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「懲役7年求刑」と聞いても、まだ勘違いしている人へ。執行猶予が付くと思っているなら、法律は想像以上に冷たい。

「反省しているなら執行猶予でしょ?」

ニュースのコメント欄を見るたびに思う。

「初犯だから執行猶予じゃないの?」
「示談すれば何とかなるんじゃ?」
「7年求刑でも、半分くらいになるでしょ?」

その一つひとつに、法律は首を横へ振る。

元ジャンポケ斉藤被告に対し、検察は懲役7年を求刑した。判決は11月に言い渡される予定だ。

もちろん、**求刑は判決ではない。**裁判所がどのような判断を下すかは現時点では分からない。

しかし、ひとつだけほぼ間違いなく言えることがある。

仮に有罪となり、懲役7年に近い刑が言い渡されるなら、執行猶予は付かない。

ここを勘違いしている人が、あまりにも多い。


「執行猶予」は魔法ではない

世間には、執行猶予を「裁判官の温情」くらいに考えている人が少なくない。

しかし、それは違う。

執行猶予は、裁判官が気分で付ける制度ではない。

法律で条件が決められている。

その大原則がこれだ。

言い渡される刑が3年以下でなければ、原則として執行猶予は付けられない。

つまり、

  • 懲役1年 → 執行猶予の可能性あり

  • 懲役2年6か月 → 可能性あり

  • 懲役3年 → 可能性あり

  • 懲役4年 → 原則として不可

  • 懲役7年 → 執行猶予は付けられない

ここに「反省している」「有名人だから」「家族がいる」といった事情だけで飛び越えられる特別ルールはない。

法律は、想像しているよりずっと機械的だ。


求刑7年=判決7年ではない。しかし…

ここで勘違いしてはいけない。

検察の求刑は、裁判所を拘束しない。

裁判所はもっと軽い刑を言い渡すこともある。

だから「7年求刑だから必ず7年」という話ではない。

しかし現実問題として、7年求刑から執行猶予が可能な3年以下まで一気に下がるケースは、通常は大幅な量刑変更が必要になる。

しかも、事件ごとの証拠や争点、被害の内容、情状などを総合的に判断して量刑は決まる。

だからこそ、「7年求刑だけど執行猶予になるよね」という軽い見方には無理がある。

法律は希望では動かない。

証拠とルールで動く。


なぜ多くの人は勘違いするのか

理由は単純だ。

テレビでは

「執行猶予付き判決」

という言葉だけが強く印象に残る。

しかし、その前提条件まではほとんど報じられない。

だから、

「有名人はみんな執行猶予になる」

そんなイメージだけが独り歩きする。

実際には、刑法には細かなルールがあり、裁判官にも自由に越えられない線がある。

法廷はドラマではない。

脚本家はいない。


「反省しているから軽くなる」は本当か

これも半分だけ正しい。

反省や謝罪は量刑判断の一要素にはなる。

しかし、それだけですべてが変わるわけではない。

被害の重大性。

犯行態様。

証拠。

示談。

前科前歴。

社会的影響。

さまざまな事情が積み重なって刑が決まる。

だから、「反省したから無罪」「謝ったから執行猶予」という単純な話ではない。

現実の裁判は、感情だけでは動かない。


SNSが生み出す「法律の都市伝説」

SNSでは、一つのコメントが何万回も引用される。

その結果、

「初犯だから大丈夫」

「芸能人だから守られる」

「示談したら終わり」

そんな都市伝説が事実のように広がる。

だが、法律はリポスト数では変わらない。

トレンド入りした意見も、法廷では証拠にならない。

私たちは「みんなが言っていること」よりも、「法律がどう定めているか」を見る習慣を持つべきだ。


心を打たれる珠玉の一文

世論は人を裁けても、判決を書けるのは法律だけだ。

この一文に、裁判という制度の本質が詰まっている。

感情は世論を動かす。

証拠は裁判を動かす。

そして法律は、その両者を切り分けるために存在している。


最後に

事件が報じられるたび、私たちは「厳罰か」「軽すぎるか」という感情で語りがちだ。

しかし、本当に知るべきなのは、その事件が好きか嫌いかではない。

法律がどういうルールで判断するのかだ。

今回の件でも、判決はまだ言い渡されていない。

有罪・無罪も含め、最終判断は裁判所が下す。

その一方で、「もし3年を超える拘禁刑(旧・懲役刑等)が言い渡されれば、原則として執行猶予は付かない」という制度自体は、多くの人が知っておいて損はない法律知識である。

ニュースを「感情」で読むか、「制度」で読むか。

その違いが、情報に振り回される人と、本質を見抜く人を分ける。

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