母がまた、鮭を買ってきた。
我が家は、三世代で暮らしています。
私と両親。
そして、高校生の息子と娘。
5人で暮らしていると、それぞれ生活の時間も違えば、食べたいものも違います。
そんな我が家で、時々起こることがあります。
母が買い物から帰ってくると、
「これ、〇〇が好きだったよね」
と言って、お菓子を買ってきてくれるのです。
子どもたちが好きそうなものを見つけると、つい手が伸びるのでしょう。
娘が好きな鮭を買ってくることもあります。
そして、
「これ、美味しかったよ」
なんて孫から言われると、
母はとても嬉しそうにします。
ここまではいいのです。
問題は、その次です。
次に買い物へ行くと、
同じものを大量に買ってくるのです。
「お母さん、こんなに買ってきたの?」
思わず笑ってしまいます。
でも母にしてみれば、
きっと、とても単純なことなのだと思います。
孫が喜んでくれた。
美味しいと言ってくれた。
だから、また買ってあげたい。
ただ、それだけ。
そんな母を見ながら、
私はあることを思いました。
人は幾つになっても、
大切な人のために、何かしてあげたい
という気持ちは変わらないのかもしれない、と。
年齢を重ねると、
少しずつ「してもらう側」になることが増えていきます。
私もいつの間にか、
母に対してそういう見方をすることが増えていました。
通院に付き添う。
買い物を手伝う。
料理をする。
何か困っていないか気にかける。
私が母を「見守る側」になったのだと思っていました。
でも、
孫のために鮭を買ってくる母を見ていると、
そうではないことに気づかされます。
母は今も、
誰かに何かをしてあげたい人なのです。
孫が喜ぶものを覚えていて、
スーパーで見つけたら買ってくる。
そして、
「美味しかった」
と言ってもらえたら、また買ってくる。
たとえ、ちょっと多すぎても。
その姿を見ていると、
なんだか母らしいなと思います。
そして最近、
そんな母の姿と自分が重なることがありました。
私は仕事で、訪問リハビリに伺っています。
リハビリの中でストレッチなどをしていると、
ご利用者様から、
「それ、気持ちがいいね」
と言っていただくことがあります。
そんな言葉をいただくと、
私は次に訪問した時も、
できるだけ同じことをするようにしています。
すると、
「あら、覚えてくれてたの?」
そう言って、
笑顔を見せてくださることがあります。
私は、この瞬間がとても好きです。
もちろん、自分の技術を褒めていただけることも嬉しい。
でも、
「上手だね」
と言っていただくことよりも、
「覚えてくれてたの?」
と言っていただけた時の方が、
私には何十倍も嬉しく感じます。
どうしてだろう。
今まで深く考えたことはありませんでした。
でも、
孫のために鮭を買ってくる母を見ていて、
少し分かったような気がしました。
母は、
「鮭を買ってあげたい」
だけではないのかもしれません。
孫が喜んでくれたことを覚えている。
そして、
もう一度喜んでほしいと思っている。
私も同じなのかもしれません。
「あのストレッチ、気持ちよかったよ」
その言葉を覚えている。
だから、
次にお会いした時もやってみようと思う。
そして、
「覚えてくれてたの?」と笑ってもらえたら、
私まで嬉しくなる。
そこには、
すごい技術も、
特別なこともありません。
ただ、
あなたが喜んでくれたことを、私は覚えています。
そんな気持ちがあるだけです。
考えてみれば、
私は母から、
「こうしなさい」
と教わったわけではありません。
大切な人が喜んだことを覚えておきなさい。
また喜んでもらえることをしなさい。
そんなふうに言われた記憶もありません。
でも私は、
同じことをしています。
もしかしたら、
言葉で教えてもらったのではなく、
ずっと母の背中を見ていたのかもしれません。
子どもの頃、
母は家族のためによく動いていました。
当時の私は、
それを当たり前のように受け取っていました。
でも今、
母が年を重ね、
私自身も親になり、
仕事でもたくさんの方と関わるようになって、
ようやく分かることがあります。
親から受け継ぐものは、
顔や声、
性格だけではないのかもしれません。
誰かが好きだったものを覚えていること。
喜んでもらえたことを覚えていること。
そして、
「もう一度、喜んでもらいたい」
と思うこと。
そんな目には見えないものも、
知らないうちに受け継いでいるのかもしれません。
母から私へ。
私から子どもたちへ。
そして時には、
私から仕事で出会った誰かへ。
そうやって、
誰かを大切に思う気持ちは、
人から人へ渡っていくのかもしれません。
きっと母は、
そんなことまで考えて鮭を買っているわけではないと思います。
次の買い物でも、
また買ってくるかもしれません。
しかも、
また少し多めに(笑)
その時はきっと私は、
「またこんなに買ってきて」
と言ってしまうでしょう。
でも今までとは少しだけ、
母を見る目が変わりそうです。
その鮭の向こうに、
「喜んでくれたから、またしてあげたい」
という母の声が、
少しだけ聞こえるような気がするからです。
そして、その声は、
いつの間にか私の中にもありました。
誰かが喜んでくれたことを覚えている。
そして、
もう一度その笑顔を見たいと思う。
私はそんな気持ちまで、
母の背中から受け継いでいたのかもしれません。
これからも、日々の中にある「見えない声」に耳を澄ましながら、その一つ
ひとつを言葉にしていきたいと思います。
