第5編 大学復帰と力学──悩みと扉のカギ
大学2年を目前に、病に倒れる。
そして、一年間の病欠。
これについては、第7編で詳しく触れたい。
復帰した大学での出来事を、まず描こう。
戻ったキャンパスで、必修科目「力学」。
トゲと向き合うときが来たのだろう。
その講義が、あの本と重なりはじめる──。
足が震えた!ひさびさの大学
順調なときほど、何が起こるか分からない。
あのときも、そうだった。1年生の終わり、長い春休みに1年生の夏休み、8月にドイツ語の語学研修という名の交流会に参加する。他の大学の学生と交わるのははじめてだった。
富士山のほとりで一泊二日。のどかな風景、澄んだ空気に囲まれて過ごした。
研修の最後は、いわゆる合コンだった。
結局、一年目は疾風怒濤のように過ぎ去った。そして、専門科目の始まる2年生を夢見たのだが。
3月の下旬だった、異変に気づいたのは。
またしても病魔は僕をとらえて、放してはくれなかった。悪戦苦闘している間に、半年が過ぎていた。
大学の授業というものは、いわゆる履修届を出してはじめて受講できる。各々、シラバスを見て時間割を決めなくてはならない。
それが4月の頭に設けられている。これを逃すと丸一年、棒に振るわけだ。
入院していた僕が履修届を出せるはずもなく、退院する頃には状況を理解していた。いくつかの事情が重なり、休学届も出せなかったからだ。
そして翌年春。
僕はひさびさに、大学に足を運んでいた。
もちろん、今度こそ履修届を出すためだ。
およそ一年ぶりの大学。
正直、足が震えて、とても緊張していた。
そして、いつもの校舎、ビルの1階を目指す。
掲示された時間割を見るために。
そびえ立つ関門、「力学」
初年度とは異なり、2年次になると必修の専門科目が一気に出てくる。しかもこれをパスしないと、3年次以降の必修科目が取れないように仕組まれていた。
その中に「力学」があった。サークルの先輩からは警戒しろと言われていたし、何より同級生の大半が落ちていた。
ただシラバスを見ただけでは、異色さに全く気づけない。なぜこんなにも落とされるのかと、不思議な気持ちを抱いたのを覚えている。
さて、その初日。
学内でも最大級に匹敵する教室を、学生が埋めつくす。僕も少し前の方に座り、担当教官を待っていた。
めがねを掛けた初老の小柄な男性が、おもむろに入ってきた。後ろに若い院生が続く。緑の表紙の大きなノートのようなものを、みんな抱えていた。どうやら講義テキストらしい。
大学の授業では、自作のテキストを意外と見かける。ただ、すべて手書きだったのははじめてだったが。そして、講義のオリエンテーションが始まった。
結論から言えば、この講義テキストを使うこと、試験はその中から出すこと、出席は取らないという内容だった。いやむしろ、講義のことよりも、大学生のあり方について滔々(とうとう)と、説教されたことに驚いた。
その先生によれば、甘く採点をしても上の学年で苦労するだけ。それなら、ここでしっかりふるいにかける、ということだった。
確かに大学での態度について、くどくど言う教官はほかにもいた。しかし、関門となる必修科目で、容赦なく落とすと明言したのはあとにも先にも、この教授だけである。
運命の三重奏──甦るあの記憶
そして5月。GWの明けた頃、本格的に講義が始まる。問題は大きく二つだった。一つは、テキストが手書きでかなり読みにくく、板書も同じく解読するのに骨が折れること。もう一つが、そのテキストの内容と似た「力学」の参考書がどこにも見当たらないこと、だった。
独自のテキストでの講義までは、何とか許容できる。しかし、何を学んでいるのか判らないのは、試験うんぬんの前に問題だった。
僕は、その解読に躍起になった。
癖のある手書きになれてくると、だんだんと内容の片鱗が掴めてくる。なぜか既視感があった。図書館で参考書を探したときには感じなかったのに。
そんなある日、ふと思い出す。
これは、あの時の『物理数学』に似てないか、と。「座標」、それに「ベクトル」という言葉や、使われている数式が確かに似ている。
でも、なぜ……
のちに教授ご自身がこの著者のもと、直に学んでいたのだと明らかになる。このときほど縁を感じたことはない。そもそも古書を集めたのは僕ではなく、若かりし頃の父である。当時の話題作をたまたま集めていた。
その本と入学直前に出会い、さらには悩まされていたトゲの扱い方を学ぶことになるとは、全く予想していなかったからだ。二年も前の出来事を思い返しながら、あらためてテキストを読んでいくと、そのトゲに触れる部分があると気づく。強く心を揺さぶられた。
講義テキストと甦る古書。そして、その向こうには、あの悩ましいトゲが姿を現す。
──三つの旋律が重なり合うように。
この難解なテキストの解読と、試験の結果はまたのちほど語りたい。いまは、無事に3年次に上がれたことだけ記そう。時は1999年を迎えていた。
力学の講義に引き込まれ、恩師の言葉に背を押されたあの日々。
このときは、まだ一人きり。学ぶ力も、その歩みもゆっくりとしていた。
そう──あの仲間たちと出会うまでは。
彼らがいなければ、輝ける未来へはたどり着けなかったと、いまも思う。
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