第12回「拳精」
◆【作品考察】クンフー×ファンタジー?異色作『拳精』の不思議な魅力
「拳精」。
この映画は、クンフー映画には珍しく
ファンタジーな仕上がりになっている。
タイトルの通り拳の妖精が出てくるのだ。
また、彼らの格好がコントに出てきそうな
全身白タイツで赤髪のカツラを被ってる。
全然、かわいくないのだ。カッコよくもない。
そんな妖精たちとジャッキーで繰り広げる
拳法ファンタジーになっている。
軸になる内容については、
この当時の香港映画に
ありがちな謎解き部分がある。
ある日、突然、少林寺から七死拳の極意書が
盗まれる。それを期に、七死拳の使い手が現れ、
次々と拳法家達を抹殺していく。
すべては自分が拳法界の
最高責任者になるためだ。
それと同じくして少林寺の中でも
殺人事件が起こる。
拳法界の現最高責任者が暗殺されたのだ。
少林寺の僧が容疑者としてあがるが、
犯人は別にいると思い謎を解明しようと
動いていた別の僧まで暗殺される。
極意書を盗んだ男の正体は?
少林寺で起こった殺人の犯人は誰?
七死拳の使い手の侵略を
くい止めることはできるのか?
この話に、ジャッキーと
5人の妖精が絡んでくるのである。
「拳精」は、ファンタジー推理
コミカルクンフー映画ってことなのである。
だが、名探偵コナンのような名推理を
ジャッキーは披露したりはしない。
ジャッキーは、ひたすら妖精から
教わった五獣の拳を使って戦うのみである。
その戦いの果てに、犯人自らボロを出し、
少林寺の僧に、その正体を明かされて
しまうと言う流れだ。
【舞台裏の真実】嫌々の撮影?それでも画面で輝くジャッキーの凄み
「拳精」は、ローウェイ監督の
コメディクンフー映画となっている。
ジャッキー育ての親ローウェイが、
「天中拳」の試写を見た後、
「こんなものはコメディじゃない!」
と憤り、
「オレが本当のコメディを見せてやる!」
と意気込んで作ったものが「拳精」である。
その出来栄えはと言うと、
これが意外に面白いのである。
ジャッキーの自伝を読むと
ジャッキー自身は、「拳精」を
好きじゃないようだ。
確かに自分のやりたかった事を
形にした「天中拳」を否定され、
ローウェイのコメディとやらに
つき合わされて撮影したとあって
良い印象は全くない。
そんなジャッキーの思いとは裏腹に、
画面越しに見るジャッキーは、
実に生き生きと楽しげに
役を演じているように見える。
アクションについても
ジャッキーが武術指導を
おこなっているが
とてもリズミカルで
テンポの良い殺陣となっていて
そんな嫌々撮影していたとは
思えないくらいの完成度である。
だからと言って、ローウェイの作る
コメディが素晴らしいかと言われれば、
それは違うと思う。
ローウェイが、「拳精」のどの部分で
オレ流のコメディというものを意識して
制作したのかはわからない。
私が勝手に考えてみるに
一つ目は、やはり5人の拳の妖精だろう。
冒頭で述べた通り、
この妖精が、かわいくない。
むしろ、全員おじさんっぽい感じで
気持ち悪いのだ。
この風貌がコメディ要素だとしたら
正直センスはない。
人が骸骨に見える謎の描写や、
妖精が逃げ込んだ場所に
小便をひっかけるシーン
(当然TV版ではカット)など、
今見るとかなりシュールで
下品な味付けとなっている。
正直、監督のコメディセンスには
疑問符がつくが、
それをジャッキーが演じると、その
生き生きとしたキャラクターによって
奇跡的に『見られるコメディ』へと
変化するのだから、
やはりジャッキーあってこその
「精拳」の面白さと言えるだろう。
ドジョウやカエルを捕まえて
ズボンの中に入れるシーンも同様である。
(この撮影がジャッキーは本当に
嫌だったようだ)
また日本公開版には
いつものように日本独自の主題歌
「チャイナガール」が劇中でも
よく流れており、この音楽によって
コメディ映画として助けられている
部分も大いにあると思う。
もちろんローウェイのすべてを
否定するものではない。
ローウェイ監督のジャッキー作品としては
「拳精」の他に「飛龍神拳」も好きな作品である。
偶然できたっぽい
「ドラゴン怒りの鉄拳」も名作である。
ジャッキーと対立したり、金づるとして
奴隷契約を結ぼうとしたこともあって、
ファンの間ではローウェイの印象は良くはない。
この「拳精」にしても、どこまで
ちゃんと監督していたか定かではない。
だが、ローウェイがいなければ、
今日のジャッキーがなかったのも事実なので、
ジャッキーファンとしては、少しだけ
感謝の気持ちを持っても良いと思う。
話がかなり逸れてしまったが「拳精」に戻る。
【ファンへの注意点】隕石、少林寺、そして妖精は宇宙人?
この映画で、私からの注意点が2つある。
5人の拳の妖精だが、登場する前に少林寺に
隕石が落ちてくるような描写がある。
(ロケット花火やねずみ花火っぽくみえるけど)
この描写のせいで、5人の妖精は宇宙から
地球にやって来たと思ってる人が
いるかもしれない。
もし、宇宙から来たとしたら、「拳精」は
「SFファンタジー推理コミカルクンフー映画」
になってしまうが、宇宙から
来たわけではないのでSFではない。
隕石が落ちて、少林寺の本棚が
次々倒れたことによって
本棚の奥にあった五獣の拳の
極意書が表に出てきた。
その弾みで?妖精たちも
現れたということである。
あくまでも五獣の拳の妖精なのである。
【考察】なぜ極意書を盗んだ?黒幕が企てた「完璧な計画」
もう1つは、最後の犯人の矛盾である。
犯人は、盗まれた七死拳を
使う若者の父親であった。
この父親の正体は、あえてここでは触れないが。
この父親は、最後すべてを、ぶちまけた後、
ジャッキーとラストバトルとなる。
これが、結構強いのだ。
七死拳を使っていた若者は、
ジャッキーの五獣の拳に敗れる。
そのジャッキーが、父親相手に
かなり苦戦することになる。
最後は、妖精たちの力も借りて
なんとか倒すことができるのだが。
ここで疑問が浮かびあがる。
最初から、この父親の武術を息子に
教えていれば、極意書を盗むとか
そんな面倒なことをしないで
済んだのでは?と。
しかし!と私は言いたい。
父親の目的は、息子を
拳法界の最高責任者にすること。
ということは、現在の最高責任者の
存在が邪魔になる。
だからと言って、現最高責任者の家に行って
命を奪ってしまうと、
犯行動機から自分が犯人だと
バレてしまうかもしれない。
少林寺門外不出の七死拳の使い手が
現れたことによって
この現最高責任者は、少林寺を訪れる。
そして少林寺で命を落とすことになる。
犯人の父親にしてみれば、
僧侶、下働きも含めて人の多い
少林寺におびき出して暗殺してこそ、
アリバイ工作も含めて犯人が特定しづらくなり、
息子を最高責任者にとの計画も進められる。
だから、あえて極意書を盗んだ。
そういうことである。
ジャッキーが5人の妖精と出会わなければ
男の計画は、上手くいってたかもしれない。
なんて
そうとう、くだらないことの説明に
スペースを使ってしまったが、
どうしても言いたかった。
さて、いつもの恒例のバージョン違いだが、
香港版と日本公開版の違いは、
主題歌「チャイナガール」が
流れるかどうかである。
先程も書いたが、この主題歌が
流れるかどうかで
「拳精」の作品としての出来に
大きく影響があるように思う。
もちろん、それは、この主題歌を聞いて
育ってきたので私の贔屓目と
いうのもあるだろうが、
やはり、主題歌が流れる日本公開版こそ、
私が名作と思える「拳精」である。
ジャッキーと5人の妖精が共闘する
ラストバトルでも
「チャイナガール」がかかる。
最初は、かわいくないと思ってた妖精たちが
ジャッキーを助けながら戦う姿に、
愛らしい気持ちが芽生えてくる
ような気になるから不思議だ。
これも、「チャイナガール」効果だろうか?
ラストのオチも含めて、ちょうど
「チャイナガール」の曲の終わりと共に
「終劇」になるところも大好きである。
※画像はAI(Gemini)を使って
当時のポスター風に再現・作成したものです。
いいなと思ったら応援しよう!
お気持ちだけで、とてもうれしいです。