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爆烈忠臣蔵 観てきました 

 劇団新感線45周年興行。
期待して、楽しみにして、観てきました。
 久しぶりの新橋演舞場、スーパー歌舞伎で何回通ったことか。懐かしく、感慨深く、一階から三階まで、くまなく歩き回ってきました。
 それなりに楽しめました。特に、早乙女太一君は、抜群の立ち回りと、美しい女形姿を見せてくれて、大満足でした。
 しかし、歌舞伎を見慣れている者からすると、音が、台詞回しが、気になって、イマイチ芝居に集中できない、というか、台詞が聞き取れないのです。
 歌舞伎では、マイクは使いません。江戸時代にはマイクはありませんから、当然ですが。
 そのため、歌舞伎役者は喉から血を流しながら、大向こうまで届く声を獲得するのです。
 昔は、今のように劇場が広くなかったので、小屋と言っていたくらいですから、それ程の鍛錬は、必要なかったのでしょうが。
 音は大きいのに、台詞が聞き取れない、歌も歌詞がわからない。
 これは、表現するものとして、致命傷ではないかと思います。
 まずは、伝わってなんぼの世界だと思うのです。

 もう一つ、これは主題にもなっているテーマでもあるのですが、女が歌舞伎の舞台に立つ事について。
 歌舞伎座では、寺嶋しのぶさんが、芝浜に立っていらっしゃいます。少しまえには、文七元結で、歌舞伎座に立ちました。
 その舞台も拝見しました。

 規制を外して、女性にも活躍の場を、という考えには大賛成です。その事に反対するつもりは毛頭ないのですが、やはり歌舞伎には、女性は立たないでほしいのです。
 その大きな理由は、声です。生身の女性の声は、キーが高くて、キンキンと響くのです。
 もう一つは、所作です。
 女形としての芸として磨かれた所作と、生身の女性がそのまま演じる所作は、同じようで全く異なるのです。
 だからこその、女形の、至芸なのです。そこに、生身の、女性が踏み込んでは、サッカー⚽️のルールに両手使って良い人が紛れるようなのもです。
 全ての土台が、崩れるのです。何でもありのこの時代に、折角四百年の歴史を紡いできた歌舞伎の世界に、何でもありの風潮を持ち込んでしまうのは、余りにも早計、余りにも勿体無い、未来に禍根を残す事になると、私は思うのです。

 劇団新感線45周年興行。一口に、45年と言えない長さです。よくぞここまで、継続してきました。天晴れ、お見事です。だからこそ、中途半端な舞台は認められないはず。
 招待役者の小池栄子さん、良く勤めていました。早乙女太一君は、流石、大衆演劇で幼い頃から鍛え上げられているだけあります。向井理さん、舞台の経験が少ないのかな?若干工夫が欲しかった。
 そしてこれはあくまでも私の感覚なのですが、何故あんなに沢山殴る場面を入れ込むのでしょうか?
  「強きを挫き、弱きも挫く」
と言いながらバシッ!
 その他の場面でもバシッ、バシッと、常に殴るのです。
 とても違和感を感じました。これが劇団新感線の特徴なのであれば、常連さんには違和感なく受け入れられるのでしょうが、初心者には、違和感が強くてはなしに入り込めなくなりました。

 辛口になりましたが、あくまでも歌舞伎好きの目から見た感想です。これを見て歌舞伎も観てみようと、思ってくださる方が増えたら、嬉しいです。
 そして何より、大衆演劇、商業演劇の世界が広がって、役者を目指す若者が陸続と現れてくれると、尚嬉しい。喜劇がもっと隆盛したら、尚なお嬉しいですね。
 演劇、芸能、歌舞伎、音曲、これらがなければ、人間は生きていけないのです。生きる糧なのです。
 推し活などという言葉が流行ってます。とても良い事だと思っていますが、推し活にはならなくても、好きな舞台を観たり、コンサートに行ったりする事は、日々の生活に潤いを与えてくれます。それだけてなく、歌舞音曲、芸能は、魂の栄養、人間の根っこを育むものなのです。

 劇団新感線の45周年興行.誠におめでとうございます。
 辛口の批評になりましたが、これも単にもっと良い舞台を作ってほしいからに他なりません。
 早乙女太一君、美しい。ファンになりました。

#劇団新感線
#新橋演舞場
#早乙女太一

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