見出し画像

なぜ私たちは「自分」を消してしまうのか? 大人になる過程で失った「本当の声」を取り戻すための教科書

※この記事にはAmazonアフィリエイトリンクが含まれています。

翔平 : 奈美さん、「ケアの倫理」で有名なキャロル・ギリガン博士が、第40回京都賞を受賞したことを知っているかな? 彼女の最新作『人間の声で』という本が、今までの人間観を根本から揺さぶるような内容で、とても刺激的なんだ。

奈美 : 京都賞って、国際的にすごく名誉な賞だよね。でも、博士が言う「人間の声」って、私たちが普段しゃべっている声とは何かが違うのかしら?

翔平 : ギリガン博士は、かつてはケアの倫理を「女性の声」として捉えていたけれど、今はそれを性別に関係のない「人間の声」だと定義し直しているんだ。 彼女がこの本で繰り返し強調している、非常に興味深いキーワードがあるんだけど、それが「オーダシティ(audacity)」、日本語で「不逞不遜な大胆さ」と訳されている言葉なんだよ。

奈美 : 「不逞不遜な大胆さ」……。なんだか、お行儀が良いとは言えない、かなり強い言葉ね。どうしてそんな表現を使っているの?

翔平 : それは、私たちが社会の中で「空気を読む」ために自分を消してしまうことに、強く抵抗する意味が込められているからなんだ。博士は映画『ファントム・スレッド』を分析して、こう述べている。 「不逞不遜な大胆さに反応していて、それを本当に魅力的だと思っている」 。 映画の中の女性アルマが、支配的な男性レイノルズの「鎧」を打ち破るためにとった行動を、ケアに必要な大胆さとして評価しているんだよ。

奈美 : 鎧を打ち破るための大胆さ、か。でも、普通は相手に合わせる無私の精神が、優しくて良いことだと教えられるじゃない?

翔平 : 博士はそこが落とし穴だと言っているんだ。 「女性がどうやら自分自身の声、あるいはニーズ、あるいは認識もなしに自らを『無私』にするのは、善行を意味するどころか、棄権行為なのです」 と切り捨てている。 自分を犠牲にして沈黙することは、本当の意味で相手と関係を持つことを放棄してしまっているんだね。

奈美 : 棄権行為……。自分がいないのに、相手をケアするなんてできないっていうことなのね。

翔平 : そうだね。面白いのは、10代の子がよく言う「わかんない」とか「どうでもいい」っていう言葉にも、実は自分が本当は知っていることや、深く気にしていることから自分を切り離す「心理的否認」が含まれていることなんだ。 大人の世界、つまり家父長制的な規範に適応するために、自分の本物の声を失っていく過程なんだね。

奈美 : 本当はわかっているのに、そう言わざるを得ない状況があるということ?それって、すごく苦しいことじゃない?

翔平 : その苦しみを博士は、戦場の兵士たちが経験する「道徳的損傷(モラル・インジャリー)」と同じ文脈で語っている。 「『正しいこと』が裏切られると、それに続いて信頼が打ち砕かれて」しまうと分析していて、私たちが大人になる過程で、自分の経験や真実を「なかったこと」にされるのは、一種の魂の傷なんだね。

奈美 : 兵士のトラウマと、女の子が声を失うことが繋がっているなんて驚きだわ。私たちが当たり前だと思っていた「大人になること」の中に、そんな重大な裏切りが隠されていたなんて……。

翔平 : 博士はこの本を通じて、その失われた「人間の声」を取り戻すための抵抗を呼びかけているんだ。 「ケアの倫理はフェミニストの倫理であり、人間の倫理なのです」 という彼女の言葉には、力強い響きがあるよね。

奈美 : ええ、自分が今までどれだけ「自分の声」を後回しにしてきたか、確かめてみたくなった。


いいなと思ったら応援しよう!