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男闘呼組の「良心」──前田耕陽の星空とピアノ

今日はずっと書きたくて、でもなかなか書けなかった人の話をする。

前田耕陽。男闘呼組のキーボード担当で、リーダーで、現在はRockon Social Clubのメンバー。このブログではこれまで成田昭次の曲を中心に書いてきたし、前は岡本健一や高橋和也の男闘呼組曲にも触れた。でも耕陽の話だけは、ずっと後回しにしてしまっていた。

なぜかと言うと──正直に言えば、テイストが違いすぎるからだ。

このブログで書いてきた曲のことを思い返してほしい。昭次のオルタナティブ・ロック、健一の退廃的なグルーヴ、和也のヘヴィメタルな疾走感。三人とも、尖り方の向きこそ違えど、全員がゴリゴリにエッジを立てている。それに対して耕陽の書く曲は──サウンド自体はちゃんとロックなのだ。エレキギターも鳴ってるし、ドラムもしっかり叩いている。でも、歌詞の温度が違う。言葉がまっすぐで、ロマンチックで、切ない。あの三人がそれぞれの方角にエッジを尖らせていく中で、耕陽の言葉だけがちょっと違う場所に立っている。

昭次が耕陽のことを「男闘呼組の良心」と表現していたのが面白い。当時、自由すぎる三人──どっちかっていうと不良そのものだった三人に対して、唯一の常識人だったと。まあ、これは音楽の話というよりは人柄の話なのだけれど。

音楽の話で言えば、入所時に「チェッカーズが好き」と言ってた話が有名だ。チェッカーズ。あのポップでメロディアスな世界。ハードロックの叫びでもオルタナの皮肉でもメタルの威嚇でもなく、まっすぐにロマンチックな言葉を恥ずかしがらずに書ける人。曲の骨格はちゃんとロックバンドなのに、歌詞だけがどこまでも素直で甘い。そのギャップが、耕陽の曲の独特な味わいを作っている。

ただ、男闘呼組名義でリリースされた耕陽の自作曲は、実はかなり少ない。他の三人に比べると明らかに数が限られている。しかも、自分で書いた曲を自分で歌っていないパターンまである。今日取り上げる三曲のうち二曲がまさにそうで、一曲に至っては作曲すら別の人。耕陽は歌詞だけを書いている。

でもね、聴いてみるとわかるんですよ。数は少なくても、その少ない曲たちに共通する「体温」がある。他の三人にはない温もりというか、優しさというか。サウンドはロックバンドそのものなのに、歌詞に宿る感情がどこまでもまっすぐで温かい。男闘呼組がひたすらロックの方角に振り切れていた時代に、この人だけがちゃんと「ラブソング」を書いていた。そのことの意味は、今になって聴くと、当時より大きく感じられる。

今回は三曲。「星空の下で」「REMEMBER」「FOREVER」。リリース順で言うと逆なんだけど、聴き比べとしてはこの順番がしっくりきた。静かな海辺のバラードから始まって、切ない恋の記憶を通って、最後に──2023年のあのステージを経験してしまった今、とてもただのラブソングとしては聴けなくなってしまった一曲に辿り着く。


純粋に、前田耕陽の曲のことを書きたくなったのだ。ずっと後回しにしていた分だけ、書きたいことが溜まっていたのかもしれない。

例によって全曲廃盤、配信なし。いつものことですみません。でも、書かなきゃ埋もれてしまう曲だから、書く。


夜の海辺に沈むピアノ──「星空の下で」の静かなロマンティシズム

まずは「星空の下で」。1993年、アルバム『ロクデナシ』に収録。作詞作曲は前田耕陽、編曲は男闘呼組名義。

このアルバムについてはこのブログでも何度か触れてきたけれど、改めて書いておくと、『ロクデナシ』は男闘呼組の活動期間中に制作・発表された最後のオリジナルアルバムだ。1993年6月に高橋和也がジャニーズ事務所を解雇され、バンドは事実上の解散状態に。当初7月発売予定だったアルバムは8月に延期されてリリースされた。つまり、もうバンドが動いていない状態で世に出た作品ということになる。

イントロが鳴った瞬間に、まず耳に届くのはピアノの音。柔らかくて、少し湿り気を含んだような響き。そこにオルガンの息のような音が重なって、曲がゆっくりと呼吸を始める。テンポは本当にゆっくりで、歩くよりもずっと遅い。立ち止まって夜空を見上げているくらいの速度感。そこに、ふっとエレキギターの音が入ってくるのだけれど、これが男闘呼組の他の曲のような攻撃的な歪みとは全然違う。柔らかくて、どこか遠くで鳴っているような、温かいトーン。

そして歌が始まるのだけれど──聴こえてきた声に、ちょっと驚いた。和也だ。あの「彼ら」でメタルの咆哮を聴かせた高橋和也が、ここではまったく違う表情で歌っている。力を抜いて、でも芯はしっかりとある声で、夜の海辺を歩くように歌っている。『ロクデナシ』にはメンバーが作った曲のボーカルを入れ替えるという試みがあって、この「星空の下で」は耕陽が書いて和也が歌っている。自分の曲を人に渡す、というのは作り手として相当な勇気がいることだと思うのだけれど、結果的にこれが大正解だったと個人的には感じている。和也の声の温度が、耕陽のメロディの甘さと絶妙に合っているのだ。

「波が寄せては引いていく 夜の海辺を 君の肩を抱き寄せて 歩き出す」

歌詞の世界観は、とてもシンプルなラブソング。夜の海辺、星空、月の光、水鏡に映る涙。ベタと言えばベタなんだけど、このベタさが耕陽の曲の良さだと思うんですよね。昭次が「マジでヤバイんだ」と叫んだり、健一が「起き掛けに酒を飲み干す」と歌ったりする隣で、耕陽は堂々と「♪ この愛だけを信じていれば 終わりはしない」と書く。まっすぐ。照れがない。その照れのなさが、男闘呼組というバンドの中では逆にとても珍しくて、だからこそ際立つ。

中盤あたりからストリングスの存在感がぐっと増してくるのが印象的だ。ヴァイオリンの音が曲全体を包み込むように広がって、ピアノと絡み合いながら、切なさのボルテージをじわじわと上げていく。サビに入ると、さっきまで控えめだったドラムとオルガンの層が厚くなって、曲がふわっと持ち上がる。でも「爆発」ではないんですよね。あくまで「高揚」。波が満ちるように、静かに、でも確実に感情が上がっていく。

そして終盤。ここが本当にすばらしい。「♪ Oh My Love My Sweet このまま Oh My Love My Sweet 二人で ずっと」と繰り返される最後のパートで、木管楽器のような柔らかい響きがふわっと漂い始める。エレキギターは身を引いて、代わりにピアノとストリングスとその木管の音色が夜空のように広がっていく。まるで、曲全体が星空に溶けていくような終わり方。

六分近い曲なのに、長さを感じさせない。むしろ、もう少しこの夜の海辺にいたかったと思わせる余韻がある。

個人的な話をさせてほしい。今回の三曲の中で、僕がいちばん好きなのはこの「星空の下で」だ。三曲の順番をこの曲から始めたのも、たぶんそれが理由で、最初にいちばん好きな曲のことを書きたかった。

何がそんなに好きなのかと聞かれると、うまく言葉にできないのだけれど──たぶん、この曲の「無防備さ」なのだと思う。男闘呼組の曲には、どれも何かしらの鎧がある。ハードロックの鎧、オルタナの鎧、メタルの鎧。でもこの曲にはそれがない。夜の海辺で、星空の下で、ただ「♪ この愛だけを信じていれば」と歌っている。何の武装もなく、ただ温かい。そしてその温かさが、何度聴いても色褪せない。

耕陽の曲がロマンチックで甘いというのは確かにそうなんだけど、この曲に関しては「甘い」というより「温かい」という方がしっくりくる。ロックバンドの中にいながら、こういう静謐なバラードを書ける人がいたということ。それは男闘呼組の振れ幅の広さを証明していると同時に、耕陽という人の音楽的な感性の居場所を示してもいる。


同じ歌詞が、別の声で、別の体温になる──「REMEMBER」

次に聴いたのが「REMEMBER」。1991年、アルバム『I'm Waiting 4 You』収録。作詞作曲は前田耕陽、編曲は男闘呼組と田中厚さんの連名。

この曲もまた、耕陽自身は歌っていない。スタジオ盤では成田昭次、高橋和也、岡本健一が歌っていて、耕陽の声はない。自分で作詞作曲した曲を、メンバー三人に渡している。ただし、ライブビデオ『男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.1』では耕陽のソロとして披露・収録されているという。つまり、ステージでは自分で歌っていたのに、スタジオ盤では他のメンバーに歌わせた。

この選択が、聴くほどに面白い。

耕陽がひとりで歌うバージョンが存在しているということは、この曲がもともと「耕陽の歌」として成立していたということだ。でも、スタジオ盤であえて三人に渡した。自分の声ではなく、三人それぞれの声で、自分のロマンチックな言葉を響かせることを選んだ。昭次のあのハスキーで少しざらついた声が「♪ I've fallen in love with you」と歌うと、それは昭次の失恋になる。健一の色気のある声で歌われると、同じ言葉がもっと翳りを帯びる。和也の太い声が乗ると、また別の温度になる。同じ歌詞なのに、歌い手が変わるだけで、痛みの色が変わるのだ。

考えてみれば、このブログで以前昭次の曲について書いたとき、同じ曲が「時間」によって意味を変える話をしてきた。でも「REMEMBER」が見せてくれるのは、それとはちょっと違う変化だ。時間ではなく、「声」が意味を変える。耕陽は自分の曲をメンバーに手渡すことで、一つの歌詞から複数の物語を引き出してみせた。作り手としてのエゴよりも、曲がいちばん豊かに響く形を選ぶ。その姿勢が、やっぱり耕陽らしいなと思う。

さて、音の話をしよう。

冒頭から耳に飛び込んでくるのは、ピアノの存在感。きらきらとした、透明度のある音が前面に出ていて、その奥でシンセサイザーがふわっと空気を作っている。「星空の下で」とは違って、頭から「キラキラしている」感じ。80年代末から90年代初頭の、あのJ-POP的な煌めきがイントロにちゃんと詰まっている。木管系の柔らかい音も漂っていて、なんだかちょっとドラマのオープニングみたいな華やかさがある。

で、そこからバンドが入ってくると、一気に景色が変わる。エレキギターがガツンと前に出てきて、ドラムが力強くリズムを刻み始める。ベースギターがぶんぶんと唸って、曲全体にぐいぐいと引っ張られていくような推進力が生まれる。テンポはミドルよりちょっと速いくらいで、早足で夜の街を歩いている感覚。耕陽の曲だからポップかと思いきや、バンドアンサンブルになった途端にちゃんとロックの骨格が出てくる。男闘呼組の演奏力が耕陽のポップなメロディをロックの文脈に引き上げている感じで、このバランスがとても好きだ。

曲が進むにつれてエレキギターの存在感がどんどん増していくのも面白い。前半はピアノと拮抗していたのに、中盤以降はギターが完全に主役を張っている。曲の後半はもうほぼロックバンドの全力疾走。なのに、ピアノが完全に消えるわけではなくて、ところどころでキラリと顔を出す。それが、この曲の「ポップとロックの境界線」を行き来するような独特の手触りを作っている。

歌詞は、失った恋人への思い。

「まるで子供のような 澄んだ瞳と いつも女神のように 微笑む君の 別れの言葉は せつなすぎる」

この書き方が、もうまさに耕陽なんですよね。「子供のような澄んだ瞳」「女神のように微笑む」。少女漫画的な透明感があって、ストレートで、こういうまっすぐな美化を恥ずかしがらずに書けるのは才能だと思う。「♪ I've fallen in love with you 君は今 何処にいるの?」という繰り返しのシンプルさ。「♪ もう一度抱いたら 離しはしない」という、不器用すぎるほどまっすぐな決意。

二番の歌詞にはっとさせられる箇所がある。「♪ 今日も変ることなく 沈む夕陽と 今も休むことなく 流れる川が 生き方の違い 語るように」。ここだけ、急に視線が遠くなる。恋人への未練を歌っていたはずの曲に、夕陽と川の流れという、もっと大きな時間の感覚が入り込んでくる。「♪ 生き方の違い」。この一節が、23歳の耕陽から出てきたことに驚く。同じバンドの中で、昭次はオルタナに突き進み、健一はアートの方角へ尖り、和也はメタルの拳を振り上げている。その真ん中で、耕陽はこういう歌詞を書いている。「生き方の違い」は恋人同士のすれ違いのことだけど、この四人の間にも、すでにそれぞれの道が見え始めていた頃だ。もちろんこれは僕の勝手な読み替えにすぎないけれど、一度そう聴こえてしまうと、「♪ 過ぎて来た日々を 想い出していく」という続きの歌詞が、恋愛の枠を超えて胸に沁みてくる。

終盤もいい。繰り返される「♪ I've fallen in love with you」と「♪ Last night I had a dream of you」が交互に押し寄せてきて、最後に「♪ もう一度抱いたら 離しはしない」で締まる。シンプルなのに、この繰り返しがじわじわと胸に来る。最後のほうでシンセサイザーの存在感が急に増して、ピアノの音が戻ってきて、冒頭の煌めきがもう一度浮かび上がるのも美しい。始まりと終わりがちゃんと繋がっている。


「とりもどすことはないさ」が涙に変わった日──「FOREVER」と2023年の武道館

そして三曲目。ここからは、ちょっと覚悟して書く。

FOREVER」。1989年、アルバム『男闘呼組 二枚目』収録。作詞は前田耕陽、作曲は馬飼野康二さん、編曲もMark Davis(馬飼野)さん。つまり今回の三曲の中では唯一、耕陽はメロディを書いていない。プロの作曲家が作った楽曲に、21歳の耕陽が歌詞を載せた一曲。そして四人全員で歌っている。

曲の入口から、音の質感が前の二曲とは明らかに違う。ベルのキラキラした音が鳴って、その後にピアノが柔らかく入ってくる。シンセサイザーがふわっと空間を作って、そこにストリングスの響きが重なる。「星空の下で」や「REMEMBER」と比べると、隅々まで設計されたプロの音。前の二曲がバンドの「手作り感」をどこかに残しているのに対して、「FOREVER」は80年代後半のJ-POPの、あのキラキラとした煌めきの中にしっかりとパッケージされている。

でもバンドの音もちゃんと生きている。エレキギターが曲が進むにつれて存在感を増していって、中盤以降はかなりの厚みで全体を覆っている。ベースギターも太くて存在感があって、ドラムのリズムもしっかりと地面を踏みしめている。プロのアレンジに男闘呼組のバンドサウンドが乗っかった、ある意味いちばん「売り物」としてのクオリティが高い一曲かもしれない。

そして歌詞。21歳の前田耕陽が書いた言葉。

「部屋を出て街を歩けば あの頃の古い傷跡 時が流れ俺一人でも 約束のあの夢だけは忘れない」

冒頭のこの一節を、1989年に聴いた時、まあ普通の恋愛ソングだと思うんですよ。別れた恋人を思い出しながら街を歩いている若い男の歌。「あの頃の傷跡」も「約束のあの夢」も、二人の思い出のこと。そういうふうに聴こえる。

サビの「 Still love 輝いた Good life Still love 永遠の Memories さまよう風の中を」も、英語と日本語を混ぜたキラキラした80年代のJ-POP文法そのもの。「 Those days 耳にした Love songs Those days かみしめる Melodies」。かつて一緒に聴いたラブソング、一緒に噛み締めたメロディ。甘くて、切なくて、でもどこか華やかで。

そして「 とりもどすことはないさ Forever」。取り戻すことはない。永遠に。ここが少し苦い。甘いサビの最後に、苦い真実がぽつりと落ちている。もう戻れない、と。1989年にこれを聴いた人は、失恋の曲だなと思って、ちょっと切ない気分になって、次の曲にいったのかもしれない。

でも、2023年。

男闘呼組の解散ライブ「LAST FOREVER」。武道館、そして日比谷野外音楽堂。29年ぶりに復活して、たった一年ほどの活動を経て、今度こそ本当に終わりを迎えるそのステージの、最後の最後にこの曲が演奏された

僕はあの場にいた。

セットリストの最後に「FOREVER」のイントロが鳴った瞬間、会場の空気が変わったのを覚えている。あのベルの音、ピアノの響き。1989年のアルバム曲。知っている人は知っている、でもシングルでもなければベスト盤にも入っていない一曲。それが、男闘呼組の本当の最後の曲として選ばれた。

そしてその場で聴いた歌詞の全部が、全く別の色で響いた。

♪ あの頃の古い傷跡」──それぞれが抱えた、30年分の傷。「♪ 約束のあの夢だけは忘れない」──少年たちが交わした、一緒にステージに立つという約束。「♪ Those days かみしめる Melodies」──四人で鳴らした、あの頃の音楽。もう全部、違って聴こえた。恋人への言葉だったはずの一行一行が、バンドそのものへの感謝と惜別に変わっていた。

そして「♪ とりもどすことはないさ Forever」。

…取り戻すことはないのだ。永遠に。

二番の「♪ いくつもの過ぎゆく日々が さよならの瞳に映る 哀しみの涙のあとを 引き止めて抱き締めること出来たなら」。引き止めて抱きしめることができたなら──でも、できない。時間は止められない。バンドは終わる。

21歳の前田耕陽が書いた恋愛ソングの歌詞が、34年の歳月を経て、55歳の四人がステージの上で歌った瞬間に、バンドそのものへの惜別の歌に変貌した。歌詞は一箇所を除いてほぼ変わっていない。変わったのは、聴いている側の時間と記憶だけだ。でもそれだけで、こんなにも意味が変わってしまう。

その一箇所。二番のサビで、「さまよう風の中を」が「いつまでも胸の中に」に、「Forever」が「Only one」に変わっている。「永遠に取り戻せない」ではなく、「いつまでも胸の中に、唯一の存在として」。失われたけれど、消えはしない。

こんなの、涙なしでは聴けない。

しかもね、ライブのタイトルが「LAST FOREVER」なのだ。「最後の永遠」。この曲のタイトルが、解散ライブのタイトルにそのまま使われている。それは、この曲が男闘呼組の物語そのものの終着点になったということでもある。21歳の耕陽がただの恋愛ソングとして書いた「FOREVER」が、34年後、四人の最後の曲になった。このどんでん返しは、意図して作れるものではない。時間だけが作り出せる奇跡だと思う。


まっすぐな言葉が辿り着いた場所

こうして三曲を通して聴いてみて、改めて思うのは、前田耕陽という人の立ち位置の独特さだ。

男闘呼組において、昭次はオルタナティブの旗手であり、健一はアート志向の異端児であり、和也はメタルの拳だった。三人がそれぞれの方向にエッジを尖らせていく中で、耕陽はずっと「まっすぐな言葉」の側にいた。チェッカーズが好きだった少年は、大人になってもロマンチストのまま歌詞を書いた。「星空にONLY YOU」「もう一度抱いたら離しはしない」「永遠のMemories」。どれもまっすぐで、飾り気がなくて、照れがない。

そして、自分の曲を自分で歌わないことすらあった。「星空の下で」は和也に渡し、「REMEMBER」は昭次、健一、和也の三人に渡した。耕陽はキーボードの前に座って、自分の書いた言葉を仲間たちが歌うのを支えていた。

三曲に共通しているのは、「甘さの奥にある切なさ」だ。「星空の下で」の「 涙浮かべたままでつくる笑顔」。「REMEMBER」の「 生き方の違い 語るように 過ぎて来た日々を 想い出していく」。「FOREVER」の「 とりもどすことはないさ」。どの曲も、幸福な瞬間を描きながら、その幸福がもう手の中にないことを知っている。その二重性が、耕陽の歌詞の最も大きな魅力だと思う。

そしてその「甘くて切ない」歌詞が、30年以上の時を経て、とんでもない重みを持って響いてくる。特に「FOREVER」。1989年にただの恋愛ソングとして世に出た曲が、2023年の武道館で最後に鳴ったとき、その場にいた全員の涙を誘った。21歳の耕陽は、自分の書いた歌詞がそんなふうに使われる未来を、想像もしていなかっただろう。でも、まっすぐに書いた言葉だからこそ、時間の試練に耐えた。ひねりや気取りがないぶん、どんな文脈にも寄り添えるだけの普遍性があった。

このブログではいつも「廃盤で聴けない」と書いてきたし、今回もその状況は変わらない。三曲とも、CDを持っている人でなければ聴く手段がほぼない。でも、書かなきゃ埋もれてしまう。誰かが書かなかったら、そのまま忘れられてしまうかもしれない曲がある。

ただ、「FOREVER」だけは──正直に言うと、このまま男闘呼組の曲として残しておきたいような気もしている。

あの曲は、2023年の武道館で、男闘呼組の四人が最後に歌った曲だ。「LAST FOREVER」。あの瞬間の重みは、あの四人のものだと思う。新しいアレンジで新しい形にするよりも、あのまま──1989年のスタジオ盤と、2023年の武道館の記憶として。

もちろん、それは僕個人の感傷にすぎない。でも、あの場にいた人間としては、そう思ってしまうのだ。

派手な曲じゃない。尖った曲でもない。でも、男闘呼組というバンドの最後を飾ったのが、いちばんロマンチストだった前田耕陽の書いた歌詞だったこと。それは、あのバンドの物語において、とても大きなことだったんじゃないかと思う。

尖りすぎた三人のまんなかで、ずっとキーボードを弾いていたリーダー。そんな耕陽が残したまっすぐな言葉が、いちばん遠くまで届いた。

いつまでも胸の中に。Only one。


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Hard Ear ありがとうございます