(書評)第106回「夢を与える」(綿矢りさ 著)☆チャイルドモデルから芸能界へ。夕子の栄光と失墜の果てを描く。著者初の長編小説☆
著者のデビュー3作目で、初めての長編小説です。単行本305ページ。フランス人と日本人のクォーターの美少女・夕子が、チャイルドモデルとしてのCM出演から国民的アイドルになり、スキャンダルによって転落するまでを描きます。執筆期間は約1年半で。それまでの作品の1人称に限界を感じたことから、本作では3人称が採用されており「文体を変えたくて自分の中で更新するまで時間がかかった。」と述べています。著者自ら芸能プロダクションの関係者に話を聞いたり、大学1年生の時にテレビのスタジオ閲覧に自分で応募して見に行くなどして取材を行なったそうです。

主人公は、阿部夕子という女の子です(愛称はゆーちゃん)。フランス人ハーフの阿部冬馬と幹子のあいだに生まれた赤ちゃんには、天性の可愛さが宿っていました。一家が住んでいるのは、山と川に囲まれて自然にあふれたベッドタウン・昭浜で、冬馬は1時間半ほどかけて、フランス産のワインやアンティークを輸入する会社へ通勤しています。昼間からのんびりとお茶会を楽しんでいた幹子に、プロのカメラマンを紹介してくれたのは高校時代の友人です。ベビー服の通販カタログのモデルで、月2回ほどスタジオに通えば済むために、母子ともそれほど負担にはなりません。小学1年生になって腰の位置がほかの子よりも高くなってきた夕子には、有名な食品会社からCMキャラクターのオファーが舞い込んできました。撮影は年2回、契約期間は半永久的、商品は日本人なら誰でも1度は食べたことがあるであろう「スターチーズ」です。夕子が美しく成長していくまでを撮り続ける一大プロジェクトで、無名の素人を起用しているという話題性もありました。幹子は熱心なステージママとして、中学校に進学した夕子を大手事務所に入れました。スケジュールを管理するのは、沖島という短髪で日焼けをした28歳の男で、夕子とは親子ほど離れていますが、夕子を子供扱いしません。沖島のアドバイスを受けた夕子は、将来について聞かれると「夢を与える人になりたい」と答えるようにしています。
放課後になると、家に帰らずそのまま収録現場に向かうことが多くなってきた夕子でしたが、それなりのランクの高校を狙っているために、そろそろ準備を始めなければなりません。両親の仲は2年ほど前から険悪になっていく一方で、それは冬馬が内緒で都内にマンションを借りていたことがきっかけでした。若い頃にお世話になったフランス人女性のために結んだ賃貸契約で、来日したものの住むところも職もなく困っていたとのことでした。日本の文化を学びたいという彼女のためのボランティアだという冬馬に、やましい気持ちはありませんが、幹子が直接押し掛けたためにかえって話はこじれてしまいます。「チーズのゆーちゃん」としてCMはロングヒットとなっていて、現在でも放映されているために、離婚は夕子にとって大きなマイナスとなります。夫婦間の温度が激変したことに気がついた夕子でしたが、ますます受験にのめり込むようになります。志望校は都内にある3校に絞り、芸能人が通うような学校ではなく、一般の共学の方がイメージがいいと言うのが事務所の社長の戦略でした。テレビの中の「ゆーちゃん」はスターチーズを夜食に勉強をしていましたが、夕子はすっかり食べ飽きていました。
「ゆーちゃん難関校突破」を微笑ましい芸能ニュースとして、多くのキャスターがワイドショーのコーナーで伝えました。試験が終わった途端に、詰め込んでいた知識が一気に薄れていくのが分かった夕子は、学ぶことに対する情熱を失っていきます。ホームドラマへの初出演、AMラジオのパーソナリティーが決まって隔週で2本録り、現役レースクイーンとのアイドルグループの結成など、スケジュールが目一杯のために、高校では机の上で突っ伏して眠っているだけで授業にも付いて行けずに、クラスメイトとも仲良くなれません。ある日ふと鏡を見ると、そこに映っていたのはまったく知らないひとりの女でした。父親から譲り受けた高い鼻はわし鼻に、母親似だった丸みの帯びた輪郭は四角いあごになっていました。自分の顔が同世代よりも老けていることに気がついた夕子は、この世界から忘れ去られてしまうような焦りを感じるようになります。慢性的な不眠状態に陥っていた夕子が、深夜番組をぼんやりと眺めていると、ダンスの勝ち抜きトーナメントが放映されていました。優勝したのは切れ長の目と愛敬のある顔立ちがかっこいい男の子。テロップには「田村正晃」と表示されていました。すぐにプロデューサに連絡して彼を紹介してもらいます。昼間はアルバイトをして、夜はライブやレッスンに参加している正晃と夕子が交際しているのを知って、冬馬や幹子はあまりいい顔をしません。
正晃との待ち合わせ場所には遠回りして行き、芸能記者や雑誌社のカメラマンがついてきてないか確認し、タクシーでホテルの裏口まで乗り付けて、予約した部屋にチェックインします。正晃との密会は、土曜日の夜から日曜日の朝まで恒例行事となり、都内の地下駐車場付きホテルを転々としていました。ジムに入会して脇腹を鍛え上げて、体の線をシェイプアップすると、夕子の美しさは1段と磨きがかかっていきます。一方でバイトを辞めてダンスグループからも脱退した正晃は、宿泊費もデート代も出さなくなり、すべてが夕子の負担になります。同意もなしでセックスを強要されるようになり、避妊も考えない正晃のせいで、夕子は産婦人科に通院して、モーニングアフターピルを処方してもらわなければなりませんでした。正晃が連れてきた友だちと、路上でお酒を飲んで大騒ぎした際に、パパラッチに写真を撮られましたが、事務所が何とかもみ消しました。ある時、沖島に呼び出された夕子は、ホテルの一室で一部始終を隠し撮りされたプライベート映像を見せられます。これまでのスポーツ新聞や週刊誌といった紙の媒体とは違って、インターネット上に流出しているために防ぎようがありません。動画の内容が過激すぎるのと、夕子が未成年だということで、テレビでの報道はほとんどが抑えた内容です。ドラマやバラエティーのレギュラーから降板し、マネジメント契約は打ち切られCMの「ゆーちゃん」は18歳のバージョンが最後となります。
「過労」という名目で活動を休止して入院していた夕子は、病室を独占告白の場に選びます。特ダネスクープを期待してやって来たインタビュアーに事実をそのまま伝え「今はもう、何もいらない」と答えるのでした。

「夢を与える」役目の夕子が、一番不幸だと言う逆説がうならされます。293ページ「夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。だから夢を与える側は夢を見てはいけない」という夕子のセリフが胸を打ちます。芸能界の内幕が、さまざまな角度から赤裸々に描かれていて、かなりのリアリティーが伝わってきました。夕子がティーンエイジャーにしては、異様なほど「老い」に対して恐怖感を抱いているのも印象的でした。早くに大人の世界に足を踏み入れて、多くを経験してしまったことは、必ずしも幸運とは限らないのかもしれません☆

