それは「共感ハラ」です。頼んでもいないのに同意を求めてくる人について
「それ、めんどくさくない?」
私が何かに打ち込んでいるときなどにそんな声をかける方がいます。明らかに一般的ではないけど、私にとっては好きなことに取り組んでいる時のことです。
私が「いや、別にめんどくさくないよ。むしろ楽しいよ」と返しても、彼らは納得しません。「いやいや、絶対めんどくさいに決まってる」と、謎の慈悲をかけてくるのです。
ん〜、、、、
私が彼らに「やってみたら」と誘ったなら、「めんどくさいでしょ」と言われるならわかります。誘ってもいないのに、私が好きで行っていることに対して、自分の感情を押し付けたがるのです。
自分の主観を世界の真理だと思い込み、他人の感覚まで支配しようとするその態度こそが、私にとっては「めんどくさい」です。
今日は、この「めんどくさいの押し売り」をしてくる人々の心理について、考えて書いてみます。
「めんどくさい」の共感強要
そもそも、「めんどくさいでしょ?」と同意を求めてくる心理は何なのかな? この共感を強要するのはハラスメントだと思う。今流行りの〇〇ハラに例えて命名すると、共感ハラ? かな。 これは同調圧力としてのモラハラ(モラルハラスメント)の一部かな?
「めんどくさいでしょ?」と言われて「はい」と答えなきゃいけない勢いで押し付けがましく話してきます。彼らのその心理は、「自分はそれをやりたくない。だからあなたもやりたくないはずだ」という、自分の怠惰を正当化するための共感強要なんです。
彼らは、自分がやらない、あるいはできない理由を、「その行為自体が普遍的に面倒だから」ということにしたいのです。そうすれば、自分が行動を起こさないことへの罪悪感が消えるから、そのように発言してるのでしょう。
私が経験した上で「めんどくさくない」と言っている私の主観は、彼らの「めんどくさそう」という貧弱な想像力よりも、はるかに重く、確かな真実です。
それに対して「いや、絶対めんどくさい」と食い下がるのは、もはや会話ではありません。ただの暴力に感じます。彼らは「自分の感覚こそが絶対なので、あなたの感情はおかしい」と押し付けてきます。
経験なき「めんどくさい」に価値はない
ここで、「めんどくさい」の定義について考えます。
百歩譲って、彼らが実際に同じことを経験し、その上で「自分には合わなかった、工程が多くて大変だった」と言うのであれば、それは尊重されるべき個人の感想です。 「あなたはそう感じたんだね。私は違うけどね」という、健全な相互理解が成立します。人の感じ方は千差万別ですから、そこに異論はありません。
しかし、私が問題視しているのは、経験もしないのに、先入観だけでめんどくさいと決めつける人です。
やったこともない。そのプロセスの奥にある面白さや、達成感、効率化の工夫を知りもしない。ただ外野から眺めて、乏しい経験則というフィルターを通してイメージだけで語る人を指しています。
厳しい言い方をしますが、経験していない人から、経験している人へコメントする権利などありませんよ。まるで、何も知らない子どもが、大人に向かって知ったかぶりして、ピーチクパーチク言ってるみたいです。
別に、同じ土俵で話さなくてもいいのに、どうして私の土俵に上がって対等に話をしようとするのか不思議で仕方ありません。何かの対抗意識なのかな?
なぜ他人の感覚を自分色に染めようとするのか
この手の人々は、根本的に他者は自分と同じ価値観で動いていると考える傾向にあります。
例えば、自分が嫌いなピーマンは、全人類が嫌いである。自分が苦手な事務作業は、誰にとっても苦痛である。など
彼らの世界は、このあまりに単純な等式で成り立っていると解釈するとわかりやすいです。だからこそ、彼らにとって例外である「めんどくさいことを楽しんでいる私」を見ると、異物扱いするのでしょう。
世の中には、想像もつかないようなことに喜びを見出す人がたくさんいます。 細かい作業に没頭するのが至福の時間である人もいれば、長時間の出張も、移動こそを楽しむ人もいます。多種多様なんですから。
「手間がかかる=悪」という短絡的な思考回路しか持たない人は、人生の豊かさを半分以上ドブに捨ててますよ。
手間そのものを楽しむ、あるいはその手間を超えた先にある景色を知っている人間に対して、自分の物差しを当てて「めんどくさい」と決めつけるのは、大きなお世話以外の何物でもありません。
思考停止の言葉、それが「めんどくさい」
結局のところ、未経験の物事に対してすぐに「めんどくさい」と吐き捨てる人は、知的好奇心が死んでいるのだと思います。
先入観やイメージだけで物事を判断し、自分が理解できない領域を、無駄なものでめんどくさいものとして一括りにしてしまうのでしょう。そうやって自分の小さな小さなコンフォートゾーンを守って、ちっぽけな人間として生きていくのでしょう。
会話において、経験者が語る事実は絶対です。 そこに割り込んで、未経験者のネガティブなイメージを押し付ける人とのコミュニケーションはとても辛いものがあります。対等な会話にならないので、距離を置くほかありません。
私の「楽しい」に土足で踏み込むな
私が「めんどくさくない」と言えば、それは私にとって「めんどくさくない」のです。 そこに議論の余地はありません。 彼らの「めんどくさいはずだ」という妄想が入り込む隙間など、1ミリも存在しないのです。
私が相手に合わせるマイルドな言い方に変えるとすれば、「めんどくさいかもしれないけど、それでも、それは私のやりたいこと」なんです。
私が楽しくやっていることを、未経験の他者から「しない方がいいよ」って言われてるみたいで、あまり気分がいいものではありません。正直なところ、「私の勝手でしょ」なので、いちいち会話に首突っ込まないでほしい。
世の中は、彼らが思っているよりもずっと複雑で、多様で、そして「めんどくさい」ことの中にこそ、面白さが詰まっているものです。 その真理に気づけないことこそが、人生において一番もったいないことだと思います。
他人の趣味に水を差す暇があったら、その重い腰を上げて、一度でもいいから自分でやってみることですね。 文句はそれから聞きましょう。
◇ ◇ ◇
今日は特定の人に向けての記事です。直接話しても埒が開かない相手だったので、noteに愚痴ってしまいました。
◇ ◇ ◇
いいなと思ったら応援しよう!
NPO法人DaredemoHeroへ寄付します。
私の人生に大きな転機となった団体で里親支援を続けています。
子どもたちの教育資金に活用させていただきます。あなたのチップをお届けします。ご協力お願いします!
ホームページ→ https://daredemohero.com