となりの億万長者【第4話】ナイジェルたちのいる場所
BBQで出会ったあの人たちを、
私はなんと呼べばいいのか、いまだにうまく言葉にできません。
見た目はごく普通の人たち。
でも、誰もが自分の失敗を淡々と語り、
人の失敗には一切口を出さず、
それでいて、なぜか「一緒にいて安心できる」存在。
あの空気。
あの感じが、ずっと忘れられない。
帰り道にふと思い出したのが、
映画『プラダを着た悪魔』の、あるワンシーン。
「君は努力してない」──ナイジェルのひとこと
映画「プラダを着た悪魔」主人公のアンディは、名門大学を出たばかりの新人ジャーナリスト。
夢だったキャリアの足がかりとして、ファッション誌『ランウェイ』の編集長・ミランダのアシスタントとして働くことになります。
でもその職場は、超絶ブラック。
理不尽な要求、深夜の呼び出し、私生活の崩壊。
疲れ果てたアンディが、
「私、がんばってるのに評価されない」と愚痴ったとき──
アートディレクターのナイジェルが、こう言い放ちます。
「君は努力してない。グチを並べているだけだ。
ミランダは求めてるんだ。君が“ここ”にふさわしいかどうかを」
「君はただ、“夢のステップ”だと思って、ここをなめてるだけだ」
「僕にどうしろと?『かわいそうに』と慰めてほしいのか?──甘えるな!」
あのセリフが、胸に刺さりました。
このシーンが大好き!という人も多いんじゃないかな。
そしてその意味を、BBQでようやく実感したのです。
なぜなら──私はずっと、
努力している“つもり”で、変わらないままでいたから。
「癒されたい」が前提にあるとき、人は変われない
以前の私は、「優しさ」を求めていました。
「大変だったね」
「わかるよ」
「がんばってるよ」
そう言ってくれる人の中で、
自分の“正しさ”と“安全”を確認していた。
でも、あのBBQにいた人たちは──
癒してくれなかった。
励ましてもくれなかった。
むしろ、こう言うだけ。
「で、どうするの?」
最初は、冷たいと感じました。
でも、気づいたんです。
私が変わらなかったのは、
“変わりたくなかった”のではなく、
“変われる前提”に立っていなかったからだ。
「私たちならできる」と、信じている人たち
人が変わるには、
「私たちならできる」と確信を持っていることが必要なんだと知りました。
私の話を「聞いてくれない」のではなくて、
「もうこの人は次に行ける」と信じてくれていた。
それに気づいたとき、
私ははじめて「やさしさ」の意味を塗り替えられたような気がしました。
ナイジェルのような人たちが、そばにいる世界
あのBBQの人たちは、どの人も
まるで「プラダを着た悪魔」のナイジェルのようでした。
やさしくない。むしろ厳しい。
でも、あたたかい。
何も言わないけれど、
もう「変化した後の私」を見ているようなまなざしで、そこにいてくれる。
私は長いあいだ、「話を聞いてもらえない」を“拒絶”と受け取っていました。
でも、もしかしたらそれは──
「もう大丈夫」と信頼されていた証だったのかもしれない。
やさしさを、選び直す
これまで私は、「やさしさ」にすがっていました。
でも今は、
「やさしさ」を、選び直すことができるようになってきた気がします。
慰めるやさしさではなく、
信じてくれるやさしさ。
何かをしてくれる人より、
私の可能性を疑わないでいてくれる人。
そういう人たちといるとき、
私はようやく、「変われない私」から自由になれた気がしました。
また何かのきっかけで「変われない私」に戻ったとしても、
「また会ったね、バイバイ♪」と自分を取り戻せる。何度でも。
そして私は、“変わり続ける場所”を歩き始めた
あのBBQのあと、私の人生はゆっくり動き始めます。
下請けフリーランスだった私は、
事業を立ち上げ、経営者としての道を歩き始めました。
今では、あのBBQのメンバーと、
商工会議所や地域再生事業でコラボレーションをすることもあります。
人生の節目になる出会いや出来事は、いくつかあるけれど──
おじさんとの出会いと、あのBBQは、そのひとつでした。
ナイジェルたちのいる場所には、
笑い合うでもなく、泣き合うでもなく、
静かに「進化し合う」関係性がありました。
私も、あのまなざしで、
誰かを見られる人になりたいと思っています。
──つづく
