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【知新察来】Baseのクリエイターコインはなぜ失敗したか──何を市場に委ねないか、という設計問題


◆今回のピックアップ記事

Lucas Tcheyan, "Coinbase Capitulates on Creator Coins in Base Team Shakeup" (Galaxy, 2026年7月17日)

  • 概要:Coinbase傘下のL2チェーンBaseの創設者Pollakが、Base appの責任者から退きチェーン本体に専念すると発表。過去2年進めてきた「オンチェーン・ソーシャルが普及を牽引する」という賭けの失敗を認め、取引・決済・AIエージェントへ再重点化する組織再編を、Galaxy Researchが分析した論評。



Coinbaseの傘下チェーンBaseが、二年近く力を入れてきた「投稿をコインにする」という賭けから撤退しました。創業者のPollakは、今年の第1四半期を「顔面を殴られたような経験」と表現しています。取引、決済、AIエージェントへ軸足を移すというニュースの背後には、もう少し大きな問いが隠れています。同じ「金融とソーシャルの掛け合わせ」でも、あるものは壊れ、あるものは壊れなかったのはなぜなのか。
富良野は撤退の理由を制度設計から追いかけ、Phronaは「投稿に値段がつく」ことそのものの手ざわりにこだわります。読み終える頃には、価格という尺度が何を測り、何を測り損ねているのかが、少し違って見えているはずです。


「殴られた」四半期

富良野: PollakがBase appの責任者を降りるらしいですね。Cobieに引き継いで、自分はチェーン本体に専念すると。

Phrona: ああ、あの「顔面を殴られた」っていう投稿ですよね。あの言い方、妙に生々しくて記憶に残ってます。

富良野: 中身を見ると、この二年やってきた賭けの半分が外れた、って認めてるんですよ。開発者がオンチェーンで何か作る、という賭けは当たった。ステーブルコインも予測市場もパーペチュアルも育った。でも、オンチェーン固有のソーシャル体験が普及を牽引する、というもう半分の賭けは外れた。

Phrona: Farcasterとかクリエイターコインとか、あのあたりが「完全に崩壊した」って本人が書いてるんですよね。

富良野: そう。で、僕が気になったのは、これって「ソーシャルがダメだった」んじゃなくて、「ソーシャルの中の、特定のやり方だけがダメだった」んじゃないかってところなんです。

Phrona: どういうことですか。

富良野: 例えば同じ時期に、ソーシャルトレーディングのアプリが5億ドルを超える評価額をつけたりしてる。人の取引を追いかけたり、コミュニティで投資判断を共有すること自体は、むしろ伸びてる領域なんですよ。

Phrona: じゃあ何が壊れたんですか。

富良野: 投稿そのものをコインにする、っていう発想です。書いたら発行される、みたいな。

Phrona: ……それ、なんか変な感じがします。書くこと自体が通貨を作る行為になる、っていう。読まれるためじゃなくて、値段がつくために書く、みたいな。

富良野: Pollak自身が去年11月に出した$JESSEってコインも、時価総額650万ドルから最大94%下がってるらしいです。仕組みを作った本人のコインですらこれなんですよ。

Phrona: それは、皮肉というか、身も蓋もないというか……。

ポイント解説

賭けが半分当たって半分外れる、という言い方は便利だが、正確ではない。当たった半分と外れた半分は、そもそも同じ種類の賭けではなかったからだ。

開発者がオンチェーンで何を作るかという賭けは、供給側の賭けである。誰かが有用なものを作れば、それは使われる。ステーブルコインや予測市場が育ったのは、そこに実需があったからにほかならない。一方、オンチェーン固有のソーシャル体験が普及を牽引するという賭けは、需要の性質そのものに関する賭けだった。投稿という行為に価格をつければ、人はそれを取引したくなるはずだ、という仮説である。

クリエイターコインの失敗を分解すると、少なくとも四つの層が見えてくる。将来のキャッシュフローや利用権のような、価格の外側にある裏付けがなかったこと。投稿のたびに新しい銘柄が生まれ、有限の資金と注意が無数のトークンへ分散したこと。多くのコインが数分から数時間という短い時間だけ激しく取引され、急速に流動性を失ったこと。そして、何を買っているのか十分理解しないまま参加した利用者が、高値づかみの末に損失を負ったことである。

$JESSEの94%下落は、この四層が同時に働いた結果として読める。人気は確かにあった。だが人気は、金融資産が持続するための条件ではない。

隣で育っていたもの

富良野: で、Galaxyがもっと厳しく見てるのは、クリエイターコインで損した金額そのものより、その間に何を失ったか、なんですよ。

Phrona: 機会費用ってやつですか。

富良野: そうです。パーペチュアル先物、予測市場、資産のトークン化。今、暗号資産で伸びてる分野はだいたいそこなんですけど、Baseはそのどこでも主導権を取れてない。パーペチュアルの建玉シェアは全チェーン合計の0.1%未満らしいです。

Phrona: それは、結構はっきりした数字ですね。

富良野: しかもこの発表、Robinhood Chainが立ち上がった2週間後なんですよ。Coinbaseと同じような客層を持つ会社が、似たようなモデルを素早く出してきた。

Phrona: タイミングが偶然には見えない、ってことですよね。

富良野: Galaxyもそう書いてます。Robinhoodの初期の取引高がミームコイン頼みだから、それを本当の成功と呼べるかは留保つきだけど、少なくとも動きは速かったと。

Phrona: Baseがソーシャルに気を取られてる間に、隣で同じ椅子取りゲームが始まってた、みたいな。

富良野: Galaxyが出してる処方箋も面白くて、「DeFiマレット」って呼んでるんです。

Phrona: マレット、あの髪型の。

富良野: 前は短く、後ろは長く。表側はCoinbaseの使いやすいサービス、裏側は許可不要のオンチェーン基盤。利用者は自分がブロックチェーンを使ってることに気づかないまま、決済や融資を利用する。

Phrona: 隠すことが前提の設計なんですね。ブロックチェーンらしさを見せないことが、普及の条件になってる。

富良野: あと、CLARITY Actの話も無視できなくて。Baseが十分に分散化されてないと判断されると、証券のトークン化を扱うときに面倒な規制に引っかかる可能性があるらしいです。これはまだ成立前の法案の話なので、確定ではないですけど。

Phrona: 技術の話だけじゃなくて、法律の話にもなってくるんですね。

ポイント解説

ここまでの経緯は、単純にまとめれば「ソーシャルに賭けて外れ、金融インフラの分野で出遅れた」という話である。だが、この整理だけでは終われない一点がある。

同じ時期、同じ暗号資産の世界で、金融とソーシャルを組み合わせた別の仕組みは壊れていない。ソーシャルトレーディングは伸びている。Polymarketは予測市場として機能している。Hyperliquidの運用実績公開も、資本を集める仕組みとして働いている。

つまり、Baseが踏み外したのは「金融とソーシャルを組み合わせたこと」ではない。何を金融の対象にしたか、というもっと狭い一点においてである。この一点を見誤ると、Baseの失敗から引き出せる教訓も見誤る。「オンチェーン・ソーシャルはやめておいた方がいい」という結論は、事実として正しくない。Farcasterのプロトコル的な構想と、Zora型のコンテンツコインは、同じ「オンチェーン・ソーシャル」という括りの中にありながら、まったく別の賭けをしていたのである。

だとすれば、次に問うべきは、Baseが金融化したものと、金融化しなかったもの・金融化してもうまくいったものとの違いは何か、ということになる。

金融化という言葉の中身

Phrona: さっきの「何を金融化したか」って、もう少し具体的に言うとどうなるんですか。

富良野: 「金融化」って言葉、実はかなり雑に使われてて。少なくとも三段階に分けた方がいいと思うんです。まず貨幣化。行為や貢献にお金を払うこと。SteemitとかHiveがやってたのはこれに近くて、投稿やキュレーションに対して共通の通貨から報酬が配られる。投稿そのものが銘柄になるわけじゃない。

Phrona: ふむふむ。

富良野: 次に資産化。対象に権利を設定して、保有できるものにすること。音楽のロイヤルティとか、会員権とか。

Phrona: で、最後が。

富良野: 市場化、というか投機化。その資産を自由に売買できるようにして、値上がり期待そのものを参加動機の中心に置くこと。

Phrona: Base、Zoraがやったのは、その最後の一段まで一気に行った、ってことですか。

富良野: そうです。しかも資産化した対象が、権利でも収益でもなくて「注目」だった。投稿が読まれてる間だけ価値があって、注目が移れば値段も消える。

Phrona: それ、なんだか寂しい話ですね。書いたものが、読まれた記憶より先に、値段が消える方が早いっていう。

富良野: Steemitの報酬配分だと、問題は投票権の集中とかボットとかで、いわば共通の財布をどう分けるかの政治だったんです。でもBase、Zoraだと、評価する人がそのまま投資家になる。読者だったはずの人が、保有者になる。

Phrona: 支持することと、賭けることが、同じ行為になっちゃうんですね。

ポイント解説

貨幣化と資産化と市場化は、地続きに見えて別の設計判断である。行為に報酬を払うことは、必ずしも対象を売買可能にすることを意味しない。対象を資産化することも、それを自由市場で投機的に取引可能にすることとは、また別の一段である。

Steemit、Hiveの失敗は、共通の報酬プールをめぐる配分政治が捕捉された問題だった。大口保有者による投票力の集中、相互投票、ボットである。これは、貨幣化の段階に固有の失敗といえる。

対してBase、Zoraが抱えた問題は、資産化の対象そのものにあった。何に価格をつけたかといえば、権利でも将来収益でもなく、注目という、確認しようのない期待だった。ここでいう注目とは、キャッシュフローや償還請求権のような、価格の外側にあるはずのアンカーを持たない、ということにほかならない。アンカーを欠いた資産に、自由な市場までつければ、価格を支えるのは次の買い手への期待だけになる。

したがって、Baseの失敗を「金融化しすぎた」の一言で片づけるのは正確ではない。金融化のどの段階に、何を乗せたのかという設問の方が、失敗の所在を正しく指し示す。

参加動機の書き換え

富良野: もう一つ気になるのは、価格がつくことで、書く動機そのものが変わってしまうってところなんですよね。

Phrona: 動機が変わる、というのは。

富良野: 投稿に固定の報酬がつけば、たくさん投稿しようとする。でも投稿そのものに市場価格がつくと、その価格を維持しようとする。買い手を呼び込んで、売るタイミングを計るようになる。

Phrona: 面白いものを書く、っていう目的が、値段を上げる、っていう目的に置き換わっていく感じですね。

富良野: そうそう。で、これって価格だけの話じゃないな、と思っていて。いいねの数とか、フォロワー数とか、投票数とか、評判スコアみたいなものも、同じことをしてるんですよ。

Phrona: 複雑なものを、一つの数字に潰す、っていう。

富良野: そうです。ある投稿は真実性では優れてても娯楽性では劣るかもしれないし、ある意見は今は人気がなくても長期的には重要かもしれない。それを一つのランキングに圧縮すると、測りやすいものだけが残って、大事なものが押しのけられる。

Phrona: それ、聞いてて、選挙の世論調査を思い出しました。誰に投票するか、っていう複雑な迷いや理由が、賛成何%、反対何%、っていう数字に潰れていく感じと、なんか似てる気がします。

富良野: ああ、それは的確な指摘かもしれない。価格も投票の集計も、同じ種類の圧縮をしてるんですよ。理由とか、確信度とか、迷いとか、そういうものを全部そぎ落として、一つの数直線に並べる。

Phrona: Baseのコンテンツコインは、その圧縮を一番荒っぽくやった例だった、ってことですか。

富良野: そう思います。しかも荒っぽくやったこと自体が、失敗の理由として一番わかりやすい形で出てきた。

ポイント解説

価格は、中立な物差しではない。

投稿に報酬がつけば、人は投稿を増やす。投稿に価格がつけば、人はその価格を維持しようとする。面白いものを書こうとする代わりに、買い手を呼び込み、売るタイミングを計るようになる。参加者が追いかける目的そのものが、静かに置き換わっていく。

この置き換えは、価格に固有の現象ではない。いいねの数、フォロワー数、投票数、評判スコア、ガバナンストークンの保有量。複雑な社会的価値を一つの指標へ圧縮するあらゆる仕組みが、同じ機制を持つ。理由や文脈、確信度、少数意見といった、価値を価値たらしめている周辺情報を切り落とす点で、これらは同型である。

したがって、Base、Zoraの失敗を「金融化しすぎたこと」に帰するのは、診断としてなお粗い。より正確には、複数の評価軸を単一の尺度へ還元しようとしたことに、失敗の核心があったにほかならない。

この還元主義は、政治的意思決定の領域でも見慣れた形で現れる。世論調査における賛成・反対の二値化、投票結果の単純集計は、有権者が抱えていたはずの理由や確信度の濃淡、立場の変化の履歴を、集計の過程で必然的に切り捨てる。ルソーが一般意志という概念に込めた困難、すなわち個々の意志の総和が、そのまま公共の意志になるとは限らないという問題は、形を変えてここにも姿を見せているといえよう。

ブロックチェーンに残すもの

Phrona: じゃあ、ブロックチェーンって結局、金融以外では何ができるんですか。

富良野: これも整理が必要で。ブロックチェーンが提供してるのは、トークンを発行する機能だけじゃなくて、複数の人が共有できる状態を、改ざんしにくい形で記録して、検証できるようにする技術なんですよね。

Phrona: 誰が何の権限を持ってて、どういう経緯でその状態になったか、っていうのを、みんなで確認できる、みたいな。

富良野: そうです。資格の証明とか、委任の履歴とか、研究の来歴管理とか。そういうものにも使えるはずなんです。

Phrona: でも。

富良野: でも、それを「制度そのもの」って言うと、言い過ぎだと思うんです。制度って、曖昧な事情の判断とか、紛争の解決とか、現実世界での執行みたいなものも含むから。ブロックチェーンが得意なのは、あくまで記録と検証と、条件付きの権限の部分だけで。

Phrona: 制度を置き換える技術じゃなくて、制度の一部を支える技術、ってことですね。

富良野: そう捉えた方が、正確だと思います。

Phrona: なんか、今回の話全体がそこに戻ってくる気がします。クリエイターコインも、結局「価格が全部を測れる」って思い込んだところから壊れた。ブロックチェーンについても、「これが制度そのものになる」って思い込むと、同じ壊れ方をしそうな気がします。

富良野: 全部を一つの仕組みに賭けない、っていうことなのかもしれないですね。何を金融化して、何を金融化せずに、検証可能な記録だけにとどめるか。その選び直しが、たぶん次の設計の仕事なんだと思います。

Phrona: Pollakが認めた失敗が、そのまま次の問いへの入り口になってる、っていうのは、ちょっと救いがある終わり方かもしれません。

ポイント解説

Base、Zoraの失敗を、脱金融化への教訓として読むのは早計である。
金融は、Web3が生んだ最も強力な成功領域であり続けている。ステーブルコイン、決済、資産管理には、なお大きな可能性がある。問われるべきは、金融で成功した論理を、社会関係や創作や評判へ無差別に拡張してよいか、という一点に尽きる。

必要なのは、貨幣化と資産化と市場化と投機化を、対象ごとに分けて選び直す作業である。どの行為に報酬を与えるべきか。どの権利は資産化できるのか。どの資産に流動的な市場を持たせるべきなのか。そして、どの価値は一つの尺度に圧縮せず、複数の軸のまま残すべきなのか。

Coinbaseが今回認めたのは、一つの製品の失敗ではない。何を市場に載せ、何を市場の外に残すかという選択そのものを怠っていたという事実である。その選択を引き受け直すところから、次の設計は始まる。


この記事は、Projeteam, Inc. ウェブサイトで先行公開された

間違っていたのはオンチェーン・ソーシャルだったのか──Baseのクリエイターコイン失敗を考える

を素材として対話形式で再構成したものです。

元記事では、「金融化」をどう分解するか、Institution Layerという概念がどこまで有効か、政治哲学との接続をどこまで押し広げられるか、といった問題にもう一段踏み込んでいます。腰を据えて考えてみたい方は、是非こちらもあわせてどうぞ。



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