あなたの毎日は「生活」ですか?それとも「くらし」ですか?
先日、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島にある「まめな」というプロジェクト拠点に滞在してきました。そこでは、大学生のインターンをはじめとする多くの若い世代と交流する機会に恵まれました。
滞在中、一人のインターンの2週間にわたる活動の成果報告プレゼンに立ち会いました。その発表者の口からハッとさせられる問いかけがありました。
「生活って何だろう?」
「くらしってなんだろう?」
確かに、区別することなく日常で何気なく、似たような場面で使われますが、言葉の持つイメージは違いますね。今回は、この問いについて考えてみます。
「生活」は生きるための仕組み
たとえば、「生活苦」とは言いますが、「くらし苦」とは言いません。一方で、「くらしを楽しむ」と言うと温かい感じがしますが、「生活を楽しむ」だと、少し無機質な響きになります。
この違いは、「方向性」にあるのだと感じています。
「生活」とは、生きていくための土台です。収入を得て、食べて、住んで、日々を回していく感じ。いわば、生きるために機能している「仕組み」のようなもの。そこには、仕事、お金、支出、社会制度といった、現実的で客観的な要素が強く含まれます。
かつて会社員として必死に働いていた頃の私は、まさにこの「生活」を盤石にすることに注力していました。朝早くから終電までオフィスビルで缶詰でした。2人の息子を無事に育て上げ、家族を守るために働きました。
「生活費」や「生活水準」を維持することが何より重要だったからです。 「生活」という言葉は、社会という外側に向いているのだと思います。だからこそ、「生活費」や「生活水準」あるいは「生活保護」といった言葉が使われるのでしょう。
「くらし」は生き方の表現
一方で、「くらし」はどうかな。
こちらは社会ではなく、自分自身への内側に向いた言葉と考えてみました。同じ家に住み、同じ収入であっても、その人がどう時間を使い、何を大切にし、どんな気持ちで日々を過ごしているか。それが「くらし」なんです。
・朝日を浴びながらゆっくり散歩する。
・2匹の黒猫が日向ぼっこをしているのをのんびり眺める。
・大好きなスタレビやサザンの曲を流しながら、コーヒーを淹れる。
・アコギで、お気に入りの曲を弾いてみる。
こうした、取るに足らないけれど愛おしい時間の一つひとつが、私の「くらし」を形づくっています。
「生活」は数値化できますが、「くらし」は数字では測れません。「くらし」は、その人の価値観や感性、つまり「生き方のセンス」がそのまま表に出てくる領域なのです。

言葉の組み合わせから見えてくるもの
例えば、「費」や「感」という言葉。私たちは日頃「生活費」や「生活感」とは言いますが、「くらし費」や「くらし感」とはあまり言いませんよね。お金のことや、現実的な忙しさは、やはり仕組みとしての「生活」の領域だからでしょう。
一方で、同じ言葉が続いているのに、受ける印象がまったく変わるものもあります。
「生活の風景」と言うと、慌ただしい朝のゴミ出しや、スーパーのレジに並ぶ姿など、日々を回すための機能的で現実的なワンシーンが目に浮かびます。 しかし「くらしの風景」と言葉を変えると、早朝ピクミンと一緒にのんびりと歩く散歩道。部屋の片隅で2匹の黒猫が丸まって日向ぼっこをしている様子。あるいは、お気に入りの音楽を流しながら、手動のミルで時間をかけてコーヒー豆を挽いている時間など。
「生活の風景」では、日常に追われている感じがします。
「くらしの風景」では、ゆとりや優雅さを感じます。
あくまでも、私の主観なんですけどね。
だから、同じ「生活」でも、違う「くらし」が存在しているんですよ。つまり、生活条件がまったく同じでも、くらしは人によってまったく違うものになるってことです。同じ年収、同じ広さの部屋に住んでいても、ある人は満たされ、ある人は不満を抱える。この差こそが、「くらし」の質の違いなんだと思います。
生活環境は整っているのに、どこか心が満たされない。もしそんな状態に心当たりがあるとしたら、それは「生活」ではなく、「くらし」を見失っているサインですよ。
生活はこなすもので、くらしは味わうものなんだと思うんです。

FIREを目指す同世代が抱える迷い
私は2022年8月に早期退職をし、現在はFIREライフスタイルを送っています。「生活」の土台が整い、肩の荷が下りたからこそ、今は心から「くらし」を楽しめるようになりました。
以前、フィリピンでの経験をもとにウェルビーイングに関する書籍(Amazonリンク)を出版して以来、同世代の50代男性から早期退職に関する相談(=一般的には、これはおしゃべりと言います)を受ける機会が増えました。彼らに共通しているのは、仕事も順調で、収入も貯蓄もあり、定年前の早期退職の条件がすっかり揃っているということです。
それでも彼らは迷い、そして悩んでいます。お話を聞いていて感じるのは、彼らは「生活」は完璧に整っているけれど、「くらし」の楽しみ方がわからなくなっている、ということです。
長年「生活」を守ることに全力投球してきた結果、「くらし」を彩る趣味や心の余白をどこかに忘れてきてしまったのかもしれませんね。
生活の「安心」と、くらしの「満足」。この両方が揃って初めて、心穏やかな日々が訪れます。どちらか一方だけでは、バランスの悪い不安定な状態になってしまうのです。
自分の「くらし」を選ぶということ
「生活」は、ある程度は環境や社会の条件に左右されます。しかし「くらし」は、いつでも自分で選ぶことができます。
同じような毎日を、どう意味づけるか。 何に美しさを見出し、何を大切にするか。 そこには、誰にも奪われない絶対的な自由があります。
生活を整えることは、人生を守ること。 生きるための「仕組み」です。
くらしを整えることは、人生を味わうこと。 生き方の「センス」です。
もちろん両方とも大事ですが、後者には少しだけ、余白と楽しさがあります。その余白をどう使い、どう遊ぶか。そこにこそ、その人らしさが滲み出るのだと思います。
大崎下島の若者が投げかけてくれた問いは、今の私の「くらし」の輪郭を、よりはっきりとさせてくれました。良い投げかけをしていただいたことに感謝いたします。
お読みいただきありがとうございます。
みなさまの毎日は今、「生活」で精一杯ですか?
それとも「くらし」を楽しめていますか?
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