怪談百物語#32 売れ残り
何の祝い事もないが、ケーキを買って帰ることにした。
子どものころよく母にねだって買ってもらっていた。
父はいつもシュークリームなので不思議だった。
安いんだよなあ。
「すみません、このシュークリームひとつ。」
「かしこまりました。ほかに何かございますか?」
父と母の子だ、私は。
意思も二人分継いでいる。
ショーケースの中、山盛りのシュークリームと隣り合わせで置かれているオペラ。
一山幾らと比べて高級感を掻き立てる。
チョコレートの濃厚なくちどけが思い起こされる。
お前も道連れだ。
「じゃあこのオペラも。」
庶民と父の味方、シュークリームと高級感の塊、オペラを同梱する。
「こいつやりおるな。」なんてことは言わない無機質な店員。
「お待たせいたしました。」
素敵な笑顔。有機質の塊だ。
ありがとうございましたの声を背に帰宅する。
最後の一個を救った勇者が故郷の家に入る。
勇敢な父もいっておいでと見送ってくれた母もいない小さな部屋。
月額4万の小さな城。
冷蔵庫も開けずにユニットバスへ直行。
ある程度畳んだスーツは皺がつきにくい。
嘘はつきやすい、皺だらけじゃないか。
もう2万だせば本当に皺が付きにくくなったんだろうか。
まあ僕が買えばなんにでもケチがつく。
ドライヤーを手にコンセントを探す。
使用適用外の延長タップは旅好きだ。
1,200wギリギリに耐えながら髪を乾かす。
ケーキは常温、保冷剤はもっと頑張れ。
夕食のハンバーグを温める。
僕の母とは違うお母さんの食堂。
近い内に名前が変わるらしい。
再婚だろうか。父を忘れたのか?
酷い会社だ。
世間の声に身を任せた愚かなアッツ!
虐待だ、これは。世間が僕を戒める。
ケーキ食べるか。
シュークリームは箱の中、一人寂しく冷蔵庫へ。
うちに一枚だけ買ってある何でも映える皿にケーキを載せて一枚。
――パシャ
こう見えてインスタを嗜んでいる。
可愛い猫をフォローする専用アカウント。
投稿したことなど一度もない。
自己満足の一枚。
オペラにフォークを通す。
――カチ
形を崩さずに皿まで到達する。
腕か。
しっかりとした生地の層。
もったりとした口触り。
下がとろけるようで目がさえる、カフェインの味は美味い。
加糖コーヒーを飲みなれた口には新鮮。
あのケーキ屋、また通うか。
父と母の通ったあの店。
僕の知らない二人の思い出がそこにはあるのかもしれない。
アルバムを引っ張りだしてきた。
コーヒーも淹れて、ケーキ片手に思い出旅行。
『おめでとう』と書かれた表紙を開く。
三歳の僕は鼻に管を通して、シュークリームを手に青白い笑顔でこっちに笑いかけていた。
歯がない。
僕にはある。
冷蔵庫を開いてシュークリームを持ってきた。
アルバム越しに笑顔を作る。
二十年越しの邂逅、自分に向ける笑顔。
全く似ていない。
馬鹿。
ページを捲る。
懐かしい気持ちも次々と捲られていく。
五歳、七歳、九歳、十一歳。
奇数の写真ばかり、僕の写真ばかり。
両親の写真がない。
僕のことばかり気にかけていた、優しい父母。
次々にページを捲る。
段々と僕に似てきた写真の僕。
偶数の写真が載ったアルバムはどこに置いたか。
あった。
引き出しの向こう側に隠れていた。
誰があんなところに、まったく。
『ありがとう』と書かれた表紙を開く。
二歳の僕。
紫色の生気の無い表情でこっちを向いている。
ページを捲る。
僕に少しだけ似た子どもが映っている。
一人、二人、三人。たくさん。
この子達はみんな僕の中で生きている。
シュークリームを噛む歯、消化する胃。
全部君たちのおかげだよ。
あのケーキ屋の女の子。
僕がもう少し病弱だったら、きっと僕の中にいた。
山盛りの僕と孤独なオペラ。
――サクッ
僕は一人でも孤独じゃない。
