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自由な時間を「腐らせる人」と「美味しい料理にする人」の決定的な違い

ひまと余暇は同義語なのかな?

あまったヒマを漢字で書くと「余暇」ですね。ひま(暇)ってそもそも余っている時間のことですよね。辞書を引いてみると、どちらも「自由に使える時間」として似たような意味が出てきます。

でも、「ひま(暇)」と「余暇」は似て非なるものな気がします。私はのんびりセカンドライフを過ごしています。毎日が「自由時間」となった今の私にとって、この二つの言葉は、かなり違う意味を持っています。

今日は、ひま(暇)と余暇について考えてみます。



「ひま」と「余暇」の違い

まずは、この二つの言葉が持つニュアンスの違いを可視化してみました。私の主観ですが、今の生活の中で感じている肌感覚を言語化すると、以下のような比較表になります。

まこ作

この表を書いて、やはり「主体性の有無」がポイントかと思います。

「ひま」は、時間が勝手に目の前に現れ、それに対して、なすすべなく受け入れている状態、つまり受動的です。一方「余暇」は、その時間をどう使うか、自分自身の意思でコントロールできる能動的な状態なんだと思います。

暇つぶしとは

一般的に定年退職した方は、持て余す時間、つまり、ひま(暇)になります。毎日が日曜日というのは、聞こえはいいですが、準備なしに突入すると「ひま」をどうして良いものか、その時間の使い方が定まらなくなるようです。

家庭での役割も、地域での役割もないおじさんは、家でゴロゴロするしかありません。奥さまには、鬱陶しがられて、「パチンコでも行きなさい」と家を追い出されるようですね。

「暇をつぶす」という言葉があります。これは非常にもったいない言葉だと感じます。つぶすってまるで虫を潰すみたいに、時間が害虫であり、それを抹殺しなければならないかのようなイメージを感じるからです。

朝起きて、特にやることもなくテレビを眺め、「ああ、暇だ」とつぶやいて一日を終える。これは、心にも体にも、あまり良い状態とは言えません。目的のない時間は、脳への刺激を減らし、認知機能や意欲の低下を招く行動の典型例だからです。

「ひま」を「余暇」に変える具体的なアクション

では、どうすれば「ひま」を「余暇」に変えられるのかな。

多くの本には、仕事やそれの相当する役割を担うことが書かれています。確かにそう思います。しかし、社会性やコミュニケーション力の高い人は良いのですが、人間関係に気を使いすぎる人は、逆に大変な思いもします。

誰かに与えられた役割(強制)ではなく、完全に自分の興味だけで動くこと。この自分軸の行動こそが、ただのひま(暇)を、主体的な余暇に変える第一歩なのだと思います。

はじめは、ひとりで完結できる行動から始める。その行動によって、その後に周りが影響を受けると、その人間関係は、自分の好きな領域で集まった友人なので、良好に保たれる可能性が高いからです。

私の経験では、ひとりでできる事とは、それはアウトプットと新しい挑戦でした。例えば、note執筆とか、音楽への興味とか、健康第一のための散歩とかです。

700記事を超えるnoteへの執筆
現在、noteで700本以上の記事を執筆しています。これは単に時間を埋めるための行為ではありません。自分の考えを整理するという目的を持った活動です。

iPhoneへの音声入力やキーボードに向かっている時、私は「暇」ではありません。創造的な「余暇」を過ごしています。書籍を出版できたのも、この積み重ねがあったからです。

音楽への没頭と新しい挑戦
以前からアコースティックギターで弾き語りを楽しんでいましたが、昨年末から新たにドラムのレッスンに通い始めました。 50代半ばからの新しい楽器への挑戦。練習が楽しいと思える時間の使い方や、友人に聞かせたいというアウトプットへの意欲は程よいプレッシャーとなっています。

ドラム叩けるようになった時のゾクゾクする高揚感は、この歳になって味わう初めての喜びです。これは受動的な「ひま(暇)」では決して得られない感覚です。朝からただテレビを眺めて「あぁ、ひまだ〜」とため息をつくあのグレーな時間とは、まさに真逆の、色がパッとつくような鮮やかな体験です。

体を動かすルーティン
私の日課には、散歩、体操、筋トレ、そしてプロテイン摂取が含まれています。これは単なる健康維持だけでなく、今日のスケジュールを自分で決めるという行為でもあります。

ピクミンブルームのために、寒い日も花植えをしたりしています。今日はジムに行こうと決めた瞬間など、その時間は「ひま(暇)」から「トレーニングという余暇」に変わるのです。

家族で楽しむ「余暇」の計画

「余暇」を充実させるもう一つの要素は、未来への計画です。

私は妻とよく、これからの旅行やライブの計画を立てます。ネットで見つけて、レストランや観光スポット。あるいは、梅の花が咲き始めたから見に行こうなんて軽いノリで出かけたりしています。

社会人になった息子たちも、「旅行を計画しろ」と指示すると、旅程表を作って、飛行機、ホテル、レストランを調べてくれています。

「次はどこに行こうか?」とカレンダーを見ながら話し合う時間。計画を立てている段階から、すでに余暇の楽しみは始まっているのです。

「暇」と「余暇」

物理的には同じ時間かもしれません。しかし、そこに自分の意思が介在するかどうかで、その価値は全く別物になります。

「やることがなくて、時間が過ぎるのを待つ」のが暇。
「やりたいことがあって、時間を味わう」のが余暇。


「自由な時間」と「ひま」の違い

過去に似たような記事を書いていました。

この記事には下記比較表がありました。

引用: ”ひま”とは ポジティブ? ネガティブ?


「自由な時間」と「余暇」の違い

”ひま”とは ポジティブ? ネガティブ?

この記事を読み直して、余暇というワードはなかったのですが、今度は、「自由な時間」と「余暇」の違いはなんだろうって疑問が湧きました。

ひま: 無目的、退屈、時間を長く感じる(ネガティブ)
自由な時間: 目的あり、充実、時間を短く感じる(ポジティブ)

だとすると、「自由な時間」と「余暇」は同義なのかな?

無理やりその違いを考えてみると、
自由な時間は英語ではFree Time。客観的に、時間がカウントできて、「量」に注目した言葉ですね。

一方、余暇は英語ではLeisure Time。主観的で、本人がどう感じるかに着目した「質」や「中身」に着眼点をおいた言葉の気がします。

自由な時間の中に、ひまと余暇が含まれていそうです。ということは、上記表の自由な時間は、余暇に書き換えた方が適切ですね。

自由な時間の捉え方によって、ひま(暇)なのか? 余暇なのか? どちらかに分類されると考えるとスッキリしますね。

つまりこういうことかな。

自由な時間は「食材」
ただそこにある素材で、どう料理するかは未定。

余暇は「美味しい料理」
その食材を、楽しむために自ら調理したもの。

そしてひま(暇)とは、せっかくの食材を「腐らせてしまっている状態」なのです。


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まこさん NPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で里親支援を続けています。 子どもたちの教育資金に活用させていただきます。あなたのチップをお届けします。ご協力お願いします! ホームページ→ https://daredemohero.com