「大学」という言葉の価値を守るために──“選抜学府”と“社会人学校”という再編の提案

「大学」という言葉の価値を守るために──“選抜学府”と“社会人学校”という再編の提案

近ごろ、「Fラン大学」に対する様々な見解がネット上で飛び交う。この言葉が侮蔑として使われようがどうしようが実態は変わらない。背景には、構造的な問題がある。構造を組み立てる役割の者がさぼっている。私は、問題の本質は“大学という名称の乱用”にあると考えている。

本来、大学とは「入れない人が多数いる」ことを前提とした高等教育機関だった。選抜性があるからこそ、大学で学ぶ意味が生まれ、企業も学歴を採用基準として利用してきた。しかし18歳人口の減少と大学の乱立により、「誰でも入れる大学」が増え、大学という言葉が本来持っていた重みが薄れてしまった。

この状況を改善するためには、侮蔑語ではなく、制度としての再編が必要だと考える。そこで私は、現在の「大学」を次の三層に分ける案を提案したい。

■ 1. 選抜学府
学術研究と高度教育を担う、厳格な選抜を伴う機関。
従来の“大学”が本来持っていた役割をここに集約する。
企業の総合職や研究職の主要な供給源となる層だ。
きっと歴史の古い、学問以外にも人生のアイデンティティーとしての時間をすごすことになるような学校である。

■ 3. 社会人学校(旧・不選抜大学)
入学選抜がほぼなく、実務教育・資格取得・リスキリングを中心とする機関。
ここはもはや“大学”と呼ぶ必要はない。
むしろ「社会人学校」と名乗る方が、役割が明確で、侮蔑性もない。

そして、名称がどうしても思いつかないが、その中間に、

■ 2. ○○(一般大学)
教養教育と専門基礎を提供する、現在の一般的な大学。
選抜はあるが、学府ほど厳格ではない。
社会の中間層の教育基盤として機能する。

があってもよい。おそらく学費が高い、キラキラした感じのカタカナで名前の付いたようなものになるだろう。

この三層構造にすることで、大学のブランドを守りつつ、実務教育の場も尊重できる。企業は採用基準を明確にでき、学生は進路選択のミスマッチが減り、社会全体としても教育資源を適切に配分できる。

例えば、企業がこう言う未来を想像してみてほしい。

「当社は選抜学府卒の方を主たる応募対象としております。」

これは差別ではなく、制度としての区分を示すだけだ。
また、学校側もこう発表できる。

「当校はこのたび、社会人学校としての認定を受けました。」

侮蔑ではなく、役割の明確化として自然に受け取られる。

“大学”という言葉の価値に集まって、金を稼ごうとしたことを後悔して、国力の再生のための、教育の多様性を尊重するために。
「大学には入っておけば」という世の中を変える時期に来ているのではないか。

(もちろん、その時、3には職業能力を開発する施設は深く関わることになるだろう。)

20260505


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