令和新撰組血風録第一章 第十一話 官邸包囲
夜の江戸は、
不気味なほど静かだった。
総理官邸の周囲には、
いつもより多い警備が配置されている。
警視庁。
機動隊。
私服警官。
表向きは、
定例の警戒強化。
だが、
その空気は明らかに違った。
——何かが来る。
誰もが、
それを感じていた。
⸻
新撰組本部。
照明を落とした作戦室で、
通信端末が低く鳴る。
斎藤恒一だった。
「……来た」
短い言葉。
だが、
その一言に
すべてが詰まっていた。
⸻
「官邸周辺、
複数の動線で
不自然な人の流れが確認された」
「合法と違法の境界線を
なぞるような動きだ」
モニターに、
赤い点がいくつも灯る。
「鷹宮宗介が、
動く」
斎藤は、
断言した。
⸻
近藤は、
腕を組んだまま
画面を見つめている。
「確度は?」
「高い」
「彼は、
“失敗しない形”しか選ばない」
斎藤の声には、
珍しく感情が混じっていた。
「……今夜だ」
⸻
「新撰組、
動けるか?」
誰かが言った。
その問いは、
政治的にも危険だった。
解体の話は、
もう出ている。
失敗すれば、
組織そのものが終わる。
⸻
近藤は、
土方を見る。
「土方」
「官邸外周、
最終ラインを任せる」
一拍。
「——気をつけて動け」
室内の空気が、
一瞬固まる。
⸻
近藤は、
続けた。
「守れ」
それだけだった。
⸻
総理官邸。
高い塀。
強化ガラス。
最新の監視網。
だが、
完璧な防御など
存在しない。
影は、
必ず入り込む。
⸻
官邸から少し離れた場所。
鷹宮宗介は、
車の中で
時計を見ていた。
予定通り。
すべてが、
予定通り進んでいる。
「新撰組は?」
「外周に出ています」
「……鬼は?」
「います」
鷹宮は、
小さく頷く。
「いい」
「観察しよう」
⸻
官邸外周。
土方利之は、
闇の中に立っていた。
派手な配置ではない。
だが、
一歩でも踏み越えれば
必ず視界に入る位置。
胸元の
新・兼定がわずかに重い。
まだ、
抜かない。
⸻
その時。
通信が入る。
「……南側、
異常」
次いで、
別の方向。
「北、
通信遅延」
「東、
照明トラブル」
——同時だ。
⸻
土方は、
一瞬だけ目を閉じる。
(来る)
⸻
遠くで、
人の波が動いた。
抗議でもない。
暴動でもない。
——静かな、
包囲。
⸻
官邸は、
完全に“囲まれた”。
だが、
誰もまだ
手を出していない。
それが、
最も恐ろしかった。
⸻
次の瞬間。
官邸正面の街頭ビジョンが、
一瞬だけノイズを走らせた。
ブツ、と音がして
画面が暗転する。
「……?」
警備の誰かが
顔を上げる。
画面が戻った。
映ったのは——
徳川総理の顔。
だが、
今夜の官邸のものではない。
照明が違う。
音が違う。
温度が違う。
「——徳川という名は、
制度ではない」
土方の背中に、
冷たいものが走る。
(違う)
総理が、
そんな言葉を言うはずがない。
⸻
追い討ちのように、
周囲の広告ビジョンが
同じ映像を流し始めた。
同じ顔。
同じ声。
同じ言葉。
江戸の夜が、
ひとつの放送に
支配されていく。
⸻
映像の徳川が、
最後にこう言った。
「——血の徳川は、
ここにいる」
ざわめきが
波のように広がる。
熱狂ではない。
——理解した音だ。
誰かが、
何かを“信じた”音。
それが一番怖い。
⸻
官邸周辺の人間の目が、
一斉に同じ方向を向く。
どこだ。
誰だ。
本物は。
包囲が、
一段階だけ濃くなる。
⸻
新撰組の回線にも
混乱が走る。
「偽映像だ!」
「サイバーか!」
「官邸内の情報班、応答しろ!」
だが、
その混乱の中で。
斎藤恒一だけが、
別の画面を見ていた。
官邸ではない。
官邸の外。
江戸の別の地点。
——大学方面。
さらに、その外側。
点が一つ、
静かに動いている。
派手な包囲とは逆の、
“薄い動き”。
(……そういうことか)
斎藤の喉が
わずかに鳴る。
⸻
斎藤は、
本部回線を割り込ませた。
「——官邸は陽動だ」
誰かが言い返す。
「何を根拠に——」
「動線が綺麗すぎる」
斎藤は、
言い切った。
「鷹宮は、
“失敗しない形”しか選ばない」
「今夜の官邸は、
派手すぎる」
⸻
斎藤は、
一つの名前を思い出す。
松本悠真。
——徳川悠真。
⸻
そして、
迷わず呼ぶ。
「……土方」
数秒後、返答。
「こちら、土方」
⸻
斎藤の声が、
低く落ちる。
「官邸から離れろ」
一拍。
「——本丸は、別だ」
土方は、
即答しなかった。
だが、
呼吸が変わる。
「……どこだ」
斎藤は、
短く告げた。
「松本悠真の“実家”だ」
⸻
土方は、
闇の中で
官邸を一度だけ見上げる。
光はまだある。
騒ぎもある。
だが。
今ここで守っているのは、
“象徴”だ。
守るべきなのは、
“人間”かもしれない。
⸻
土方は、
踵を返す。
まだ、
刃は抜かない。
だが——
抜かせるための夜が、
始まった。
⸻
官邸の灯りは、
まだ消えていない。
だが、
その光の周囲で
闇は確実に
濃くなっていた。
