となりの億万長者【第1話】あんた、そのうちお金に困るようになるよ
昔、「長者番付」というものがありました。
その年に多くの税金を納めた人の名前と金額が公表される制度で、
いわば日本版「お金持ちランキング」のようなもの。
今はプライバシーの観点から廃止されてしまいましたが、
当時は新聞にも載っていて、
「へえ、あの人こんなに納めてるんだ」
「芸能人ってこんなに稼いでるの?」なんて話題になることもありました。
今となっては 高額納税をするようなお金持ちは
六本木ヒルズのタワーマンションや 芦屋などの高級住宅街、
ラグジュアリーホテルのスイートルームにしか
いないように見えますけれど
実際は 今も同じ町内にゴロゴロいるんですよ。
あまり目立たず、派手なところには出入りせず、軽トラックを愛車にしているような億万長者が。
そしてそのランキングの常連の1人が、
同じように 私と同じ町内に住んでいました。
作業服と足袋と畑と。
年季の入った作業服に、園芸用の黒い足袋。
顔も手も日焼けしていて、挨拶はしてくれるけど 話し方もぶっきらぼう。
誰が見ても、ただの農家のおじさん。
でも、噂は絶えませんでした。
──無農薬レストランをいくつか経営してるらしい
──健康食品やサプリメントの会社もやってるとか
──畑も都内の不動産も、全部自分の土地らしいよ
「らしい」「らしい」「みたい」ばかり。
本人は何も語らないし、宣伝もしていない。
家だってそんなに大きくないし。よくわからない。
だから私は、ひそかにおじさんを
「となりの億万長者」と呼んでいました。
ちょっと、しんどくて……と漏らした日
そのおじさんとちゃんと話すようになったのは、
自分の人生が、少しずつうまくいかなくなっていた頃でした。
仕事のミスが重なって、夫とのすれ違いも積み重なって、
毎日の「やりくり」で精一杯だったあの頃。
私はよく、仲の良い友人たちとお茶をしていました。
「も〜、今日もうまくいかなかった!」
「姑がまた余計なこと言ってきてさ〜」
「私だけ忙しくて、誰も手伝ってくれないの」
そんな話をしながら笑って、慰め合って、励まし合って。
ファミレスで長話、電話で相談、カラオケでガス抜き。
それは私にとって、とてもあたたかい時間でした。
だからこそ──
おじさんの言葉は、衝撃だったのです。
「それ、相談に見せかけた悪口だね」
ある日、畑の前を通ったとき。
おじさんが「ちょっと休んでいきなよ」と声をかけてくれました。
畑を囲っている杭に寄りかかって、
ぽつぽつと話すうちに、私はつい、
いつも友人たちに話しているようなことを漏らしました。
「最近ちょっと、いろいろ しんどくて……」
会社に いじわるな同僚がいること
息子の保育園の担任と 気が合わないこと
頼りにならない夫のこと。
でも、友人たちがいつも精神的に支えてくれていること。
するとおじさんは、にこっと笑いながら、でも真顔で言ったんです。
「それ、心を開いているようで、ただの愚痴だね。
相談に見せかけた悪口だよ」
「お友達たちも いい人なんだろうけど
そういう場所に出入りしてると、
失敗しないようにって、無意識に動くようになるから
あんた、そのうちお金に困るようになるよ。」
……え? と思いました。
私は思わずムッとして、言い返しました。
「違います。
私は、ネガティブを押し殺さないでちゃんと向き合ってるだけだし、
前を向きたいから相談してるだけで……
姑さまのことだって、みんなに嫌ってほしいわけじゃないです」
おじさんは少し笑って、
ゆっくり、でも静かにこう言いました。
「でも、結果的にそうなってるだろ?」
立ち上がるのが“当たり前の場所”にいること
私は言葉を失いました。
何も言い返せなかった。
おじさんは、泥のついた手をズボンで拭いながら、こう続けました。
「大事なのは、失敗しないことじゃない。
失敗しても立ち上がれるかどうかなんだ」
「立ち上がるのが当たり前な場所にいないと、
人は、いつの間にか立てなくなる」
「チャレンジを生み出せない場所なら、
どれだけいい人たちでも、離れた方がいい」
それは、優しさと厳しさが同居したような言葉でした。
私は、しばらく何も言えませんでした。
あの畑の匂いとともに、残り続けている言葉
心を貫かれるほどの衝撃を受けたにかかわらず
それでも私は友人たちとの付き合いをやめられませんでした。
気の合う楽しい人たちだったし、話を聞いてもらって、支え合い、寄り添い合うことの
それの何がいけないのか 全然わからなかったし
何もうまくいっていなかったけど、
それでも不安だらけの毎日を生きていくためには必要な支えだったから。
そして、おじさんの予言のとおり
じわじわと経済的に困窮していくのですけども。
そしてその後も
私は本当にたくさんの“失敗”を経験します。
お金のこと。
家族のこと。
仕事のこと。
でも、そのたびに思い出すんです。
あの畑の匂いと、埃っぽい作業服と、黒い足袋と、泥まみれの手。
「となりの億万長者」がくれたのは、お金ではなく
人生を何度でも再構築するための、考え方でした。
──つづく。
