挫折ばかりの人生だった。それでも私が希望を語り続ける理由 ~あらためて自己紹介~
私はこれまで、
声優
ライトノベル作家
講演家
プロコーチ
など、たくさんの夢に挑戦してきました。
ですが、仕事の忙しさや時間・お金の問題で、それらのほとんどすべてが挫折したり、途中で諦めざるを得ない状況になってしまいました。
いやむしろやりたいことが多かった割に、本当は何をやりたいのか、それらをどうやるべきかという整理をしてこなかったり、優先順位をつけてこなかったせいで、何をどこからどのようにすればよいかがわからず、すべてがくすぶったままの状態になっています。
正直今でもそれらをまとめるのが先か、少しずつでも前進していくのが先か、それらよりもまず皆さんとのつながりを重視するのかを迷っていますが。
それでも私は今、
「誰かの心に希望や安心を届けたい」
という想いだけは手放さずに生きています。
このnoteでは、
人生に迷ったり、
自信を失ったり、
やりたいことが見えなくなった人に、
少しでも前を向くきっかけを届けたい。
そんな想いで発信しています。
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✨️プロフィール
あらためて自己紹介というのもなんか気恥ずかしいものですね(〃∇〃)
とはいえ、ありがたいことに私の記事を読んでくださる方もだいぶ多くなってきましたので、私のことをさらによく知ってもらうために、私がなぜ、どんな気持ちでこのnoteを綴っているのかを知ってもらうために、普段どんな活動をしているかを知ってもらうために、そして、私自身、自分という存在を振り返って深堀りするために、もう一度、あらためて自己紹介します。
[名前] しゅんちゃん (♂️)
[ペンネーム/ハンドルネーム] psychicer・さいきっかぁ
[生年月日・血液型] 1974(昭和49)年7月2日(蟹座) AB型
[出身地] 福岡県糟屋郡志免町
[現住所] 茨城県結城市
[趣味]
・読書(歴史小説・ライトノベル・コミック・心理学・自己啓発書など)
・旅行(神社仏閣古戦場巡り、温泉巡りなど)、散歩
・音楽鑑賞、YouTube観賞
・人とわかりあえる会話をすること
・生成AIいじり
[好物]
・蕎麦(ざるだと塩とかそのまま)
・ラーメン(横浜家系、豚骨)、餃子(とくに佐野ラーメン店のデカいやつ)
・カツ丼
[ニガテ・キライ]
・ 大勢の前で話をすること。人の上に立つこと(指導など)。
・自分を売りつけること。自分から積極的に人に働きかけること。
・争いごと。人を否定すること。見下すこと。
・人に面倒事を押し付けられること。自分のペースを奪われる、乱されること
*ー*ー*ー*ー*
(超長文なので、時間があるときに何度かに分けてお読みください)
✨️生い立ち
私は1974(昭和49)年7月2日に、福岡県出身の母と、長野県出身の父の長男として生まれました。(太陽)星座は蟹座、血液型はAB型。兄弟は4つ年下の弟が一人います。
母は5人姉弟の3女、父は一人っ子で、母の姉弟の子としては最初に生まれた男の子だったので、大変可愛がられたと聞いています(特に母のすぐ下の妹に/15年以上前に他界)
その頃なぜ福岡に住んでいたのかというと、東京の本社に勤めていた父が、転勤で仙台(東北支店)に向かうはずだったところ、事情により急に転勤先が九州支店に変更になったそうです。そして同じ会社の九州支店に勤務していた母と出会い結婚。
当時は知る由もありませんでしたが、私は生まれつき脳性小児麻痺持ちで、運動を司る小脳に麻痺の影響が出ていたらしく、人より動作が緩慢で、特に指先の細かい作業が苦手です。そして言語を司る部分にも影響があったのか、発声も人より少しゆっくりしていました。(今でもそうですが)
その後栃木県小山市に、次いで茨城県結城市へと引っ越すことになったのですが、小山市に住んでいた頃に通っていた幼稚園を離れる際、母が園長先生から、『あの子は元気で周りともすぐ打ち解け合えるけど、あの緩慢な動きと喋りでは将来苦労することにもなるかもしれない』と言われたそうです。
それを受けて、私は栃木県の自治医大(自治医科大学附属病院)で言葉(発声)のリハビリを受けていました。もっともどんなリハビリだったかは憶えてませんが。(リハビリした事自体憶えていない)
その後無事一般の小学校に通うようになってからはリハビリには行かなくなったようです。
そしてその時母がリハビリの先生に、『身体を動かすには水の中がいいですよ』ということを言われたらしく、私は母のすすめでスイミングスクールに通い始めました。
が、その時の私は水面に顔をつけることすらできませんでした。にもかかわらず、先生は私も無理やり背負い、そのままプールに入水。ギャン泣きする私をよそに、そのまま何度か水に潜ったりしていました。
その様子を階上の観覧席から見ていた母が止めさせるように受付に掛け合ったのですが、その時、事務局にいた人に、『今はツラいでしょうけど、ここで逃げたらあの子は一生泳げるようにはなりませんよ』と言われたらしく、断念したようです。ちなみにこれを語ってくれた母は、『普段から見ている人と、そのときにしか見ていない人の反応の違い』を知り、事務員の心遣いに感動したと言っていました。
その後、母の話では私は一人離れたところで顔を水に浸ける練習などをしていたらしく、結果私はいつの間にか泳げるようになっていました。
全然憶えてないどころか、いつの間にか泳げるようになってたことさえ疑問にも思ってませんでしたが💦
この当時の自分の気持ちも当然憶えていませんが、おそらくどこかで悔しさとか、みんなと同じことをしたいとか、このままだと一生泳げるようにはなれないとか、そんな気持ちがあったのではないかと思います。
* * *
中学生になったら自転車通学になるというのに、小学4年生になっても補助輪無しでは自転車に乗ることができなかった私。もともと私の通っていた小学校では自転車に乗るのを禁止されていたし(低学年のみか?)、小学2年生のころ、補助輪付き自転車に乗って弟を迎えに行った時に周りから注意されたのもあってか、その後自転車に乗ることもありませんでした。更にどうやら三半規管が弱かったらしく、バランスを取るのも少し苦手でした。
そこで近所の子達と自転車に乗る練習をしていたさなか、坂の上の小高いところから上級生に背中を押され、私は自転車ごと坂を下っていき、必死にバランスを取ってそのまま自転車に乗ることに成功。
その後も私は何度も何度もその坂の上から上級生に背中を押してもらい、バランスをとる感覚をつかめるまで何度となく練習していたとのこと。私自身は最初の一回しか憶えてなかったけど。
このときも多分また、みんなと同じことをしたい、早く上手になりたい、もっとこの感覚を味わいたいという思いが強く出たのではないかと思います。
その時の情熱どこいった?!
おそらく『本氣で成し遂げたい!』と心の底から強く願い、自分がやりやすいパターンを見つけ、時間を掛けて何度も何度も繰り返しやることこそが、私の黄金の成功パターンなのではないかと思います。
そして、私は一人で作業をこなすことが多いですが、周りの協力を得て、さらに力を発揮するタイプだとも思っています。
* * *
✨️挫折
小学校に入学する前、私は近所の公園で、同じ小学校に通う同級生や上級生に、『生まれつきしゃべるのが遅い』という自己紹介をしていました。そしてある程度勉強も好きでしたし、頑張っていたので、周りに一目置かれていたのか、特に障がいについていじめられるということはなかったです。(※当時はまだ私も両親も、私が障がい者という認識すら無かったです)
が、小学4年生の体育の授業で縄跳びをしていた時、私一人だけがなかなか縄跳びを跳ぶことができず、担任の先生に私一人だけ授業から外れて授業を見学しているように言われたことがありました。
この出来事も母親から後で聴いた話だった(私はこのときの担任の名前すら、全くといいほど憶えてなかった)のですが、なぜ母がそれに気付いたかというと、実は私はそれまで学校でいじめられたことや不満など(ネガティブなこと)を母親に言ったことがなかったそうです。
そこで慌てて母親が担任の先生に『うちの子供(私)がこんな事を言っていたのですが、本当ですか?』と確認したところ、その先生は非を認め、『申し訳ありませんでした。あんなことすべきでなかった』と謝罪してくれたそうです。私には直接謝罪してもらった記憶はありませんが。
多分このことから、周りに否定されたくない・置いて行かれたくない、もしくは周りを否定したくないという思いが無意識に強くなったのではないかと思います。
そして小学5年生の頃、他所から来た転校生に喋り方を揶揄されて言葉によるいじめを受けたことがあります。最初の方こそ受け流してはいたのですが、何度も繰り返し揶揄されるうちに、自分の喋り方に疑問を持ち、自信を失い、周りから否定されているように感じるようになっていきました。
一番ショックだったのが、皆でサッカーのPKをしていた時、その転校生が私と組むことがわかった途端に、『コイツと組んだら負け確定だから、僕達は負けでいいや』と言われたことでした。ちなみにその前年、私はサッカー部員でしたが……(サッカーが好きだった訳では無い)
* * *
✨️障がい者認定と、その後の浮き沈み
思い返せばその時私の喋り方を揶揄していたり、私を否定していたのはその転校生一人だけでした。まあ大人になってから酔った友人に、『しゅんちゃんはなんでそんなに喋り方が遅いの?』とか、電話先の相手に『外国の方ですか?』と言われたことはありますが。
その後特に何の目的も持たないまま、そこそこ偏差値の高かった高校に進学し、行動範囲が広がったところでライトノベルやアニメ・声優にハマり、なんの目的や目標も持たないまま大学受験に失敗して一浪し、翌年無事合格するも、すでに勉強からは興味が薄れてそのままアキバデビュー。当時流行りだしたPCのことを学びたくて、専門学校のマルチメディア科に通うために、一浪してまで入学した大学を2年で中退し、当時はまだ目新しかったHTMLやVisualBasicなどのWeb系を学んだものの、卒業後就職した会社で最初に行った仕事はMDF電話端子盤の保守で、二社目の出向先はCOBOLを使った大型汎用機の維持メンテでした。
結局当初望んでいた、『会社で学んだことを社会で活かす』ことはほとんどできていません。が、逆もまた然り。
その後も生来の動きの緩慢さが原因で、周りから怠けているように見られたり、就職後に『間違えて採用通知を送ってしまった』だの何だの言われ、各社で半年と持たずに5社以上の会社を転々としていました。
それでもめげずに転職活動をしているうちに、秋葉原の近くにあった会社で、松葉杖をついた社長さんと面接。『君のその喋り方は障がい者手帳を取れる』と言われ、両親と相談して茨城県友部市の病院で障がい者手帳を交付してもらいました。障がい名は『脳性(小児)麻痺による両上肢機能障害』、等級は3級。一般には片腕もしくは両腕とも肘から先が無い状態といわれているようですが、私は身体に損傷はありませんし、生活にも仕事にも特に支障はありません。むしろ氣になっていた発声が障がい認定されなかったことにびっくりしました。
ちょうどその頃、関東支店で総務をやっていた父も、労働基準監督署(?)から、『会社でもっと障がい者を雇ってください』と言われていたらしく、父の紹介という形で父が勤めていた今の会社に入社。(※ある程度の規模の会社は、一定の割合で障がい者を雇わなくてはいけない)
会社である程度仕事を憶え、十数年経った頃、私は新人や転勤してきた若手に業務内容を教えることなどもしていました。しかし、元来他人と話すのが苦手だった私は、鴨頭嘉人さん(鴨さん)が主催していた『話し方の学校』に通うことを決断。当時はお金がなかったので、半年間のベーシックコースだけでしたが。(さすがにそれを誰かに教えてお金をもらい、そのお金で先のコースに通うという発想はなかった)
そして『話し方の学校』の当時の副学長で、プロコーチカウンセラー養成スクール『UNIVER』を主催していた津田紘彰さん(ヒロさん)に、『しゅんちゃんは間違いなくこっち側の人間(コーチカウンセラー)だから早くおいでよ』と誘われてUNIVERに入学することに。
とわいえ当初はプロコーチ・カウンセラーを目指すというよりは、コーチ・カウンセリングの技術でコミュニケーション能力を上げることに主力をおいていました。が、UNIVERや卒業後もヒロさんからいろいろ話を聞いたり学んだりしていくうちに、多くの日本人に夢や希望を贈り、ニッポンを元氣にしたいという氣持ちが大きくなってきました。
あわせて、『話し方の学校』の講師である吉井奈々さんに、「しゅんちゃんは私達みたいに上手く喋ることは出来ないかもしれないけど、逆に私達もしゅんちゃんみたいにゆったりとして人の心に安らぎを与えるような喋り方は出来ない」と言われて自分の喋り方に自信を持てるようになったり、UNIVERでも、「しゅんちゃんの喋り方はわかりやすくて聴きやすい」「落ち着いてて安心感を与えてくれる」とお褒めの言葉をいただいたりして、最近では相手に理解してもらいやすいようにわざとゆっくりめに話すようにしています。
ただその後、プロコーチテストに一回落ち、周りがプロになったことで練習にもお金がかかるようになり、練習しにくくなってしまったとか(いまはお金がかかって当然と思っている)、100人セッションをしようとして、ちょうど仕事が繁忙期になり、せっかく申し込んでくれたのにこちらから断るのも申し訳ないと思って募集を辞めてしまったり、冒頭に書いたように、本当は何をやりたいのか、それらをどうやるべきかという整理をしてこなかったり、優先順位をつけてこなかったせいで、何をどこからどのようにすればよいかがわからず、すべてがくすぶったままの状態になっています。
そして、いろいろやるには時間がかかる→会社にいる時間がもったいないので、そこにいる意義も目的も失った会社を辞めたい→会社の給料以外に収入源がないため、会社を辞めるわけにもいかない→短時間で何からやればいいかわからない→…… という無限ループにハマっています。
ただ、そのループを抜け出す方法も見出しつつあるものの、やはり時間がなかったり、最初の一歩を踏み出せずにいる……
* * *
✨️まとめ
私は昔から、
「否定されること」
が苦手でした。
・縄跳びができず授業から外されたこと。
・喋り方をからかわれたこと。
・仕事で能力を否定されたこと。
そんな経験が積み重なって、
私は人一倍
「認めてもらうこと」
を求めるようになりました。
だからこそ今は、
誰かを否定するのではなく、
認め合える関係を大切にしたいと思っています。
* * *
✨️このnoteで発信したいテーマ/ライフワーク・MVV(Mission/Vision/Value)
正直言って、いまはそこまで確立したものはありません。
ですが私自身、周りに認めてもらえることによって安心を得てきましたし、自分らしさを発揮できるようにもなりました。発声に関するコンプレックスや、転校生によるいじめがあったにもかかわらず私はおしゃべりでしたし、周囲に馴染めてましたし、自分から人に働きかけるのは未だにニガテですが、かなり打ち解けていれば自分から話しかけられます。
私の根っことして、私が求めている自由は、
・自分で時間を選べる
・自分でテーマを選べる
・自分のペースで進められる
・じっくり学べる
・じっくり創れる
つまり私のライフワークは
「腰を据えて創作・学習・貢献していく」
「自分の世界観を創り続けること 」
だと思っています。
ですので、まだ仮にですが、
(2026/06/20)
💫Mission
私に関わってくれた人たちに、笑顔と希望を届けること
💫Vision
自分らしく生きる人が増える社会を創る
💫Value
・否定より理解する
・焦らず自分のペースですすむ
・学び続ける
・創り続ける
・人と人をつなぐ
ことを掲げていきたいと思っています。
* * *
✨️あとがき
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました🙇♀️
当初は『このnoteで発信していきたいことと、それに対する想い』のみを書く予定でしたが、『ではなぜそういう発信をしたいと思うまでに至ったか』が抜け落ちてしまうと、その想いとなった土台が抜けてしまうと考え、今まで書いてきた自己紹介を統合して、略歴とエピソードを残しています。
私の場合、強烈な印象を残すほどのエピソードがあったわけではなく、むしろ一つ一つが強烈過ぎて詳細までは憶えてないけど、無意識に自分を守る出来事が積み重なって、想いが募っていっているタイプだと思います。
私は華々しい実績を残した成功者ではありません。注目を浴びるインフルエンサーでもありません。まだそこに向かう過程でもがき苦しんでいる一般人です。
そんな私とともに成長していきたい人、私の成長と怠惰っぷりを見届けたい人、応援してくれる人からの温かい支援と、コメントやメッセージ、フォローをお待ちしています(*´ω`*)
一緒に現在の荒波を乗り越えていきましょう!
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#優しさと勇氣を贈る成長マガジン
ここは、
「迷いの中にいるあなたが、安心して戻ってこられる場所」
としてつくりました。
焦らなくていい。
比べなくていい。
あなたのペースで、大丈夫です。
心が整えば、人生はまた動き出します。
その一歩に、静かに寄り添えたら嬉しいです。
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最後までお読みくださりありがとうございました(´ω`)
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