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初めてのnote自己紹介


初めまして「きんじ」と申します
この記事に興味を持っていただきありがとうございます

私は子供の頃から不安感が強く何より自分が大嫌いでした
これまでの人生を振り返ったり
自分の気持ちを発信したくnoteを始めました


プロフィール

名前:きんじ
年齢:25歳
性別:男
趣味:ピアノ 読書 勉強
性格:慎重、自分の感情を人に話さずうちにため込むタイプ
MBTI:INTJ-T
習い事:18歳からピアノを始めました

今までの人生について

私は1999年に関東地方の田舎の県営住宅に生まれました
保育園~小学生頃の私は明るく人見知りしない性格だったので
沢山の人に愛されていたように思います
小学二年生になった頃から親の仲がすこしづつ悪くなっていきました

母が派遣社員で父がトラックの運転手だったのですが母が残業で帰りが遅くなることが多く父が当時子供だった私のご飯や面倒を見てくれてました
母が家に帰ってくると父が作ったご飯を食べそのあと疲れてソファーで
寝てしまうことが多く、父が俺は仕事して買い物してご飯つくって
子供の面倒見てるのに、お前は家に帰ってきて何してるんだと母に対して
文句を言って毎日、私の目の前で喧嘩していたのを覚えています 
毎日親の罵声や喧嘩している姿を見るのは当時子供だった私には辛く「やだな、なんで毎日喧嘩するんだろう」「どうしたら仲良くなるんだろう」と毎日考えていました。
その頃学校ではかけ算を習い始めるのですが周りの子たちより覚えるのが
遅く苦戦していましたなかなか覚えられずにいると担任の先生が、
としひこくんは頑張って勉強してるからと、
そろばんセットを特別にくれたり放課後教えてもらったのを覚えています 

小学三年生になった頃


私が保育園に通っていた頃からの幼なじみのユウナ君が私の学校に転校してくるのですが勉強もスポーツもできる子だったのですぐにクラスの中心的な人物になりすごいなと思っていました 顔も女性受けがよくモテていました私の家のすぐ隣がユウナ君の家で5秒でお互いの家を行き来でき
同じクラスと言うこともあり一日中、一緒にいる兄弟みたいな関係でした
ですが家がすぐ隣だったので私の家の怒鳴り声や家庭の事情なども知っておりその事を学校のクラス内で広められたり馬鹿にされたりしました
私はやめてほしいと言ったのですが聞いてもらえず自己肯定感が傷つき段々ユウナ君に言っても無駄なんだなとか勉強も頑張っても
両親は褒めてくれたりとかはなく私に対して無関心だったので
意味ないのかなという思考になり無気力になっていきました

小学校を卒業する頃には全く学校の勉強がわからないという状況になり
このままではまずいなという気持ちはあったのですが何もできず中学生になりました


中学生になった頃


ユウナ君と同じ学校になり変わらず嫌な日々は続いていました
その頃には私の家庭は家族同士の会話や家族団らんなどもなく愛のない家庭になっており学校でも家庭の仲でも安らげる場所というものが私にはありませんでした 
中学二年の終わり頃から私は不登校になり学校に行かず家で引きこもって
ゲームや音楽を聴いたり現実逃避をする毎日になりユウナ君との関係もなくなりました

中学三年生の頃


進学の話になるのですが勉強も全くしておらず私も高校に行かなくてもいいかなと思っていたのですが母が高校だけは行っておけと強制的に
学力がなくても入れる私立校に進学することになりました
それと同時に父と母が離婚しました 

高校生になった頃


最初の一週間は学校に通ったのですが不登校に戻ってしまいました
教室にいると
クラスメイトが声をかけてくれるんです
どこの中学校出身?とか一緒にお昼食べようとか
それがたまらなく嫌でした ほっといてほしかった
子供の頃からの友人だと思っていたユウナ君との関係や両親との関係性など
見てきて仲良くなってもどこかで裏切られるのではないかと
誰にも会いたくなかったので
放課後職員室登校をして課題を終わらせていました

高校二年生


離婚して母と二人暮らしになって金銭的に生活の余裕がなくなり
なんとか家賃や水道光熱費などは母が払っていたのですが
ご飯があまり買えず一ヶ月の食費
母と自分合わせて二万円でやりくりしていました
私は誰とも関わりたくなかったのですが食費を稼ぐために
高校二年の春頃からスーパーでアルバイトを始めました
それまで引きこもりの生活をしていたので何故スーパー?
って感じですが家から近かったのと人間嫌いを克服したかったからです

バイトを始めて一月たたない頃母がネットで出会った
イケメンの若いトルコ人を家に連れてきて一緒に結婚
同棲するようになりました
私は家に連れてくる前に母に嫌だと反対していたのですが
恋は盲目と言うことで聞き入れてもらえませんでした
トルコ人の彼は建設系の仕事をしてたんですが文化の違いからか家に帰ってきても全然風呂に入らず家の家事も全然しないし稼いだお金も
トルコにいる家族のために仕送りしてしまうので
我が家には月1万円ほどしか入れてもらえず
挙げ句の果てには夜遅くまで別の女と電話していたりと
ろくでもない男でした 私はトルコ人の彼と母親に別れてほしいと伝えていたのですが 「何でそんなことを言うの?」など言われ伝えても無意味だなとバイトを週5日入れたりして関わらないようにしていました

半年ほどたった10月頃になるとトルコ人の彼は仕事を仮病で休んだり相変わらず風呂に入らないし歯も磨かないからスゲーくさいし寄生虫になってましたね 早く消えろとおもっていました

10月入ってすぐのある日19時頃でしょうか
私はトルコ人の彼を追い出す決意を決めました
いつものようにトルコ人の彼と母が居間にいたので
ボコボコにするつもりで「出てけ寄生虫」と大声で発狂しながらキレました
トルコ人の彼は初めて私が本気でキレてきたことに対して
トルコ語?で逆ギレしてきました 何言ってるかマジでわからんかった

母もようやく目を覚ましたようでトルコ人の会社の社長に連絡をしてその日の21時頃に母と私とトルコ人と社長の四人で話し合うことになりました

何故仮病を使って仕事を休むのか?やこれからどうするのか
私たちの家族の状況など事情を社長に聞いてもらいました
私は今すぐにでもトルコ人の彼に出て行ってほしいと
伝え翌朝荷物をまとめて出て行ってもらいました

高校三年の頃


相変わらず生活の余裕はないですが気持ちは楽になっていました
ただ私自身があまり学校に行けておらず卒業単位が足りなくなりそうでした
さすがに高校は卒業しておこうと思い毎日朝から学校に行き教室で授業を受けるようにしました 
単位足りなくて夏休みとか放課後とかは毎日居残りでしたがなんとか卒業することができました

社会人になって


自己肯定感が死んでいたので自分の人生どうすればいいか悩んでいました
好きなことを探そうと思い自分の人生で何が好きか考えたときに
しんどいときも辛いときも常に聴いていた音楽かもと思いちょうど家に
電子ピアノがあったのでやってみることにしました 
やり始めてから一週間後に18歳からピアノ教室に通い始めました最初は両手別々に動かず楽譜も読めずYouTubeの光る音符が落ちてくるやつで動画止めたり再生したりして練習していました



ピアノ教室で習い始めてから三ヶ月目の動画があったので貼っておきます
下手くそですが意外とやればできるんだなとピアノをやることによって自己肯定感が少しづつ上がるのを実感できました

書き切れないのでいったんまとめます

これからしたいこと

  • 10月にピアノのコンクールに出る

  • ファイナンシャルプランナー1級に来年合格する

  • 株で年100パーセントの利益を毎年とり資産一億を35歳までに目指す

  • 会社に依存せず自分の力でお金を稼げるようにまずはnoteを月に一回更新できるようにする

読んでいただきありがとうございました
















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