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感謝するってどうすること? 100日連続投稿記念記事

感謝をするって、どうすることを意味しているのだろう?
多くの書籍に人生において、感謝することの重要性が語られている。私は現在セカンドライフを過ごしていて、年齢とともに感謝することについての比重がとても大きくなってきた。

例えば、誰かから施しを受けたとき、素直に”ありがとう”と言えるようになってきた。若い時は、疑い深い性格なのか、相手の下心とか裏で何考えてるんだろうとか、斜に構えた気持ちがあった。今ではどんどんと減ってきたけどね。

その理由は年齢が大きいと感じてる。 
経験って感じかな。


”感謝” と伝えるために実際に行動する時、私は神社やお寺に行き、手を合わせて ”ありがとう” と感謝を言葉にして伝えている。

「今日も健康に元気に過ごしています。歩いてここまで来ることができました、ありがとうございます」

毎朝の散歩で、感謝の気持ちを手に合わせて伝えることにしている。

なんとも老人っぽいしてるよね。個人的には40代の頃から、この習慣を始めて、人生を考える上で、良い方向に好転した行動だと振り返っている。


以前は、お賽銭を納めてお願い事をする場所が神社仏閣の位置付け。たくさんの希望を懇願して叶えて下さいと、心の底から真剣に祈ってたんだ。

でも、よく考えると、これって、他力本願を人前で堂々とする行為だよね。

例えば、
会社の会議室で、自分は何もしないけど、手を合わせて、私のために、「アレもして〜、コレもして〜」 って懇願するシーンは、恥ずかしくて普通しないでしょ。自分が何もできないことを曝け出してるみたいだしね。

でも、
神様の前では、わずかなお賽銭で、最大のコストパフォーマンスを得るために、凄まじいお願い事を、他人の目がある前で拝むんだよね。

一般常識として、神社で祈ることを否定しているわけじゃないんだ。このことは、若かりし日の私自身に、浴びせている言葉。

自分で努力もしないで、お願いばっかりするよりは、出来るようになったことを報告したり、それをサポートしてくれたことのお礼を言う方が、しっくりくるように思えてきたんだ。


なにげない毎日の日常を過ごしていること。
特に健康。
病気になって、日常の健康を知るのではなく、毎日健康で過ごしていること、散歩して神社まで来れたことにお礼を言う、ただ、それだけ。生きている喜びを感じる場所。


神社仏閣で感謝をしています、ありがとうと手を合わせることを続けて10年以上が経っている。

もちろん、これも1つの感謝の形ではあるのだが、何か行動として感謝を伝えることを、常に考えるべきなんじゃないかと思うんだ。

自分のできることから何か行動すること、これは1つの感謝の形だと思う。

年齢とともに、ボランティアが1つ趣味だと言えるようになってきた。

誰かから見られている意識や偽善者のようなものではない。単純にやってて面白いから、趣味という位置づけに私はボランティア置いている。

誰かのために貢献したいって気持ちがあるよりは、何か人に施しをすることによって喜ぶ顔見たい。単純にそんなことから始めて約10年経つ。

いつも感謝って言葉がよく使われるのだけど、自分のできることから行動してみることは感謝の表現系の一つだと思うんだ。

今日のnoteは”感謝” について考察してみた。


そして、なんと、今日で100日連続投稿達成!!!

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読者に感謝!
家族に感謝!
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連続投稿できた自分に感謝!

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まこさん NPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で里親支援を続けています。 子どもたちの教育資金に活用させていただきます。あなたのチップをお届けします。ご協力お願いします! ホームページ→ https://daredemohero.com

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