両国横網町公園で、関東大震災と戦火に向き合った日。│東京住まいの暇つぶし⑤
両国には、あまり知られていない慰霊の場所がある。
横網町公園という場所だ。
ちなみに「よこづな」ではなく「よこあみ」である。
駅からさして遠くないものの、国技館と江戸東京博物館という二大巨頭に阻まれて、行ったことのない人の方が多いのではないだろうか。

私も最初は「なんか、でっかい塔がある。」くらいの認識しかなかった。
両国に行ったことのある人なら分かるだろうが、近辺の少し高い場所にいると、いかつい屋根が見えるのだ。
「なんだ、あれは」と思う。
つまり、ちょこちょこ視界に入る。
ただ、なかなか現場まで赴く機会はないのではないだろうか。

その「でっかい塔」は東京都慰霊堂といい、関東大震災と東京空襲の死者を弔う場所だ。
約163,000人もの人が、ここで眠っている。
静かな祈りの場だ。

私は裏から入った

私は一時、夜の散歩が趣味で、この辺を徘徊していたことがある。
何回も行ったことがある公園ではあるが、慰霊堂は16時半までしか開館していないので、入ったのは初めてだった。
中には、静かな祈りの空間が広がっていた。
高い天井、厳かな空間。
おりんを鳴らして、手を合わせる。
さすがに写真を撮るのは憚られたので、現地に行って、当時に思いをはせてほしい。
関東大震災の時、ここは被服廠跡と呼ばれ、大きな空き地があったそうだ。
当然、逃げ込んだ人も沢山いた。
しかし最終的に火に囲まれる。
38,000人もの人が、ここで亡くなったそうだ。
次に、慰霊塔の隣にある、東京都復興記念館に向かう。
ここは、関東大震災と東京大空襲の資料を展示している。
入館は無料だ。


被服廠跡から出てきた遺品で、残っているものは、わずか4点だけだそうだ。
いかに激しい火災に見舞われたかが分かる。
比較的序盤に展示されているが、この時点で、既に辛い。
震災当時、小学生が書いた作文も展示してある。
小さい子は、小学2年生。
友達が家族ごと死んだことを書いていて、衝撃だった。
その年で死が身近だったと考えると、実に切ない。
書いた当時は意味が分からなくても、理解するタイミングが必ず来る。
胸が締め付けられた。
戦時中の生々しい写真もたくさんあって、当時の空気が感じられるようだった。遺体の写真もあるので、苦手な人は注意。
疎開中の子供が書いた手紙を読んでいると、自然と涙が出てくる。
非常に考えさせられる内容だった。
当たり前に過ごしている日常を、大切にしたくなった。
重い展示なので、元気のある時に、ぜひ一度足を運んでみてほしい。
次回は某庭園に、花菖蒲を見に行く。
