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「あいつはファシスト」と叫ぶ人の脳内お花畑と、コロナ禍で露呈した“ガチのファッショ”の正体

こんなの見たの。

なんだこの刈り上げメガネ? 50年前にファシスト論争は美濃部と石原でやっただろうに。半世紀ズレとる。令和の世にファシストの再発見とはたまげたなぁ。
以下、Gemini Proまとめ。


はじめに:令和になっても繰り返される「不毛なレッテル貼り」

最近、YouTubeの切り抜き動画などで、特定の政治家を「ファシスト」と呼んで批判する光景をよく目にする。しかし、その根拠を聞いてみると「国会の議論の時間が短い」「強行採決をするから」といった、単なる手続きへの不満や議事運営の愚痴に終始していることがかなり多い。
これは令和の時代になっても、1970年代の「美濃部vs石原のファシスト論争」のような、中身のないレッテル貼りをいまだに繰り返している証拠だ。現代のそれは思想的なぶつかり合いですらなく、単に**「自分に都合が悪い奴、多数派を握って思い通りにさせてくれない相手」**を攻撃するための、思考停止の悪口(エンタメコンテンツ)に劣化している。


本物のファシズムは「ちょい前」に起きていた

多くの人は「ファシズム=ナチスのような独裁者が軍隊を使って強制すること」だと思い込んでいる。だからこそ、つい最近、社会全体が完全に「ガチのファッショ」に染まっていたことに誰も気づいていない。
それが、**「新型コロナウイルス禍における自粛要請の空気」**だ。
あの数年間、日本社会を覆っていたのはまさに純度の高い全体主義(ファシズム)そのものだった。

• 私権の制限の容認: 「感染拡大防止」という大義名分の前には、個人の自由や営業の権利はいとも簡単に停止された。

• 自粛警察という相互監視: 国家が力づくで弾圧したのではない。国民が自発的に「マスクをしていない奴」「夜遅くまで開けている店」を監視し、引きずり下ろそうと同調圧力をかけた。

これこそが、議論の余地を許さない本物のファシズムの姿である。


ファシズムの正体は「社会の防衛本能」である

では、なぜファシズムは起きるのか。これは善悪やイデオロギーの問題ではない。
民主主義や自由主義、多様性の尊重というシステムは、実はものすごく「コスト(時間・精神的余裕・経済的余力)」がかかる贅沢品だ。しかし、世界恐慌や未知のウイルスの襲来によって社会の「リソースが完全に枯渇」したとき、社会という有機体は本能的に緊急防衛モードを発動する。

「四の五の議論している時間も、バラバラに動く余裕もない。リソースを1点に集中し、全員を一糸乱れぬ兵隊にしなければ、集団が全滅する」

つまり、ファッショとは**「社会が限界を迎えたときの、最適解としての防衛本能」**なのだ。現象として「そういうもの」なのである。


「脳内お花畑」の実態と、これからの生存戦略

今、野党や左翼が弱体化していると言われるが、これも「そんな綺麗事を気にしている余裕はない、今は生存戦略の瀬戸際だ!」という社会的な閉塞感(リソース枯渇)の表れに他ならない。理想論や弱者への配慮は、土台となる経済やインフラにマージン(余裕)があって初めて支払えるコストだからだ。
メディアで「他人に優しく」「議論を尽くせ」とノーテンキに叫んでいる人たちは、世界にまだ自分たちの綺麗事を受け入れるだけの貯金が残っていると勘違いしている。「実は、割と世界に余裕はない(真顔)」。これこそが、現実を見ない「脳内お花畑」の実態だ。
私たちが本当にやるべきことは、中身のない「ファシスト論争」に興じることではない。「ノーテンキな奴らが、自由に野党や左翼をやれるくらい平和で豊かで、社会に余裕がある世界」を目指して、まずは現実の景気を押し上げ、リソースを回復させることなのだ。


正直な話、新型コロナ禍でマスクしてない人に「マスクをしろ!」と追い回すジー様や京浜東北線車内で「私語は慎みましょう」とか学級委員みたいにしてる奴見て

おお、これが噂に聞く戦時体制、「非国民」
かー

と「知っているのか雷電顔したよね。いやー、ファッショい、ファッショい!
結局人類はファッショを解像度低めに見てるし、モノホンのファッショを見てもファッショと気付かない有様なんで、またファッショするし、実際した。
ファッショだ何だとガヤやってる連中が本質全く理解してないんだもんなぁ。

皿田きのこちゃんは猛省して、どうぞ

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純戦士のおじさん 方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!