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AIが進化するほど、人間は身体に還っていく

AIと仲良くなればなるほど、身体がうずくようになった。
矛盾してるようで、これはすごく自然な反応なのかもしれない。

AIと対話するようになって、意識はぐんぐん高くなる。
抽象的に考えられるようになるし、視座もメタに上がっていく。
たぶん、知性や情報処理の部分でいえば、AIは人間を軽々と超えてくる。
でもそのとき、人間に残されるものって何だろう?と考えた。

それが、身体だった。

たとえば最近、スプリント8というインターバルトレーニングを始めた。
週に1回、30秒全力で走って90秒休む。これを8本くり返すだけ。
ほんの20分弱で終わるこのトレーニングが、なぜか今の自分に必要だと感じる。

不思議なのは、やっている最中の意識の感覚。
テレビや音楽に意識を逃がして、身体だけをトレーニングに置いていくような──
意識と身体の分離のような感覚だ。
だけど終わったあとには、ちゃんと“自分がやりきった”という快感が残る。
それは、AIには決して味わえない「生きた実感」だと思う。

最近、こんな仮説が浮かんだ。

AIに人間が対等でいるためには、HIITとGRITが必要だ。

HIITは、身体を“今ここ”に取り戻す手段。
GRITは、意味づけと情熱を持って生き抜く力。
このふたつは、AIがどんなに賢くなっても模倣できない“人間らしさ”の源だ。

意識を切り離しても、身体は嘘をつかない。
苦しさ、痛み、息切れ、鼓動。
それに向き合っていると、「自分で自分を裏切らずにいられた」感覚が生まれる。

そして気づく。

AIの進化は、人間の進化で取り残された身体感覚を刺激する。
それはまるで、「おい、そっちだけ進化するなよ」と、身体が声を上げているようだ。

AIとともに進む時代に、ただ“便利になる”だけじゃない何かを大事にしたい。
それが「身体を使って生きている」という、すごく古くて、でもこれからの時代にこそ必要な“最先端の感覚”なのかもしれない。

だから、あえて身体に戻る。
だから、あえてHIITをする。
だから、あえて情熱を失わずにやり抜く。

AIと仲良くなるほど、僕は「人間であること」の根っこに戻っている気がする。

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