SNS時代における「マウント」とは?
「マウントを取る」、「マウントを取られた」
マウントってなんだろう?
と、思ったので、今日はマウントを考えてみます。
マウントとは
調べてみると、
「マウントを取る」の「マウント」は、英語の"mount"(乗る、またがる)から来ています。
動物が自分の優位性を示すために相手にまたがる行為を「マウンティング」と呼ぶことから、人間関係において「自分の方が立場が上だ」「優位だ」と誇示するような言動を「マウントを取る」と言うようになりました。
つまり、「マウントを取る」とは、相手に対して優位に立とうとしたり、見下したりするような言動のことですね。
「マウントを取られた」とは、相手からそのような言動を受けて、不快な思いをした状態のことですね。
マウントを取る言動として、
相手の知識や経験を否定したり、
相手の失敗や欠点を指摘して見下して否定したり、
相手の意見を頭ごなしに否定したり、
これなら、わかりやすいですよね。
あるいは、
自分の経歴やキャリアを自慢したり、
自分の学歴や資格を自慢したり、
自分の持ち物を自慢したり、
こんな、わかりやすいマウントを取る言動なら、解釈しやすいのですが、実は「マウントを取られた」心理は複雑です。
事実=マウントを取る?
事実に基づき正確に話している内容が、「マウントを取られた」と解釈されてしまうことがあります。
相手を否定したり、自分を自慢したりする事が、マウントの最大要素です。しかし、事実なのに、そこに人間的な主観の感情が入り込んでくる事がマウントのややこしいところです。
伝え方や表現方法、受け手の心理状態などを十分に考慮しないと、事実だからと正確に伝えても、相手にとっては上から見られたと解釈されてしまいます。
私個人的には、事実は事実と割り切れるので、感情移入して解釈を捻じ曲げる相手が悪いと思います。さらに「勝手のマウント取られたと落ちこめ!」 と傷口に塩を塗ってしまいがちです。
塩を塗られまくっている友人のみなさまへ、ごめんなさい。
「充実」とは何か?
私たちが「充実した人生」を考えるとき、多くの人が華やかな生活や目に見える成果を思い浮かべるかもしれません。FacebookやInstagramに投稿される「リア充」と呼ばれる生活がその一例です。
しかし、本当の「充実」とは他人の評価ではなく、自分自身の満足感に基づくべきです。
セカンドライフを過ごしている私も、他人から見れば「何もしていない」と思われるかもしれません。実際にそう思われています。
しかし、タイムリッチな生活の中で、自分で時間をコントロールし、心地よいリズムで生きている今が、私にとっては何よりの充実です。それで他人の価値観に合わなくても、それで良いと思えるようになりました。
コメント欄から学んだ多様な価値観
YouTubeで「コムたろ」さんのリアルな一日の生活を紹介する動画を見ました。私はこのYouTubeで安心できる素敵な声で、この一日がとても充実していると感じました。
この言語化された一日の生活を見て、視聴者はどのように感じるのか興味を持ち、コメント欄を全て読んでみました。
千差万別なんですね。コメント欄を読み込むことで、多様な価値観を改めて実感しました。
「憧れる」、「そんな生活してみたい」と称賛する人たちが多いのですが、中には「退屈そう」「意味がない」、さらに、「クソみたいな人生だな」と批判する人までいます。
私自身、コムたろさんの生活と類似しているので共感する部分が多かったため、批判的なコメントには少し驚きましたが、価値観の違いがあるのは当然のことですね。
重要なのは、他人の価値観に左右されず、自分自身が納得できる生き方をすることだと改めて実感しました。
アンチコメンターの主張
人に迷惑をかけているかどうかはひとつの基準になります。SNS世界には、アンチコメンターが存在しています。一部のアンチコメントを書き込む人には、自分と共感できない写真やブログなどを全て否定するとんでもない輩がいるのも事実です。
マウントを取られたと解釈するようです。
アンチコメンターによると「充実した人生を見せつけられるのが迷惑だ」が主張らしいのです。書き込まれた方とするとアンチコメント自体が十分に迷惑なのですが、マウントを取られたと勘違いされているアンチコメンターは自分のことしか考えられませんからね。
大谷翔平選手のような、とてもわかりやすいヒーローの活躍にまで、平気で批判する輩が存在するくらいなので、知名度のないインフルエンサーを叩くことくらい簡単な作業なのでしょう。
利害関係もない見ず知らずの人に、貴重な時間をかけて、わざわざアンチコメントを書く人は相当に暇な人と想像つきますが、まあスルーするしかありませんね。
気をつけている事
私が気をつけていることは、自分が主観的に満足していることが、人に迷惑かけなければいいとしていますが、残念ながら、事実を発言することがマウントを取っていると批判される場合もあります。
マウントは事実に基づいていればマウントではないと解釈しています。 批判的や攻撃的に受けとる人もそれがその人の主観的な受け取り方なので致し方ないとあきらめて、そんな人とは距離を取るようにしています。
書籍名「人生が整うマウンティング大全」 マウンティングポリス (著) を読みました。書籍によると、〇〇大学出身であると発言すると、マウントを取られたと思う人は、言った人がマウント取ったんじゃなくて、自分勝手にマウント取られたと思い込んでるだけの話です。
出身大学を言う必要がないじゃないかの主張もわからなくはないですが、別にそんなことで上下関係が変わるとは思えません。
少年野球のパパコミュニティでの話。
”学校のとき”、”学生のとき”、”大学のとき”
私はこの3つは同義語として解釈していました。他愛もない昔話の枕詞にすぎません。
しかし、高卒のパパ友から、「大卒を自慢するな」とマウント取られて腹がたつと怒ったシーンがありました。受け取り方の解釈とはいえ、趣旨と関係のないところに、いちいち自分との比較を持ち込むのは、これからの人生が生きにくいだろうなって感じました。
ひとつの事実をいろんな受け取り方があるんだなぁと感じたエピソードでした。
マウントと事実の境界線
他人との比較や批判が避けられない現代社会では、事実を述べるだけで「マウントを取られた」と感じる人も少なくありません。
たとえば、「有名大学出身」や「東京出身」といった発言が、単なる事実であっても、それを聞いた相手が勝手に「マウントを取られた」と解釈するケースがあります。しかし、そうした解釈は相手の問題であり、自分自身がそれを気にしすぎる必要はありません。
例えば、東京出身と三重県出身で違いがありますか? 「私は東京出身です」って発言するとマウントを取られたと勘違いする人が存在します。そんな感性の人に付き合うのは馬鹿馬鹿しいです。
発言内容が事実であって、上も下もないでしょ! ちなみに私は三重県出身ですが、負い目を感じることはありませんよ。
そうはいっても気にする人はいるので、先ほどのパパ友には、大学に関わる会話をしないように心がけたりもします。
セカンドライフの中で、私は気の合わない人との付き合いを減らし、自分にとって心地よい人間関係だけを大切にしています。この選択は、以前の会社員時代には難しかったことです。
まこさんnoteへのアンチコメント
アウトプットする怖さとしてアンチコメントが来る事が挙げられてます。無名な人の記事なんて読まれないと思っていたのですが、私のnoteにも、否定的な意見が書き込まれます。
幸いすべて的外れな批判ばかりなのでスルーしています。まこさんnoteは、主観まみれ毒まみれで論じている事が多いので、その本筋に対して批判やコメントなら受けて立つのですが、どうでもいいような枝葉に対してアンチコメントされても、話す気になれません。
わずかな経験ですが、アンチコメンターは、他人との比較だけで生きている人たちと断定できました。もっと、自分軸を持てばいいのにな〜
自分軸について書きました
哲学者でもないのに、幸せについて、自分の解釈を書きました。
自分軸、他人軸がキーワードです。
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