怪談百物語#20 猿
私は動物園で猿山の担当をしています。
毎日ニホンザルの餌槍や掃除、健康管理が私の仕事です。
彼らの住処は岩山を模していまして、その山はかなり高いんですね。
あの山です。本物の岩山みたいでしょう?
金網越しだと見えにくいかもしれませんがね。
でもほら、あそこ。
てっぺんの岩がちょっと荒くなっているの、見えますか?
以前はもう少し高かったんですよ。
でも10年前だったかな、僕がここの担当になる直前に事故が起きたんですよ。
いえいえ、人を襲ったりとかそういうのではないのですが。
聞きますか?
僕みたいな動物好きには、あまり気分の良い話ではないんですがね。
昔はあの猿山、もっと高かったんですよ。
今はてっぺんでも、そうですね。
大体2階建てくらいの高さかな。
昔は本当に見上げるほど高くて。
掃除の担当は大変だな、なんて酒の席ではいつも笑い話になっていたんですよ。
まあ当時の担当はまだ若くてですね、掃除なんて楽々ですよなんて言っていたんですが。
そうそう、猿山の話でしたね。
今よりも高かった上に金網も無くてですね、今よりもっと近くで猿を見られるって人気だったんです。
そりゃもう毎日学校の見学や親子連れのお客様が来ては、お猿さんをみて笑顔になってくれてました。
はっきりと彼らの生態や毛の柔らかさを、間近で見られるんですから。
人気が出るわけです。なんて、自画自賛ですかね。
私も猿が好きでここの担当しているようなもので。
いや、話がずれてしまいましたね。
まあ今よりも高い山で、今よりも近い距離で見られたということだけ覚えて下されば。
はいそうです、それが原因で事故が起こったんです。
お恥ずかしながらあんなことになるとは、当時の職員は誰一人思っていませんで。
猿の身体能力を舐めていたんですね。
当時の猿山のボスは一際大きな奴でした。
他の猿と比べても一回りは大きくて、チンパンジーみたいなんて、子ども達に言われていたのを覚えています。
そんなことはなく、ただのニホンザルなんですがね。
まあ大きいわ強いわ。長い間ここのボスはそいつだったわけです。
でもある日からそいつの姿を見なくなりました。
担当に聞くと、餌時だけコソコソと出てきて、餌を取ると逃げるように巣穴に戻っていくそうです。
あの猿山には穴がいくつか空いていましてね。
生まれたばかりの子ザルとその母ザルが、身を守るために隠れる場所なんです。
あの大きなボスがそんなところにコソコソと。
私が信じられないのと一緒で、担当も不思議がっていましたね。
周りの猿たちの様子もおかしかったんですよ。
以前はボス猿の周りに集まっていたのに、今は避けるようにして距離を置いていました。
まるでボス猿は群れから追い出されているようでした。
群れにはボスの妻や子がたくさんいたはずなんですがね。
猿の社会は人間にはわからない、そんなものなんでしょうか。
そう、群れから外れてですね。
ボス猿は餌を持って穴にこもるようになりました。
でも持っていける餌なんて微々たるもの。
あれじゃ足りないよな。そのうち餓死するんじゃないかと心配で。
次の健康診断の日、酷いようなら何か対策を考えないといけないな、と。
私は担当に手伝わせてくれと申し出たわけですね。
思えば当時から私は猿が好きだったわけですね、はい。
ああ、また話がずれて。
すみませんね。
伝わりますか?私、本当に動物が好きでこの仕事をしていまして。
だからあの時は本当にびっくりしました。
閉園後、ニホンザルの健康診断を進めているとですね。
ボス猿が脱走したんですよ。
あの猿山が高いと言っても、囲っている柵同じように高くしていたんです。
猿が脱走するなんて、絶対にありえないようにですよ。
現に他の猿は脱走できませんでしたから。
でもボスだけは違いました。
頭一つ抜き出た体格は相応の筋力ももっていたようで。
猿山の頂上から一飛びで、外に出てしまいました。
担当の方に他の猿を任せ、私は急いでボス猿を追いました。
あの脱走は手慣れているように見えました。
ああやって外に出て、足りない餌を外に取りに行っていたのでしょうか。
ボス猿の背中がどんどん小さくなっていきます。
「誰か捕まえてくれ!猿が逃げた!」
ぜえぜえと、私は息を切らしながら他の職員達に聞こえるよう大声で叫びました。
前を塞ごうとしたり、一緒に追いかけてはくれますが一向に捕まえられない。
そうやって追いかけているうちに園の裏手まできてしまいました。
「まずい、外に出てしまう。」
追いかけていた誰かがそう口にしました。
そうなれば一大事です。
ボス猿が誰かを襲って怪我をさせてしまうかもしれない。
もうどうしようもなかったですね。
その場でボス猿を見ながら、携帯を手にしました。
園長と警察に連絡を入れようと思ったんですね。
外に出る柵の手前に着いたボス猿が、ふいっと方向を変えたんです。
助かった。
私はそう思いました。
でもおかしいんですよね。
猿山からここまで、ボス猿は一度も止まったり迷ったりしなかったんですよ。
最初から目的地があったようなそぶりでした。
他の職員に電話を任せて、私は引き続き追いかけました。
ボス猿が曲がった先にある場所がなんだったか。
思い出しました。そして、ようやく追いつきました。
園内で飼育されていた動物たちのお墓。
そこでボス猿はお供えものの果物をムシャムシャと食べていました。
なんて罰当たりな。
でも猿にそんなことわかるわけないですね。
ボス猿は満足したのか私の背に上り、さっさと連れて行けとばかりに髪を引っ張りました。
その姿はいつものボス猿でしたね、はい。
担当の髪が薄い理由はこれじゃないか、って酒の席では笑いのネタになってまして。
また話が、すみません。
最近はこんな姿を見せないボス猿ですからうれしくなりましてね。
それで担当の下に帰って、健康診断がようやくおわりました。
帰ってきたとはいえ脱走の事実は変わりません。
しばらく猿山は閉鎖。
猿たちはバックヤードです。
そこでもやっぱり、ボス猿は群れから離れて隠れているようでした。
ある日、担当につれられて私もバックヤードに入ることになりました。
「ボス猿の様子がおかしいので、一度見てもらいたい。」
いやあ、そんなこと言われてもと思いましたが。
内心頼られると嬉しいもので。
特に動物のことなら余計に嬉しかったですね、はい。
それで様子を見るとですね、なにやらボス猿が暴れているようでした。
他の猿も怖がってか普段より距離を置いていました。
暴れていたボス猿をよく見ると何かと戦っているようでした。
あまりに異様でした。
猿の中でも格段に大きな彼が、自分より遥かに大きな何か戦っているような。
そんな風に私は思いました。
そして、それにはどこか見覚えがありました。
私は動物が好きでしてね、色んな動物を担当してきました。
ボス猿をじっと見ていると、相手の体格がわかりました。
どんな動きをしているのかも見えてきました。
ええ、相手は当時私が担当していた動物でした。
熊ですね。
あの大きな爪で、牙で、ボス猿を襲う姿が私にははっきり見えました。
隠れて物を食べている理由も、他の猿たちが距離を置いている理由もはっきりわかりました。
ボス猿は熊から群れを守っていたわけですね。
でも原因はあのボス猿にあるな、と私は思ったんですよ。
熊は自分の獲物にはとても執着する性質がありまして。
一度手に入れた獲物を取られると、相手を殺してでも取り返す。
そんな生き物なんですね。
あのお墓にはですねいろんな動物たちと一緒に、熊も眠っています。
動物が動物に呪われることもあるんですね。
勉強になりました。
ああ、ボス猿ですか?
その年の冬に亡くなりましたよ。
脱走しないように山を削ったんですが、その必要もなくなってしまいましたね。
それと一応、二度と脱走しないようにと今は金網もつけています。
あのボス猿よりも強い子が生まれないとも限りませんからね。
そうだ。
そのボス猿なんですがね、今は標本として動物園の歴史館に飾られているんですよ。
よければ見ていかれますか?こちらです。
