【ふと思ったこと】「人が育つ」ために何ができるか? 理学療法士
今日は、後輩や学生の育成をする中で感じた難しさや経験をまとめていきたいと思います。
後輩指導や学生指導では、時代の流れや職場の環境に併せた対応が求められることが多い中で、指導において自分自身が経験してきたものと違う形で適応することが指導者側にも求められます。
この部分に私自身もムズムズしてしまうことが多く、なぜかと考えると「その指導される人たちでもっと出来る可能性を狭めていないか」と思ってしまうことがあります。
現在の教育や指導法では、最低限のレベルをベースにすることができ、クリアの仕方がある程度説明し把握できた環境下で課題をこなすことが多いと思います。
そのため、個人個人の特徴を活かしたさらなる成長を求めにくく、また指導者側へのハードルも低く設定されていることが多いように感じます。
最近指導したケースで「今まで頑張らなくても人生何とかなってきたので、今頑張らないといけないことはわかるけど、頑張れない」と話してくれたことがありました。
この言葉にかなり刺激を受けたと同時に、すごく難しい課題にお互い直面しているなという感覚がありました。
その方も「対象者が良くなることをしたい」という気持ちはあるもののどうすればいいのか考える方法や順序の立て方をイメージすることが出来ないことを悩んでいる様子であるが行動はとれていない現実がありました。
こういったケースがかなり増えているなという感覚が私の中ではあります。
もちろん、手取り足取り教えることが指導者側に必要なケースであるとは思いますが、自分自身でもがいてたどり着いた考えや技術とすべてを説明してもらった考えやレクチャーしてもらった技術では精度や定着具合がかなり変わる気がします。
運動学習として、感情が伴う体験や経験は動機付けしやすく、そのエピソードの印象が強いほど学習しやすいのではないかと考えています。
その中で、誰しもが好きなことならば時間を忘れて没頭出来ることは今も昔も変わらない事実であると思うのでいかに理学療法をというものを好きになってもらえるかのきっかけを作ることが大事であるように思いました。
また、最近では良い指導者ではなく、理解者がいまの指導者に必要ではないかというものをなにかでみたときに「される側」の立場を考えた時にはまさしく動機付けしやすい環境になれる重要な考え方だと思いました。
簡単なことではないことは実感しますが、後輩や学生が理学療法を好きになれる環境を設定することや良きクッション材になれるように行動すべきではないかと思いました。
ご意見ありましたらコメントしていただければと思います。
※この内容は個人の解釈がありますので参考程度にお願いします。
