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何をやっても結果が変わらないことに行動する心理

最寄りのバス停から吉祥寺駅へ向かうときのことです。列に並んでいると、前の人が一生懸命バスが来る方向に身を乗り出しているんです。「早く来ないかなぁ」と思う気持ちは分かりますが、その姿を見て、ふと考えてしまいました。

その行動は、してもしなくてもバスの到着は変わりませんよ。

このバス路線は、山手線並みに数分おきにバスが来る便利な路線です。2〜3分待てば確実に次が来るのに、なぜあんなに一生懸命「早くこい」と、あからさまな行動をするのかな?



何をしても変わらないのに、人はなぜ動く?

このバス停の光景に限らず、世の中には「してもしなくても結果が変わらない行動」が溢れています。

例えば、
・エレベーターの「閉」ボタンを連打する
・飛行機の到着時に、はやくから立ち上がる
・神頼み

などなど。

機械はちゃんとプログラム通りに動くので、人間の焦りでは急かせません。飛行機は狭い出口ひとつないのだから、結局、みんなでギュウギュウで立ったまま待つことになります。神社仏閣で、一生懸命にお願いをしたところで、対策行動しなけりゃ結果は変わりません。

でも、人は無意識にこうした行動を取ってしまいます。

無意味だけど、意味がある?

では、なぜ結果が変わらないのに行動してしまうのでしょうね?

人はよく「合理的でありたい」と言いつつも、実際には「非合理なこと」に安心感を覚える生き物です。今回の例がその典型例だと思います。何かをしてる自分に安心する心理が働くのかもしれませんね。 私は非合理だと思えば、SNSでも眺めている方が、まだ合理的だと思っちゃいますけどね。

無意味な行動でも良いから何かをすると、「自分が状況を動かしている」という錯覚でも得られるのかな? そして、この錯覚が心の安定剤になっているのであれば、その人の精神的安定のための行動だと理解できなくもないです。

決して、神や仏を冒涜しているわけではありませんが、お守りを握りしめたり、神社で何度もお願いしたりするのも似た行動かもしれませんね。

実際、毎日、神社仏閣に参拝して感謝を伝えている習慣があるので、この私の行動も合理的ではないと言えます。でも、私はこの行動で精神的安定が得られているので、行動合理性があると解釈しているんですけどね。

冷静に考えれば、合格祈願、恋愛成就、商売繁盛など、お守り自体が直接良い結果をもたらすわけではありませんからね。それでも、信仰心が、より良い方向へ行動変容させてくれているのであれば、無意味な行動とは言えないと思います。

バスの例だと、バスが来る方向を何度も見るという行動することでストレスを分散しているのかもしれません。「結果が変わらない」と頭では分かっていても、心が耐えられないからこそ、行動でストレスを発散しているのかもしれませんね。


情報を活かせる行動との違い

もちろん、結果が変わらないことばかりではありません。例えば、空を見上げて雲行きを確かめるのは、天気自体を変えられなくても「傘を持って行こう」と備える行動につながります。ここには、ちゃんと意味があるんですね。

一方で、車道にまで身を乗り出して、「早く来い!」とバスに圧をかけている人を見かけると、

「いやいや、あなたが睨んでもバスの速度は変わりません!」

と思わずツッコミたくなります。


コントロールできること、できないこと

結局のところ、大事なのは
「自分が変えられること」と「どうにもならないこと」を分けて考えることです。

無駄な力を入れて疲弊するよりも、できることに集中して、できないことは「まぁいっか」と流す。これが心の余裕につながる気がします。

バス停で待っているわずかな時間を、「早く来い」とイライラするよりも、建設的に思考を巡らす習慣の方が、この時間の積み重ねこそが、今後の人生に大きな差を生み出しているようでなりません。



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まこさん NPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で里親支援を続けています。 子どもたちの教育資金に活用させていただきます。あなたのチップをお届けします。ご協力お願いします! ホームページ→ https://daredemohero.com