怪談百物語#49 あたたかい
ひゅうと風が吹く。
会社で最後の仕事を終えて帰る途中、コーヒースタンドの二階にある本屋に寄った。
香ばしいコーヒーの香りと本のインクの香りが混じり合う空間。
私にとっては滅多にない、都会のオアシス。
年末年始の休暇で旅行しようと決めていた。
どこか遠くの人が少ない温泉。
旅行雑誌が並ぶ本棚で何冊か見繕って買って帰る。
一人きりの旅行はひさしぶりだ。
いつもうるさい友人や気を遣う同僚との、付き合い混じりの旅はうんざりする。
ゆっくりと羽を伸ばすために早速新幹線のチケットを取った。
車窓からの景色を眺めていた。
緑と山しかない景色。
流れる途中に人の暮らしが垣間見える。
茶色い田んぼ、畑、家。
寂しい景色と裏腹に気持ちは高揚していた。
「うわあ。」
雪、一面の白。
温泉のある山は薄く雪が積もっていた。
駅を出ると小さな雪だるまが出迎える。
「君は誰に作られたんだい。」
一神教ではないだろう、石でできた顔はとぼけている。
駅に戻ると旅館の出迎えが着いていた。
「おまちしておりました。寒いでしょう、どうぞ中へ。」
旅館のどてらを着たおじさんに荷物を渡すとすぐに乗り込んだ。
座り心地のあまりよくない年季の入った車。
これも風情があって良い。
「ありがとうございます。雪、良い景色ですね。」
「はは、そうなんですよ。この時期のお客さんは、皆さん喜んで下さるんですよね。」
当たり障りのない会話も環境が違うと新鮮に思える。
旅館に着くと案内ついでにそのまま荷物を部屋に運んでくれた。
旅館の説明も終わって、心付けを渡すと喜んで受け取ってくれた。
部屋で荷物をほどいているとさっきのおじさんがお菓子を山盛り持ってきてくれた。
「良い旅行になりますように。それでは、何かあればお気軽にお申し付けください。」
部屋から見える景色も白一色。
雪の合間に温泉だろうか、湯気がもわもわと広がっている。
旅館の温泉に入るのも良い。
だが私の目的はこれ。
雑誌におすすめされている裏温泉だ。
地元の人しか入らないらしいそれは、川沿いにある小さな小屋が目印。
旅館の方にご存じか尋ねてみると、あまり良い顔をされなかった。
「私はそんな場所は存じ上げませんが、どうでしょう。川でしたらすぐそばにございますので。」
それだけ言って忙しそうに去っていった。
どうしよう、もう少し話を聞いてみようか。
さっきのおじさんなら良く運転をしているし、小屋を見たことがあるかもしれない。
「すみません、少々お伺いしたいことがあるのですが。」
駐車場近くの非常口の傍にある喫煙所におじさんはいた。
「へい何でしょうか。」
「あの、この温泉を探しているんですけど。」
雑誌を渡して何か知りませんかとたずねる。
「ああ、ここですか。よければご案内しましょうか。」
ありがたい。
この人なら知ってるかも、って思っていた。
車を出してくれるそうなので、急いで温泉グッズを取りに部屋へ戻る。
車内でおじさんに話しかけられる。
「その温泉はねえ、この辺じゃちょっと有名なんですよ。」
さっき旅館の人に聞いた時は知らないと言われました、と私が言うと
「ああ、あんまり人気はないんですよ。」
入って見ればわかります、といったところで小屋に着いたらしい。
しばらくしたらまた来ますんで、ごゆっくり。
そういうとおじさんは旅館の方へ去ってしまった。
小屋には脱衣所があるが、男女で別れていなかった。
混浴だから人気がないのだろうか。
辺りには誰もいないので、私は構わず温泉へと向かった。
白い景色の中、石造りの小さな温泉がそこにあった。
湯気を包む屋根と低い壁。
嫌がる理由がわかる。
体に湯をかけ、足を湯につける。
ピリピリとした感覚。
熱さが痛みのように爪先、ふくらはぎと伝わっていく。
「はああ。きもちいい。」
全身をつけると血液の循環がわかる。
血が温まり、全身の筋肉がほどけていく。
温泉を楽しんでいると全身を変な感触に包まれた。
なにこれ。
身動きがとれないほどみっしりと、生暖かいぶよぶよとしたものが密着してくる。
温泉の効用だろうか。
さっきまでの心地よさはさっぱり消えてしまった。
すぐに出よう。
ぶよぶよとしたお湯を必死に掻いて何とか温泉から這い出した。
体を拭きながらお湯を見ても、入った時と何一つ変わらないふつうの石造りの温泉だった。
首をかしげながら外に出るとおじさんが車に乗って待っていてくれた。
うつらうつらするおじさんに、コツコツと窓をノックして会釈する。
「ああすみません、寝てしまってて。どうでした?気持ち良かったですか?」
おじさんは照れ隠しなのかニコニコ笑いながら話しかけてくる。
「はい、とっても良いお湯でした。でもなんだか途中でお湯がぶよぶよになってしまって。」
あの奇妙なお湯のことを話していると、おじさんは合点が言ったように大笑いしだす。
「お客さん、ご存じなかったんですかい。あれは肉湯っていうんです。」
おじさんの話によると、あそこは今と変わらず昔から地元の人しか使わない温泉だったそうだ。
今と違うのは湯舟は土を掘っただけ。
壁もなく周りから丸見えの自然食豊かな温泉だったそうだ。
それでそこが肉湯と呼ばれる理由は、あの温泉ではその、営みの場として有名だったそうで。
色を売ったり買ったりするとあそこの温泉でゆっくりと。
まあその、それでいつからか肉湯と呼ばれ出したそうだ。
だが近年になってその風習は行政から廃止され、あそこも綺麗に舗装されて石の湯舟に屋根や壁、脱衣所も作られた。
そうなると観光客も利用するようになった結果、風習は途絶えてしまった。
「そんでもなんでかなあ、お湯の感触がおかしいっていう噂が流れたんですよ。」
つかった観光客のうち、何人かがお湯がぶよぶよになる経験をしたそうだ。
「聞いてみるとですね、みなさん長風呂を楽しまれてらっしゃったそうで。それで私らも真似て長風呂してみたんですよ。そしたら本当にお湯がぶよぶよになるじゃないですか。驚きましたね。一時はあれを観光名物にしようって話も出たんですよ。」
気味が悪いってんで話は消えましたがね、とおじさんは続けた。
確かに面白い経験ではあるが、二度は遠慮したい。
あまり気持ちの良い体験ではなかった。
それにあの感触。
私は自分の体をぷにぷにとつついた。
嫌がる人がいるわけだ。
おじさんの楽しそうに話す声をBGMに、私は外を眺めた。
「はぁ。」
ため息で白く曇った窓に『ダイエット』と書いて袖で消した。
