セブ島滞在記 AI文章に飽きた理由。セブ島で見つけた本当に大切なもの
OpenAIが動画生成「Sora」の終了を発表というニュースを目にしました。つい最近発表されて、その凄まじいクオリティにビックリしたばかりだったのに、というのが率直な印象です。私たちはその目まぐるしい変化に常に対応し、順応していくことを強いられているような感覚に陥ります。
現在、私はフィリピンのマクタン島に滞在しています。南国の風が吹くこの場所は、アップデートを繰り返すAIの世界とは完全に打って変わり、いつ来ても同じ笑顔、同じキャラクターの人たちがいます。いつも笑い、いつも歌って踊っている。
今日は、この「どんどんと変化し続けるAI」と「おおらかでのんびりした、全く変化しないフィリピンの人々」という両極端な対比から、私たちがこれからどう生きていくべきかを考えてみたいと思います。
AIがもたらした「失われた体温」
最近のAIの進化には本当に目を見張るものがあります。しかし、日々、魅力的なタイトルに惹かれてnoteを読んでいると、AIが書いた文章やAIが生成した画像に、自分自身はすっかり飽きてきています。
正直なところ、あまり読む気がしないのです。
AIが書いた文章かどうかは、少し読めばわかります。そんな私も、インフォメーショングラフィックの面白さに惹かれ、自分のnoteのポイントとなる部分を画像生成AIに描いてもらったりもしています。始めたばかりの頃は、自分の頭の中のイメージが瞬時に可視化されることにものすごく興奮し、感動すら覚えました。
しかし、あの喜びはどこへ行ってしまったのか、今では既視感ばかりが募り、自己満足の世界でさえも、あっけなく終焉を迎えてしまったように感じます。
以前書いた『生成AIに任せすぎた文章では心が動かない理由』という記事でも触れましたが、AIが書いた文章には血が通っていません。AIは人間ではないので当然なのですが、本当に体温のようなものを全く感じない文章や、どこかの論文を無難に要約しただけの優等生的なテキストには、どうしても面白みを感じられません。
画像にしても、あまりにもクオリティが高すぎて最初は驚愕したものの、今では「綺麗で当たり前」になってしまいました。
だから、noteを読んでいて、少し幼児っぽい表現があったり、誤字脱字があったりしても、一人の人間の泥臭い経験や感情の揺れが書かれている文章の方が、はるかに心に響き、私はその方が好きです。
わずか半年や1年で、多くの人がAIコンテンツに対して私と同じような飽きを感じ始めている気がします。人間の心は、大量生産された無機質な完璧さには長く惹かれないようにできているのかもしれませんね。
これからの時代、むしろ人間の手で描かれた不完全な絵や体温のある生身の言葉の方が、圧倒的な価値を持って受け入れられる気がしてなりません。
セブ島の「変わらない笑顔」
翻って、今私が滞在しているセブ島の人々です。彼らは本当に、全然変わりません。
今回、現地でラプラプセブ国際大学の学生さんたちと交流する機会に恵まれました。日本から和太鼓の指導者が来られ、学生たちに太鼓の叩き方を教えるという素晴らしいイベントに立ち会うことができたのです。
セブの子どもたちは、小さい頃からとにかく褒められて育ちます。本当に、シャワーのように褒め言葉を浴びて育つ。
「生まれてきただけで幸せ」
「生きているだけで素晴らしい」
「あなたはとても恵まれた才能を持っているのよ」
と、全肯定されて大人になります。だからこそ、彼らはいつもニコニコしていて、底抜けに明るい。今回交流した学生さんたちも皆、まぶしいほどの笑顔を見せてくれました。
しかし、この「褒められまくりの教育」には一長一短があります。社会人になれば、当然ながら上司からの指導や注意を受けます。学生時代に一度も怒られることなく、否定されることもなく過ごしてきた彼らは、会社員になってできないことを指摘されると、あっという間に凹んでしまい、すぐに会社を辞めてしまうのです。
ストレスに耐えるという概念が希薄で、「我慢」という言葉は彼らの辞書にはないようです。自分が責められたら、耐えることなくすぐその場から去っていく。彼らは他人を責めることはあっても、決して自分を責めることはありません。
両極端な世界で見つける、私なりの心地よさ
かつて会社員として正解を求められ、プレッシャーに耐えながら神経をすり減らして働いていた頃を振り返ると、このフィリピンの人々の気質は、日本人とは本当に真逆だと感じます。
日本人はひたすら耐え続け、最終的には自分自身を責めて抱え込んでしまうようなところがありますからね。
エラーを絶対に許さず、常に最適化を強要してくる無機質なAIの世界。対して、エラーだらけですぐに逃げ出すけれど、圧倒的な自己肯定感で今日を笑って生きるフィリピンの世界。
この両極端な生き方や価値観を目の当たりにしていると、なんだか人間の可笑しさがこみ上げてきて、少し面白くなってきます。
私のnote執筆は、これからの第二の人生において、自分の素直な思いや日々の経験をデジタル媒体の日記帳として残していくという要素が強いです。だからこそ、AIに完全に依存するつもりはありません。
もちろん、文章の仕上げの推敲を頼んだり、読まれやすそうなタイトル案を出してもらったりと、便利なツールとしてのAIとはこれからも上手く付き合っていく必要があります。しかし、文章の核となる体温だけは、決して手放してはいけないと強く感じています。
変わり続けるデジタルの波のそばで、変わらない南国の風を感じながら、これからも自分自身の不完全な言葉を紡いでいこうと思います。
文中の引用記事↓
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