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【東京エッセイ98】最後の晩餐は何にする?

『キリスト』についてではない。

『12使徒』についてでもない。

あなたの最後の晩餐について。

因みに、さいごには『最後』と『最期』があり、それぞれ意味合いが異なる。

折角なのでAIくんに調べてもらおう。

「最後」は一般的な物事の終わりを指すのに対し、「最期」は人生の終わりや一度きりの滅亡など、命の終わりや唯一無二の終焉を表す言葉です。使い分けには、その事柄に「次があるのかどうか」を考えることがポイントです。次がある場合は「最後」、次がない(唯一の)場合は「最期」を使用します。

AIくん調べ

最初に、『キリスト』についてではないと述べたが、これを読むと、あのシーンは『最期』が適切ではないだろうか、と疑念が湧くが、それは横に置いておく。

とある国では、『死刑』の前に食べたい物を尋ねるそうだが、それも本題とは逸れるので、放置する。

『死』は『生』と同一で隣人であり、その訪れは『予期せぬ』ものと『予期する』ものの2種類がある。

ここで扱うのは後者の方で、かつ『仮定』の話だ。

もし、あなたにとって、人生の最期に食べたい物があるとすれば、それはどんな物ですか?という問いかけだ。

炊き立ての白いご飯と、豆腐とわかめの味噌汁に、胡瓜と茄子の浅漬けで…というような献立のことを、あなたに問いかけている。

肉汁たっぷりのステーキ、ほろほろの鯖の味噌漬け、とろとろのオムレツ…そういうことを今、あなたに問いかけている。

何故、問いかけているのかというと、「まさか、あれが最期の食事になったとは‼︎(絶句)」と後悔しないためだ。

『転ばぬ先の杖』

何時その時が訪れても動じないように、常日頃から、満足のいく食事をして欲しいからだ。

個人的な見解として質素倹約は美徳と思うし、その通りだけれど、その中身が満足のいく物であれば、是非もない。

分かりやすい例を挙げると、最期は『塩おむすび』が良いとして、その『塩おむすび』が、古古々米のご飯か、それともあなたの大好きな『銘柄米』のご飯なのかでは、まるっきり違ってくる筈だろう。

僕が問いかけているのは、そういうことだ。

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