こんにちは、筆者の すみれ です💕💕
今回は私がとっても行きたかった展示なんです🥺💓
普段より一層読みづらい文章になりそうですが、
魅力とパワーが伝われば幸いです!
”待”ってたぜェ!!この”瞬間”をよォ!!
…ということで(冷静)、ひとまず小龍景光ってどんな日本刀なのかを簡単にお教えします。以下はWikipediaからの一部引用になります。
鎌倉時代後期の備前国で活躍した長船派の刀工である景光によって作られた刀である。(中略) 小竜景光は作刀数が少なく名刀揃いの景光の作品中でも白眉であると、刀剣研究家の佐藤寒山は評している。
景光が所属した長船派は現在の岡山県・長船を拠点とし興隆した刀工集団で日本刀史では最大の流派として有名です。
長船派は長船光忠(みつただ)を事実上の祖とし、景光は光忠の孫にあたる人物になります。そんな景光が作った「小龍景光」はその出来の良さから傑作とも呼び声高く、過去の持ち主に楠木正成、井伊直弼、明治天皇などなど歴史上の偉人ばかり。
無類の刀剣愛好家だった明治天皇はサーベル拵に入れてとても愛用したそう…
想像するだけでめっちゃかっこいいですよね!!!
(サーベル拵な小龍景光めちゃくちゃ見たい😭😭❤️🩹)
さて、名だたる人々の手を渡り歩いたのち今は国宝の指定を受け東京国立博物館に所蔵されています。
東博では時期を分けさまざまな刀剣を入れ替えて展示しており小龍景光は年明けから3月16日まで展示されていました。個人的にとてもお気に入りの刀の一つでして、去年から絶対みたい!とこの時を今か今かと待ってました。名前の由来である倶利伽羅龍の刀身彫刻やその裏にある梵字、鎌倉期ならではの体格の良い姿と綺麗な地鉄のギャップ、、、ほんと言い出せばキリがないです🥺❤️
国宝ってこういうことなのかも。
東京国立博物館内では常設の日本刀であれば金工・13室に展示されていて、 そこには他にもたくさんの刀があり、国宝だから特別コーナーで!って感じでもありません。けれど、部屋に入ってやっぱりすぐ目に止まったのは小龍景光でした。
もちろん、長船派や景光が好きで画像や写しなどは幾度となく見てたので今思えば単純に贔屓目だったり見慣れていたからなのかもしれなかったのですが、なんだかとてつもない存在感を放っていたような気がしたのもまた事実。ちょっと凄んでしまうようでした。
実際に見た印象としてはいぶし銀な姿。
これまでこの刀に抱いていたイメージがもっとこうシュッとした印象でしたが実物を見るととっても渋〜く年季を感じる印象を抱いたのでこれには結構びっくり。やはりこういったものは本物を自分の目で見てこそだな〜って改めて感じました!


刀身の軽量化のための溝。

刀身はピカピカを超えてもはや鏡のように反射して、樋や彫刻の溝などの影になる部分はより黒が強く強く出ていました。ほんと、ブラックホールみたい。
肌も粒子が細かく整っていて、黒から刃文の白までのグラデーションがとても滑らかなのもこれまたびっくりしました。


すごくベタな感想かもしれないですが、なぜこの刀が国宝なのか、先の天皇に愛されたかがはっきり直感的に理解できた気がしました。理解できたというか、
「理解させられた」がという方が表現としては正確かもしれないです。
今でも脳にはっきりと残っていますし、たまに思い出してはうっとりしちゃいます(笑)そのくらいの魔性と言いますか、ただの戦道具に留めておくにしてはあまりに美しすぎたのだとふと歴史に思いを馳せてしまいました。
この時たまたま同じタイミングで見ていた刀剣好きのおじいちゃまと少しお話しをしました☺️とても博識な方で、目釘穴の位置の話など教えてもらったり京都の本能寺にある刀剣の数々のお話もできました🌷
ありがとうおじいちゃま!
文化財としての”生存本能”の違いを考える
少し話が逸れますが、同じ長船派の日本刀で燭台切光忠というものがあります。
燭台切は伊達政宗の愛刀でその後水戸徳川家に伝来しました。ですが1923年に発生した関東大震災で被災し、長い間「焼失」という扱いになっていました。
がしかし、数年前に熱心なファンの力もあり発見されるというミラクルを起こした日本刀です。
本来焼身になった刀剣には美術的価値がほとんどないため刀剣登録が降りませんが燭台切光忠の歴史的背景や過去の持ち主を鑑見た結果、焼身の刀としては初めて刀剣登録を受けた一振りです。これはかなり特異なこと。私はこの話が好きでよく心を傾ける瞬間があって、また、「文化財としての生存本能」というワードが自然と頭に浮かびます。
この文化財としての生存本能というのは選ばれ続ける強さ、残り続ける強さを指していて私が勝手に言っているだけなのでいち個人の見解として聞いて欲しいんですが、今現在我々の目の前にある文化財(絵画・彫刻・巻物・刀剣etc…)は当たり前ですが制作されてから今まで残り続けていますよね。
誰かが作ったものを誰かが大事にして、管理して、保存して…..
残そうとしたその結果が目の前の展示品です。
その「結果」というものは残念ながらこれまで生まれたすべての文化財に等しくあるわけではなく、紛失・盗難・被災など人為的もしくは自然の力によって失われたものが大多数で展示品として我々の目に触れるものはほんの一握りなのです。
それは寂しいことでもあるけれど、時代という新陳代謝を繰り返す中で生まれる文化財のあるべき正常な働きだと私は思います。
そんな中でほぼ形を変えず人々に選ばれ続け、生き残り続けていることはもの凄いことで並のことではないので美術好きの自分はそこに少しばかりの畏怖を感じてこの作品のどういった部分がそこまでさせるんだろうとぐるぐる考えてしまうんです。オタクの性ってやつかな😂
色々考えてやっぱり浮かぶワードが「文化財としての生存本能」という言葉。
で!!!本筋に戻りましょう、やっぱりそれを小龍景光にも感じました。
けれど、燭台切光忠とはまた違う風味の”生存本能の強さ”で。


景光の作風にもふと祖父である光忠を感じる瞬間があって、そんな部分も日本刀鑑賞の面白さのひとつ♡
燭台切には「どんな困難だろうと良いものは最後必ず生き残る力」を感じた一方で小龍景光は「人々に選ばれ続ける満ち溢れた自信と器量」を重く重く感じました。決してその場限りではない溢れる自信と風格を、約700年分の重みがしっかりと含まれた圧力を見る側にガツンとぶつけるこの感覚。
選ばれて当然であり紛失や盗難の心配なんてどこ吹く風、この刀に表情があるのならそんな顔をしてた気がします。
実際、展示ケース越しに見た瞬間頭を強く殴られたような衝撃が印象深いです。これは確かに残って当然。700年の時を耐えうるには十分すぎる美しさだなぁと。
少しマニアックな話に最後なってしまいましたが着いて来れたでしょうか?(笑)
文化財としての生存本能・生き抜く力に関しては、またいつかこれだけをじっくり詳しく展開したい話題でもあるので今回はこれまでにします😂
ということで、小龍景光を見てきた展示のレポでした!ではまた🐉🩵
