誰を指してる? 『〈私たち〉とは何か』が暴く、連帯と分断の驚きの正体
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翔平 : 最近『〈私たち〉とは何か』っていう本を読んだんだけど、これが本当に刺激的でね。トリスタン・ガルシアっていう、今フランスで一番注目されている哲学者が書いた本なんだ。
奈美 : 「私たち」ですか……。なんだか、当たり前すぎて、あえて考えたこともない言葉ですね。
翔平 : そうだよね。でも、この本を読み始めると、その当たり前が音を立てて崩れていく感覚があるんだ。ガルシアは、この言葉がもつ不思議な性質について、最初にこんなふうに問いかけている。
一人称複数の〈私たち〉は一人称単数の〈私〉と違い、その拡がりに無限のヴァリエーションがある。〈私たち〉は「君と私」を指すこともあれば、生き物すべてを指すこともあり、それ以上でさえありうる。ここで想像力を働かせて、「〈私たち〉の円」と呼びうるひとつの円を思い浮かべてほしい。想像上のこの円は、コミュニティ、種族、氏族、家族、隣人に向けてどこまでも小さく収縮していく一方で、反対に社会空間へ拡張し、動物やある種の植物のように感覚器官をもつ生命全体にまで拡がる。この伸縮自在な円の直径のどの部分にも、〈私たち〉のなんらかのあり方が対応する。
奈美 : 伸縮自在な円……。言われてみれば、家族の話をしているときの「私たち」と、人類全体の話をしているときの「私たち」では、中身が全然違いますね。
翔平 : その柔軟さこそが「私たち」という言葉の罠でもあり、力でもあるんだよ。ガルシアは、僕たちが「私たち」と口にするたびに、実は無意識に「世界を切り分けている」と指摘しているんだ。
奈美 : 世界を切り分ける? 団結するための言葉だと思っていましたけど、それって誰かを排除しているってことですか?
翔平 : ガルシアは「私たち」の本質を、単なる集まりではなく、一つの「システム」として定義しているんだ。
したがって〈私たち〉とは、単なる「人間の集まり」ではなく、分割システムである。それは正義感の調節、事物への多様な関心、目の前にあるものの強度と明度の度合いを組織するもので、ある部分を背後の暗闇に投げ捨て、別の部分をよりよく照らすことを可能にするのだ。
奈美 : 正義感まで調節してしまう……。なんだか、自分が「私たち」と言うのが少し怖くなってきました。その「分割」って、具体的にはどうやって行われているんでしょうか。
翔平 : そこがこの本の面白いところでね。ガルシアは「透写紙(トレーシングペーパー)」という、すごく分かりやすいモデルを使って説明しているんだ。僕たちが「女性として」「日本人として」「会社員として」といったアイデンティティを名乗るとき、それは透明な紙に引かれた境界線を、現実の上に重ね合わせているようなものなんだって。
奈美 : 透写紙……。薄い紙を何枚も重ねていくイメージですね。
翔平 : そう。例えば、「男性としての私たち」という透写紙を世界に重ねると、世界は男と女に分割される。そこにさらに「労働者としての私たち」という透写紙を重ねると、線が重なったりズレたりして、どんどん複雑になっていく。ガルシアはこう書いているよ。
唯一可能なモデルは、半透明な紙を重ねるようにして〈私たち〉を積み重ねることだ。〈私たち〉を、文化や社会空間、さらに自然世界まで分割する完璧な体系として思い描いてみよう。頭のなかで、あるものすべての表面に無数の線を引いてみることだ。その線は、なんらかの〈私たち〉に属する存在が何者か、何を持っているか、何をするのか、何ができるのか、何をすべきなのかを画定する線である。
奈美 : なるほど。でも、その紙を重ねる順番はどう決まるんですか? 人によって、どのアイデンティティを優先するかって違いますよね。
翔平 : そこが「政治」の始まりなんだ。どの紙を一番上に置くか、どの線を優先するかで、誰が味方で誰が敵かが決まってしまう。しかも、ガルシアが言うには、今の時代はこの「透写紙」の下にあるはずの「基盤」が失われてしまっているらしいんだ。
奈美 : 基盤が失われている? どういう意味ですか?
翔平 : 昔は、例えば「人間」とか「男と女」といったカテゴリーは、自然が最初から決めた動かせない事実(基盤)だと思われていた。でも、現代の科学や思想は、それらが実は「歴史的に作られたもの」だということを暴いてしまった。その結果、僕たちは根拠のない透写紙を、お互いに押し付け合いながら戦っている状態なんだ。
奈美 : 根拠がないのに、その線を守るために争っているなんて……。
翔平 : そう。これをガルシアは「〈私たち〉の〈私たち〉に対する戦争」と呼んでいる。誰もが「自分たちは支配されている」「自分たちは少数派だ」という被害者意識を持ちながら、他者に自分の「私たち」を認めさせようとしているんだよ。
奈美 : その戦争に終わりはあるんでしょうか。お互いが納得できる、究極の「私たち」は見つからないんですか?
翔平 : ガルシアは、安易な希望は語らないんだ。「人類は一つになれる」という理想主義も、「永遠に戦い続けるしかない」という現実主義も、どちらも片手落ちだと考えている。彼は「ちょっとずつ」という、もっと地道な論理を提示しているんだ。
奈美 : ちょっとずつ……。なんだか、地味だけど誠実な感じがしますね。
翔平 : この本は、最終的に僕たちが今どこに立っていて、次にどこへ向かうべきかの地図を示してくれる。ただ、その地図をどう読み解くかは、読んでいる僕たち自身に委ねられているんだ。ガルシアは、最後の一節でこんなふうに締めくくっている。
条件が不利になるほど、〈私たち〉が分断され和解不可能なものとして現れてくるほど、〈私たちみんな〉のイメージが、そこに透けて、再浮上する機会を増すのである。本書の主語として用いられてきた〈私たち〉が、この政治的イメージの最初の素描になってくれればと思う。本書の物語が〈私たち〉の名で示してきたのは、誰もがそこに自分自身をたとえ部分的にではあれ認められる、そんな〈私たちみんな〉だったのだから。
奈美 : ……自分が無意識に使っていた「私たち」という言葉が、実はこれほどまでに深い歴史と痛みを抱えていたなんて思いもしませんでした。
翔平 : ぜひ、実際に手に取ってみてほしいな。難解ではあるけど、一歩ずつガルシアの思考を辿っていくのは、まるで霧が晴れていくような体験になるはずだよ。
