「人生はRPG」ではなく「RPGが人生の模倣」だと気づいた話
前回の記事で、ふと「人生とはRPG(ロールプレイングゲーム)のようなものだ」と考え始めたのですが、思考を巡らせるうちに、いや逆じゃないか? と思い始めました。
前回の記事リンク↓
人生はRPG。早期退職は「強くてニューゲーム」
そもそも、歴史を考えれば人生の方が先に存在していますし、ゲームの方があとなのは、当たり前ですね。
そう考えると、人生がRPGに似ているというよりも、人生という複雑な営みをモチーフにして、パラメータで数値化して作ったゲームこそがRPGであると考えた方が、私にはもっともらしく感じられました。
今日そのことを書いてみます。
どちらが先か
時間軸で考えれば、当然ながら人生が先です。
ではなぜ、RPGというシステムが生まれたのかな。私は、RPGとは人生を分解し、それをゲームの要素として再構築し、パラメータで可視化したものではないかと考えてみました。
本来、現実の人生における成長は客観的に数値化できるものではなく、非常に見えにくいものです。日々の努力も、数値としてグラフに出るわけではありません。成果が出るまでには長い時間がかかりますし、ゴールの定義も人によって違います。人生のルールとは、多様で、どこか不明瞭なものです。
そんな不確かな人生を、RPGのシステムは数値化し、短期間でステータスが上がっていく手応えとして表現してくれました。
そう考えると、RPGがこれほど世間に受け入れられたのは、自分の人生と対比させ、本来見えない成長を「見える化」してくれたからかも。私には、それが最も納得のいく答えのように思えました。
人生とRPGの比較
人生とRPGの要素を比較してみると、私たちが日々直面している事象が、まるでゲームのパラメータのように変換できることに気づきます。
私が感じたのは、人生において日々積み重ねる経験というのは、RPGでいう「EX(経験値)」そのものだということです。そして、現実では曖昧な個人の成長は、RPGでは「レベル」という表現ではっきりと数値化されています。
さらに、仕事の現場に目を向けてみると、業務をこなしている姿はまるで戦っているようにも見えます。かつて「リゲイン」の宣伝では、24時間戦えますか?と煽った時代があるくらいですね。
つまり、私たちが身につける営業力や技術といったスキルは、敵を倒すための「武器」と考えるのがしっくりきます。
一方で、現代社会はストレスとの戦い。批判やプレッシャーにさらされる中で自分を守るメンタルや考え方は、RPGでいう鎧などの防具となり得るでしょう。
そして、活動するために消費している体力や気力は、まさしく「HP(ヒットポイント)」や「MP(マジックポイント)」というパラメータそのものです。
こうして文字にして書いてみると、何か人生そのものを「見える化」したような感覚を覚えます。RPGとは、よくできた人生のシミュレーションだと、改めてその構造の巧みさに感心しました。
単なる私のこじつけなのかな?
ソロプレイからパーティへ
大学生の頃に初めて、ドラクエを遊んだときのことを思い出しました。初期のゲームでは、勇者はたった1人で冒険に出かけていったような記憶があります。
それが、ゲームがバージョンアップを重ねるごとに「チームを編成する」パーティという要素が加わり、RPGは格段に面白くなりました。
これこそ人生と一緒ですね。
1人で生活するとか、1人で仕事をするなど、そういったことは現実にはほぼ皆無で、必ず誰かと関わり、チームがあるからこそ人生は面白いのだと感じます。RPGの進化の過程は、人が成長し、社会の中で他者と関わっていくプロセスをなぞっているようにも思えました。
RPGと人生の違い
ここまで共通点を考えてきましたが、一方でここは決定的に違うと感じた点を2つ見つけました。
ひとつはラスボスの存在。
実際の人生にもラスボスに相当する大きな目標はいるのかもしれません。しかし、RPGにおいてのラスボスとは、倒すことでゲームクリアとなり、エンディングを迎える存在です。達成して終わりというのが、RPGのひとつの区切りです。
しかし人生においては、ラスボスのような大きな目標をクリアしたところで、ゲームは終わりません。翌日もまた日常が続きます。
以前の私は、目標が達成したら終わりとか、自分が納得したらクリアだと思っていた時期がありました。しかしその達成した後にも、新たな目的が出現し続けることもまた、人生なのだと気づきました。エンディングがなく、続いていくこと。これが大きな違いなのだと思います。
もうひとつは、「ゲームオーバー」の定義。
RPGにおいては、敵にやられてHPが尽きれば死んでしまいますが、教会などで復活することができます。
一方、人生においては、戦争のような特殊な環境を除けば、仕事という敵にやられたからといって物理的に死んでしまうことはありません。会社員として過度のストレスで、死にそうだと感じることはあっても、誰かに殺されることはないのです。
RPGでは敵にやられることが死ですが、人生においては、自分でゲームを終了させない限りは、何度失敗してもゲームオーバーにはなりません。
生きている限り、ゲームは続いていると、そう考えると、この終わりのないゲームは、RPGとの違いですね。
終わらないゲームを続けていく
こうして思考を整理しながら書いていると、人生とは簡単には終わらない、パラメータの見えないRPGなのだと思えてきました。だから、主観的でもいいから数値化して成長を確認しているのだと思います。誰しも成長したいですからね。
RPGはレベルアップするとき、軽快なファンファーレが鳴ります。
「テレレ、テッテッテテー!」
こんな音(伝わるかな〜?)
実生活には耳で聞こえるファンファーレはありませんが、私は実生活レベルアップの時に、この音を頭の中で聞いたことがあります。経験値が一定レベルとなり、大きめのプロジェクトを達成した時などに、複数回聞いています(って気がしてます)
RPGは、私たちの苦しい現実を可視化して励ますための発明品なんですね。「人生はRPG」ではなく「RPGが人生の模倣」だと、私なりの無理やりのこじつけ理論にお付き合いいただきありがとうございます。
さて、自分の人生という不明瞭なゲームを、今日もまた進めていこうと思います。
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