見出し画像

「こんな私でもいい」と思えた日

私はずっと、「もっと優しい人でいたい。」
そう思っていました。

仕事では理学療法士として、相手に寄り添うことを大切にしてきました。

家では娘として、母にも優しく接したいと思っていました。

だから、仕事で疲れて帰ってきても、笑顔で話を聞ける人でありたかった。困っていたら、すぐに手を差し伸べられる人でありたかった。
そんな自分が「理想」でした。

でも現実は違いました。
仕事を終えて帰宅し、ようやく一息つけたと思った時、
母から
「ねぇ、ちょっと…」
と声をかけられる。

そんな時、私は
「ちょっと後にして。」
と言ってしまうことがありました。

母は
「ごめんね。」
と言って部屋へ戻る。

その背中を見ながら、私は自分を責めました。
「理学療法士なのに。」
「人に寄り添う仕事をしているのに。」
「母にさえ優しくできないなんて。」
そんな言葉で、自分を苦しめ続けていました。

でも、母との時間を重ねる中で、少しずつ気づいたことがあります。

私は、
「理学療法士だから。」
「娘だから。」
「優しい人でいなければ。」
そんな"〜だから"という鎧をいつの間にか自分に着せていました。

その鎧は誰かに着せられたものではありません。
自分で自分に着せていました。


そしてもう一つ、気づいたことがあります。

私は、優しさを勘違いしていました。
全部やってあげること。
いつでも笑顔で応えること。
相手のために自分を後回しにすること。
それだけが優しさだと思っていました。

でも、母との時間や訪問リハビリでたくさんの方と関わる中で、
そうではないことを教えてもらいました。

見守ることも優しさ。相手を信じて待つことも優しさ。
自分が疲れている時には、少し休むことも優しさ。

その人らしく生きる時間を大切にすることも、
優しさなのだと思えるようになりました。

そう思えた時、私の中で何かが変わりました。

私は、完璧な理学療法士ではありません。
完璧な娘でもありません。
疲れる日もあります。
余裕がなくなる日もあります。
それでも、母を大切に思う気持ちは変わりません。

その気持ちがあるだけで、十分なのかもしれない。
そう思えた時、初めて自分に、

「こんな私でもいい。」

と言えた気がしました。

今でも、優しくできない日はあります。
自分を責めてしまう日もあります。

でも以前のように、その一日だけで、
自分のすべてを否定することは少なくなりました。

「こんな私でもいい。」

この言葉は、諦めではありません。

私はこれからも、完璧を目指すのではなく、
自分にも母にも、少しずつ優しくなれる人でいたいと思います。

「見えない声」に耳を澄ましながら、これからも一つひとつ、言葉にしていきます。

いいなと思ったら応援しよう!